今日はきちんと起きたのか。いいだろう。なら、約束通り、行こうか。
オレの前を歩くくろボンはそう言った。その声色はあたたかいようでいて、その主がくろボンであることを考えれば、まとわりつくような生ぬるさも感じる。起きたばかりであまり頭は働かないものの、声だけでなく、表情も違うような気がする。角張った眉はゆるんでいるように見えるし、きつい目もとはやわらかく見える。
靴下を裏返して履いてしまったかのような、微妙で確かな違和感。
廊下を歩いている時に、何の気なく差し出されたくろボンの左手が、とうとう疑問を口に出させた。
「君は、くろボンじゃない」
オレに釣られて、くろボンの足も止まる。
ゆっくりと振り向く動作、少しだけどわかるような目の開き方、驚き方、それもくろボンらしくない。よっぽどのことがないと、くろボンが顔を崩したりはしない。まして、オレにばれるようになんて。
くろボンは肩をすくめ、半分あきれたように、やれやれとため息をついてみせた。
「だったら、俺は誰だっていうんだ」
「ジャック」
オレの言葉にくろボンの顔が変わる。
ついちょっと前まで、別人かと思うほどやんわりとしていたの顔の筋肉がきゅっと引き締まり、いつもよりさらに鋭さの増した眼でオレを刺す。
「そうか、それは面白い……」
くろボンはうわ言のようにつぶやく。
オレは、全然面白くない。
「どうしてそう思う?」
少しだけにやりとしてみせて、だけども全然笑ってるとも面白そうとも見えない心地悪い顔つきで、くろボンは聞いてくる。
「だって、くろボンはそんなにやさしくない。あんなに優しく部屋を開けないし、オレの歩きに合わせたりしない。オレのわがままだって、文句なしにはきいてくれたことがないし。なのに、今日はまだ一つも嫌味を聞いてない。……いや、本当はやさしいのはわかってるんだよ。だけど、やさしい言葉なんて、口に出したりとかは絶対しない」
「お前は俺をそんな風に思ってたのか……」
だって本当のことだもの。
だけど人間、本当のことを言われると、傷つく人もいるって聞いたことがある。
実際、目の前のくろボンは、さっきの怖い顔はどこへやら、やわらかいにはやわらかいけど、間の抜けたような顔つきになって、オレを見てくる。
少しだけ考え込むように下を向いて、顔をあげた時には、くろボンはまたいつものきりっとした真剣な顔に戻っていた。
「……なら、『くろボン』に会いたいか?」
その質問に、オレはゆっくりと確かに頷く。
くろボンもしばらくじっとオレを見つめた後、「ついてこい」と言わんばかりに背中を向けた。
***
お城の塔の端も端、赤く錆びついたらせん階段を下り、段々と湿っぽい空気が肌に触れてくる。ここには一度来たことがある。地下牢だ。
申し訳程度に供えられた灯りは全体を見回すには暗すぎて、ぼんやりとした輪郭と影だけ、薄気味悪く目に入る。固い石造りの壁に、アリロンの子一匹どころか周りの音も光も入り込めそうにない。そのくせ雨漏りはしてるのか、落ちてきた雫がまだらに染みを作って、奇妙な模様を作っている。
こんなところ、夜中にひとりで来れそうにもない。肝試しだってごめんだ。
まさか。
檻の近くまで来たところで、人一人分の、布きれにくるまった塊が見えた。あの濃藍、マントの色に……。
「くろボン!」
前を歩いていたくろボン(もっとも偽物)も、釣られてこっちに振り向いたようだ。けれどオレは、檻の奥に向かって叫んでいた。
オレの声がやまびこのように反射する。なのに塊はぴくりとも動かない。
すっと体温が下がっていくのがわかって、オレは思わず、その塊が収められた檻に駆け寄って、鉄格子を力いっぱいに揺すった。
「おい、落ち着けよ。よく見ろ」
「え?」
ランプを手前にしてよく中を照らしてみる。
すると、古びたテレビモニターと、小さい冷蔵庫と、その他いらなくなったのかさまざまの家電製品が無造作に置かれているだけだった。
「あ、あー……。びっくりした」
てっきりくろボンが偽物にやられて押し込められているのかと……。
片手を胸にあてて深呼吸する。
「ここにあるのは備品だ。場所がないんで、仮倉庫として使ってる」
確かによくよく見れば、日付の書きこまれた木箱とか、あの工事している現場に置かれている三角コーンやロープ、何年か前のスローガンらしき古びた看板とか、必要なのか必要でないのかわからないものばかりだ。
「じゃあ、なんでここに来たの?」
オレの質問に答えることもなく、地下牢の突き当りの石壁を、手の平でそっと押していた。
すると、くろボンのかざした手がゆっくりと奥へ奥へ飲み込まれていき、徐々に長方形の輪郭を形作って、その隙間から目を瞑りたくなるほどの眩しい光が流れてくる。
空気の流れを感じて、はっと目を開けると、そこは宇宙港の裏側だった。
