昇って墜ちればお星さま(没)

「三○ビーエンのお返しですね」
 差し出した手に小銭が落ちる音で現実を噛みしめる。おやつ、もといスイーツ三つで、しめて九七二ビーエン。軽く後ろを振り返れば、この紙袋の中にある『一日限定二○○個! きなこポップオーバー』なるものの為に、彼方の曲がり角よりさらにあふれて、人が蛇のように列を為している。流行に興味のないくろボンにとっては、まったくその心理が理解できない。
 念のために自分の立場を振り返ると、一応、ビーダ王国の親衛隊長である。大陽系十の惑星の軍事責任者である。権力を笠に着るつもりはないが、まかり間違っても限定スイーツの為に並ぶような役職ではない。どうしてこんなことをしているのか自分でも疑問に思うのだが、王子の言葉が頭に響いて離れないのだ。

 そうだなー……温泉に行きたいでしょ、久しぶりに海王星に顔を出したいでしょ、あとあれだ! 裏小路のケーキ屋さんあるでしょう! あそこね、今度限定のお菓子出るんだって! 欲しいなあー、ねぇ。
 聞いた時くろボンは二の句が継げなかった。あまりに寝坊ですっぽかすので、そんなに夢の中で何をしているんですか、起きてやりたいことはないんですか、と問うてみたらこれだ。そんなことは私がやっておきますので、と思わず口にしまったのが運のつき。こうしておつかいをするはめになったのである。

 どうせ見回りのついでであるから、寄り道自体は苦ではでない。……一国の親衛隊長が、流行のお菓子目当てに行列に加わるという、醜態を晒すことを除けば。出来れば早く立ち去りたかったのが、店員に呼び止められて思わず足が引っ掛かる。
「隊員の方と食べられるんですか?」
「ええ、まぁ」
 ひどく重みのない返事。愛想笑いが出来ないにしても、引きつったように頬が張るのがわかる。
「そういや、王子様もお好きなんですってね、ケーキ。今度お越しになるよう伝えてくださいな。これ、おまけ」
 長話になる気配がして、後ろも詰まってますし、と強引に流れを断ち切ってくろボンは半身を返した。またのお越しをー、と弾んだ声が、衆目と一緒にやけに突き刺さる。ああなんで、あいつの言うことなんか聞いてしまったのだろう。
「もっとも、自由にいらっしゃるということは、出来ないのでしょうけど」
 その呟きが、後悔の答えを言い当てているような気がした。

 確かに、職場と家を往復するだけの生活、という言葉になぞらえれば、王子は城が職場であり家であるから、往復すらもない、ひどく退屈な毎日だろう。自分は城に詰めている方が慣れているけれども、あの動きたがりにとっては生あくびも出て仕方がないのかもしれない。
 日の出が遅くなってきたこととか、空気が冷たくなってきたこととか、街の看板がハロウィンだったりクリスマスだったり、イベントに彩られていくところとか、夏の大三角から冬の大三角に移り変わっていくところとか。
 公務で外に出られることがあるとはいえ、身をもって実感できるのはどれだけのものだろうか。
 喧噪から離れて、紙袋を所在無さげにぶらさげながら、ふとそんなことを考える。一概に人の境遇を比べられないが、好きなことが出来る幸せなど、ぼんやりと人生のようなものについて考えていた。

 その思考は、彗星のごとく言葉が降ってきたことにより遮られる。
「いたいた! くろボン、おっそーい!」
 聞きなじんだ声。ぴたりと歩みが止まる。振り向かずとも、その矢は誰が放ったのかわかる。ぱたぱたと足音がして、自分のすぐ後ろで止む。いつまでも固まったままのくろボンに、ねえねえ、とゆるく話しかけてくる。
「あっ、買えたんだそれ。良かったー。聞いてよ、オレも早起きできたんだよ! それでね、クロワッサンドーナツとね、フレンチトーストとね、クッキーショットにね……」
 後半、よくわからない片仮名の羅列が続いた辺りは、もう耳には入ってこなかった。身振り手振り、顔を紅潮させて伝えているところを見るに、つまりは限定スイーツなるものを、王子自ら列に並び、見事手に入れることが出来たらしい。

 ──俺は何の為に。
 こいつの為に、こんな奴の為に、お菓子を買いに、人々の好奇の視線に耐え……!
 勢いよく振り向く際に、まだ説明が終わらぬしろボンに紙袋を押し付けた。恥ずかしさやら怒りやら、震えた手に出来るだけ込めたつもりだったのに、よくわかってないのかしろボンはとぼけた顔をして、くろボンに礼を述べたのだった。
「ありがとう」
 あまりに笑った顔が眩しかったので、これがお釣りだったのだと悟り、くろボンは小さく呻いて視線を背けた。

没理由:
お題としてわかりづらい。隊長王子のためにお菓子買いすぎでは?