なにを模ることもなく(没)

 まったく、王子が楽なんて、誰が言ったのか。
 ……そんなの、『くろボン』に決まっている。

 まず、自分の好きに出掛けられない。お城の中でさえ、言い換えれば自分の家である筈なのに、うろうろしていたら見咎められて、優しく諭すふりをしながら、部屋に戻される。リアルな脱出ゲームだ。
 好きにご飯も食べられない。王子は育ちざかりだから、なんて、てんこ盛りのおかずを食べさせられる。それなのに残してはいけないと言う。だったら始めから少なくすればいい。
 一日のスケジュールだってそうだ。
 朝決まった時間に起きなければ、病気か誘拐かとドアをけたたましく叩かれ、あげく踏み込まれる。それで壊れたドアは数知れない。はっきり言って経費の無駄だ。寝坊か家出(もちろん後者は軽い事件ではあるが)という発想はないのだろうか。過保護にも程がある。
 ままならない食事の後は、朝の定例会議だ。はっきり言って、これほど退屈な時間はなかった。
 それぞれ発表していることは大事な事柄なのだろうが、専門的な用語を持ち出してくる割には、脈絡がなかったり要領を得なかったり、「あー」「えー」で間延びが多すぎたりで、日記か作文を聞かされているような気分になる。
 それでとうとう目を開けたまま眠ってしまったのだが、誰一人としてそれに気づいた者はいなかった。寝といてなんだが、いいのか、それで。
 終わったら勉強の時間だ。これも、おかしい。こちらの理解度なんかそっちのけで、時間で区切って、次の項目へ進んでいく。内容より量を重視している。
 今現在進捗としては初等から中等に移り変わるあたりだ。それなのに、将来各分野の権威にでもなるかのような期待のされよう。
 王子だって一人の人間だ。天才なんて、何千何万に一人いるかどうかなのに、それが王子であるなんて、可能性は限りなく低い。そもそも王子という身分に生まれるのだって可能性は低すぎるのだから、天才王子なんて無限小の確率だろう。
 妙な勉強が終わったら、親衛隊の稽古を視察する。これは、気分転換の意味合いが強い。
 日がな一日、年がら年中、城の中に籠っていては、心に二酸化炭素が溜まってくる。体を動かして酸素を吸い込みたい。
 けれどこれだって、『怪我をしてはいけないから』という理由で、まともに参加させてもらえないのだ。王子だって、命を張って国を守らなければならないのに。
 あまりにも悔しいので、ハンカチを噛みしめるのに終始する。
 そして昼。朝とほぼ同じなので割愛する。
 一点、親子二人で食事をするのは善きことだと思う。

 そして今、午後だ。お昼を回ってからは、執務室に閉じ込められる。
 先日梅雨を抜けて、気温もうなぎ上りになっていた。蝉が大合唱を始める季節、王族は外れの高地にある御用地へ、避暑に赴くのだ。時期を再来週に控え、その説明の為、必要以上に広い応接スペースのカウチに腰かけ、話半分に聞いていた。
 いまいち心躍らないのは、『静養』なんて名ばかりで、実際のところ『公務』にほぼ近いからだ。
 王族御用邸は一般に広く知られている。近くは山々に囲まれていて、点々と酪農家のサイロが見える他、人工的なものは何もない。一面の牧草、粗い削りの山脈、少し薄く冷たい空気、何物にも遮られない日差し。人より牛ロンの方が多い。ざっくりいって、辺鄙なところである。その分、日常の喧騒を忘れるには素晴らしいところなのだが。
 しかし王族ともなればそうはいかない。娯楽が少ない環境にあって、王族が来訪するのは一大イベントだ。どこにそんな人数が居たのか、街から遠く離れた場所にもかかわらず、わらわらとギャラリーがやってくる。御用邸の隣(といっても軽く2kmは離れている)牧場では、『しろボン王子来訪! 君も一緒に乳搾り体験!』なんて、与り知らぬ適当な宣伝が為されている。
 思わずくしゃっと握ってしまったチラシを眺めて、否が応でも、このような身分では自由なんて塩ひとつまみ分くらいしかないことを思い知らされる。