いくつもの直方体のコンテナが積み重なって、いつも使っている港玄関は見えないようになっている。普段はあまり気にしたことがなかったけど、そうか、こういう風になっているのか。
周りを確かめながらきょろきょろしていると、横切った視線に、また濃藍の帯が目に入った。
今度は陽の光の下だから間違いない。
黒い出で立ちを包む夜の宙のような藍色のマント、手袋にブーツ、オレよりちょっとだけ高い背の丈。……格好は、隣のくろボンらしきものも一緒だけれど、今度こそ本物だ。
「くろボン! おーい!!」
オレは手を振りながら走り寄る。
呼びかけに応じて振り向いたのは、やっぱりくろボンで、……やっぱり、くろボンではないような人物だった。
「どうしたんですか、王子」
こちらも口調はやわらかい。隣のくろボンと比べれば気持ち声が高いような気がしたけれど、オレが知ってるいつものくろボンだって、たまに怒ったり慌てたりする時には声が裏返る。
思わず、隣のくろボン、前のくろボン、と何度も交互に見比べて、顔立ちに何か違いが無いか探す。
格好は全く同じだけれども、微妙な違いが何かあって……、例えるなら、太陽を黄色か赤色か橙色か、でもみんな太陽だよね、という感じに、『くろボン』というものを見る角度によって分けました、太さがちょっとだけ違う金太郎飴、そんなものを差し出されている感じがした。どっちが本物か、という判断材料にはまるでならない。
むしろ第二のくろボンの登場に、余計に悩むはめになった。
「どうしたって……くろボン? こそ、どうしたの」
どうしてそこで疑問形になるんですか、と目の前のくろボンはちょっとだけ口元をゆるませ、それを見て、実は……、と隣のくろボンが耳打ちをしている。
二人のくろボンが会話をしているさまは、真ん中に鏡でも置いて仕切っているんじゃないか、と思えるほどに揃っていて、うんと目を凝らしてみたけどやっぱり何も置かれていなかった。じゃあ夢? と思って二人が話している間に頬をつまんでみても、むにっとした感覚が確かにあって、現実であることは疑いようもなかった。
「じゃあ、せっかくだから、三人で行きましょうか」
ようやく話はついたようで、声の高い方のくろボンが、ぽんとひとつ手を叩いて提案する。
「行くって、どこへ?」
「どこって、『くろボン』のいるところ、ですよ」
「おい」
声の低い方のくろボンが、反論したげにもう片方を睨む。
もうこれじゃ、何が何だかわからない。
オレはオレで、ここまで来たら引き下がれなくて、じゃあくろボンのいるところまで案内してもらおうじゃないの、と言われるがままについていくことにした。
***
どうやらこの宇宙港の裏手には、小型の宇宙船が準備されているようだ。定員は四人くらいまでで、お世辞にも広いとは言えない。お忍びとか、緊急脱出用とか、そういう秘密の使い道があるのだろう。
一人のくろボンが操縦して、もう一人のくろボンが助手席で副操縦士、オレは後部座席を一人で使えたので、ちょっとだけゆったり座ることが出来た。
さすがにどちらもくろボンの姿をしているだけあって、宇宙船の操縦も慣れたものだった。多少の揺れは船が古いからに違いない。オレからしてみれば、エンジンが掛かるスイッチのところも、古い形式になっていてよくわからなかった。
そろそろ二人のくろボンがいるという事実にこんがらがってきたのか、二人の頭を眺めて、ああこれ、オレが間に入ったらオセロで取られちゃうなぁ、とか考えていた。
瞬間、それだ! それでくろボンは二人で挟んでひっくり返して増えたんだ! と思ったけれど、そもそも二人くろボンがいる時点でおかしいので、また頭を抱えた。突然立ち上がったので、片方のくろボンから、「大人しくしていろ」とまで注意を浴びた。
もう、最初一緒にいたくろボンはどっちなのか、後から待っていたくろボンは左か右か、わからなくなっていた。
二人で樹を囲んで回っていれば、バターになるか合体するんじゃないかと思うくらいに、わからなくなっていた。
***
ワープを使ったので目的地まではさほど時間もかからず、近所の公園をぐるっと回ったくらいにしか感じなかった。
荒々しい岩垣に囲まれた中に、ひどく人工的な印象を受ける大きな建物。自然と科学の共存、なんていうにはあまりにもおどろおどろしくて、ホラーやミステリーにありそうな、ゾンビとかが出てくる廃屋工場、そんな表現の方がしっくりくる。
さらには、落っこちてくるんじゃないかと思うほど重そうな雲が空でぎゅうぎゅう詰めになっていて、いっそう恐ろしい気分に拍車をかけた。お城があんなに晴れていたというのに、えらい違いだ。
煙突からもうもうと雲に溶け込むような煙は、人を煮てくべた……やだやだ。そんな想像はしたくない。
それにしても、こんなところにくろボンがいるって……?