 さすがに色々積み重なって疲れが出てきた。無意識にため息をついていたらしく、目の前で話していたパラスがくくっと笑う。
「おや、お疲れになるんですね。王子も」
「……そういう言い方やめてくれよ」
 申し訳ございません、と形ばかりは謝るけれども、その顔は笑っている。物珍しそうに目を丸くして、すぼまった口元を手で押さえている。どう見ても笑いをこらえている表情だ。なかなかに無礼ではあるけれどもそれを指摘して怒る気も起きない。何が面白いというのだろうか。こっちは全然面白くない。
 ぼんやりと壁を見上げると時計は二時過ぎを差していた。時間というのは意識しだすと途端に進みが遅くなる。早く三時になれ、そうしたらおやつの時間だ。念じても針は規則正しく、無愛想に音を立てるだけ。
 いっそこうなったらフライングしても構わないのではないか──つまり、この部屋を抜け出してしまおうという訳だ。ぐるりとあたりを見回した。
 ドアは正面斜向かい、十歩以上の距離はあるし、入口には警備の兵が控えている。窓は後方、壁一面。日差しが燦々と頭を焦がすくらい降り注いでいる。縦長の大きな作りで、人が抜け出すには申し分ない大きさだ。しかし、開けたことはないし、開いたところを見たこともないので、出られるかどうかはわからない。こちらも距離は、ドアより近いもののやはり五歩以上。ぱっと飛び出したとして、カーテンが邪魔になりそうだ。
 何よりの障害はパラスの存在だ。彼を障害などと称するのは心苦しいが、それだけ抜き差しならぬ相手だった。一歩でも不審な動きをとったら取り押さえられる。無理やりに暴れれば逃げ出すことは可能だとして、何も悪くはない彼に落ち度を作らせてしまうのは忍びない。
 こんな時、『くろボン』はどうするか──、考えがいくつも浮かんでは渦に巻かれて飲み込まれる。
 全ての案が流れ去って空っぽになったところで、いっそのこと、シンプルにいこうと決意がついた。
「失礼。……トイレに行ってもいいか、な?」
 演技としては大根に失礼なレベルだ。
 油が切れたようにぎこちなく口が引っかかる。
 けれどパラスは目を細めて、
「ええ、どうぞ」
 と快諾してくれた。
 軽く一つ礼をすると、何事も無かったかのように、ごくごく自然な足取りで部屋を出た。作戦成功だ。
 ただ、背後でパラスが笑い転げる声がしたのが尾を引いて残る。
 演技はバレバレだったのだ。それでも出してくれたのは、優しさに他ならない。
 誰もいないのに、自分がしかめ面になるのがわかった。

***

 途中、兵士や給仕とすれ違った。挨拶するのは当然でも、プラス王子は愛想が良くなくてはならない。面倒な相手だろうがなんだろうが、それが王子に求められる姿というものだ。精いっぱいに笑い顔を作ったが、パラスに爆笑されたスマイルでは、0ビーエンの価値もあるかどうか。
 その点、『くろボン』は愛想が悪くても、「素敵」だの「たまらない」だの「そういうところが却って魅力的」だの、好意的に受け止められるのだから、世間は顔で判断していると思わざるを得ない。
 三時から彼と外で会う約束だった。今からだと少し早いが、問題あるまい。この密閉空間にいるよりましだ。
 目立たず城を抜けられる裏手の門を目指していたところで、ふと思い立って『くろボン』の部屋に寄った。一応二回ノックをしてみるが反応はない。同じように先に外に出ているのだろうか?
 見咎められないよう静かにドアを開けて、ベッドの上に丁寧に畳まれたマントや手袋を発見した。こいつを身に着けていくとしよう。窓ガラスに映る自分の姿を眺め、体の色も少々手直しする。どこからどう見てもくろボン隊長だ。歩き回るには、こちらの方が都合が良い。
 そこからはとんとん拍子に行けた。勝手知ったる我が城、我こそはくろボン隊長である、とわざとらしいほど威風を吹かせて闊歩するだけで良かったのである。
 そういう意味でも、やはり、「王子は楽ですね」というくろボンの意見は間違っていたのだ、と力を込めて断定する。

***

 すんなり城下に出て、路地裏にあるカフェテリアに辿りついた。無垢の木材であつらえた調度にこだわりが見えて、質の高い隠れ家のような雰囲気を醸し出している。壮年の域に差し掛かった老夫婦が営んでおり、例え一国の王子や隊長が訪れたとしてもそれを口外することはなく、しろボンとくろボンは度々利用していた。
 庇の下隅のテーブル、いつもの席に先客がいた。『くろボン』だ。
 ……といっても、今は自分もくろボン隊長だ。
 向かいに腰かけ、冷たい豆乳のラテとレアチーズケーキを注文した。
 店員が店の中に消えていくのを目で追っていると、くすくすと笑い声がした。向き直れば、口元に曲げた指をあてて、『くろボン』が小さく笑っている。
 滅多に見られないものを目の当たりにして、さらにそれが自分に向けられているのだと思うと、煙のようにぶすぶすと不機嫌が立ち上ってくる。そしてそれを取り繕えるほど器用でないのも証明済みで、おそらく今ありありと眉間にしわを寄せているのが自分でもわかるというのに、彼は笑うのをやめようとしない。
 まったく、今日は人によく笑われる。
「どうだった。大変だっただろう?」
 彼はゆるりと片肘をつき、自分の注文した黒蜜フラッペに口をつけた後、見透かした目をこちらに向ける。口から笑いが零れるのはやんだが、視線は未だ笑みをこらえているようだ。それがとても腹立たしい。
 わかりきった質問をしやがって。
 声を出すのも癪なので、悪態を心の中で呟きながら、頷くことで返事に代える。
 相手はこちらの不機嫌など気にもしていないようで、そのまま喋り続ける。
「まあ、こっちも楽とは言えなかったけれど。みんなあれこれ世話を焼いてくれるから、辛くはなかったかな。本当、いい部下に恵まれているね。それとも隊長の人柄かな?」
 悪戯っぽく目配せをされ、さらに苛立ちは募る。
「それはどうも」
 どうしても憮然とした返事になってしまった。

「まったく、王子は楽だなんて、誰が言ったんだろうねー。ねえ?」
 頼んだ豆乳ラテとケーキが運ばれてくる。皿を置き終わったのと同じくらいに、『くろボン』、もといくろボンの姿をしたしろボンは、こちらに身を乗り出してきた。
 こうして顔を突き合わせていると不思議な感じがする。同じ顔が、今目の前にいる。上手い具合に化粧を施され、見た目にはそっくりそのままくろボンの姿をしているが、中身はしろボンなのだ。双子でさえ僅かな相違点が見受けられるというのに、くろボンにはまるで鏡と向かい合っているようにしか思えない。
「今日ので、よくわかっただろ?」
 にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべ、しろボン『隊長』は尋ねて来る。

 そう、きっかけは己の一言だ。
 不用意に、「王子は楽でいいな」と言ってしまったものだから、「それならくろボンが王子になってみなよ!」と売り言葉に買い言葉を重ねて企図されたこの試み。しろボンが『くろボン隊長』に、くろボンが『しろボン王子』に、それぞれ交換して過ごすというものである。少し考えればどうなるかくらいわかっただろうに、どうしてやろうと思ったのか。莫迦莫迦しいことこの上ない。
 ちょっと行き違うだけの人間であれば、何とか誤魔化せるだろうが、さすがにゴールデンボン王とセレスパラスには隠し通せていないだろう。大笑いされたのが記憶に新しい。彼らが、いささか行き過ぎた遊び心にも寛容であって助かった。下手をすれば、断頭台の露と消えていたかもしれない。
 味を感じなくなったラテを口に含みながら視線を上げると、目を眩しく輝かせ、しろボン隊長が返答を待ちわびていた。尾を振る犬ロンのようだ。何を言うべきかしばし逡巡してから、しろボンと正面に目を合わせた。

「……お前は、素晴らしい王子だな」
 心の底から、そう思ったので言ってやった。

没理由:
ちょっと力技感。誰が誰だかわかりづらかったので。