「入りましょうか」
一人のくろボンが、入口のセンサーらしき機械の前に立つ。蛍光緑の光が全身をためつすがめつ走っていったかと思うと、分厚いパンみたいな鋼鉄の扉が、横に大きく口を開いた。どうやら、技術は最先端のものらしい。
行くぞ、手招きされてついてゆく。先頭にさっき扉を開けたくろボン、間にオレ、しんがりにはもう片方のくろボン、図らずもさっき考えてたオセロのような並びになった。
奥からは、鉄特有の擦れる音、軋む音、それらが規則正しい呼吸のように聞こえてくる。何かを造っているのは間違いない。
もしや! この壁のどっかからレーザーが出てきて、オレをくろ焦げボンにするんじゃ……!
なんて考えている内に、いくつかの廊下をわたって、またもや大きい鋼鉄の扉の前に出る。
扉の中はちょうどお風呂でいう脱衣所みたいな小部屋になっていて、「異物が混入するとまずい」ということで、エアーシャワーとハロゲンヒーターの洗礼を受けた。二人のくろボンもマントを外して置いてゆく。そこでようやく中の扉を開けることが出来た。
鉄筋の骨組みに、ベルトコンベア。オイルの匂い。サウナのような蒸気。大きな機械の怪物のようにも見えたそれらは、きびきびとした動きで、さらっと光沢のある黒い板を運んでいた。
一体何を造っているんだろう。
「あまり近づくな」
機械の側に寄ってのぞき込んでいたオレの肩を、くろボンが掴む。
「巻き込まれたら、腕一本無くなるぞ」
「うぇっ……」
聞いて思わず後ずさりする。
コンベアの先では、ローラーが黒い板を伸ばしている。確かにあんなものに潰されたら、漫画のようにペラペラの紙になってしまう。もちろん現実は、想像もしたくないほど恐ろしいことになる。
「いい加減説明してよ」
ピーマンを口に入れたような苦いつばを飲み込んで、オレは二人のくろボンに問いかける。
「何をです?」
「ここは何の工場なのか。二人は誰なのか。どっちが本物か偽物で、あるいはどっちも偽物なの? なんでこの工場に連れてきたの? 聞きたいこといっぱいあるんだけど、なーんにもわかんない!」
ここまでくると、怒りたい気持ちの方が強くて、機械の音に負けないくらいに、オレは大声を叩きつけていた。
「何の工場って……言ったじゃないですか、『くろボンのいるところ』、って」
「だから……」
言いかけた言葉が詰まる。悪寒のような嫌な考えが、全身を駆け抜けたからだ。
まさか……この工場、この黒い板……!
「ただの、部品を作る工場だ」
部品って、何の部品……?
鼓動に急かされるまま辺りを見回すと、部屋の一角で、黒い板を組み立てているところが見えた。
──箱型。ちょうど、頭と同じくらいの……!!
「気づいたようですね」
冷たい汗が伝う。床にぽたぽた滴ってるのは蒸し暑いからではなくて、まったく逆の、凍えるような寒さを感じる。
「くろボンの、工場……?」
「そう」
はっきりと答えが耳に入った瞬間、オレは体を丸めてしゃがみこんだ。
くろボンは、ロボットだったんだ。
なんてことだ!
くろボンは、作られていたんだ。目の前にいるのがどっちが本物かなんて、まったく意味のないことだったんだ!
最初から、本物のくろボンなんていなかったんだ!
頭を振って、理解を防ごうとするほどに、これまでのくろボンとのやりとりが、メッキのように剥がれ落ちてゆく。
城のあちこちに隠れては、探しに来るくろボンを困らせた。オレには隠れんぼのつもりだった。文句を言いながら、帰りますよ、と背を向けてもオレを待ってくれていて、そんなことがちょっと嬉しかったりして。
オレは一人っ子だったから、弟がいるというくろボンに、兄のように甘えたりもして。
今日だって、ちょっとからかう気で、くろボンじゃない、って言ったつもりだった。優しくしてくれた、って、少し物足りない気もしたけれど、喜んだのも事実だ。だけど、くろボンは全然否定しなくて……。知りたくないことを知ってしまった。
たった一つの冗談で、全部崩れてしまった。
「気分が悪いのか?」
当たり前だ!
らしくなくいかにも心配そうな弱い声で、どっちかのくろボンが聞いてくる。
オレはコンクリートの床に握り拳を思いっきり叩きつけた。涙と汗と鼻水が全部ごっちゃになって、顔を滑り落ちていっけど、そんなこと構いやしない。
「……ああ、いや、その……」
もう一方のくろボンは、もやもやと曖昧な言葉をつぶやく。
「何か誤解をしているな」
「何の誤解だよ!」
向けるべき矛先がわからなくなって、ささくれだった苛立ちそのままにくろボンに投げつける。
「いや、だから、ここは……正しく言えば、おれ、の、『くろボンの管理するボンバーファイターの工場』」
「へ」
さっきとは別の意味で衝撃が強すぎて、オレの涙と鼻水はとりあえず引っ込んだ。
言うなら、さっきが鉛玉に吹っ飛ばされるくらいの衝撃で、今のがエアバックが飛び込んできたかのような衝撃。
「ああ、そういう意味か」
「まったく鈍いな……」
片方のくろボンが、頭に電球が浮かんだように手で相槌を打ち、もう片方のくろボンは、じっとりとした横目でそれをとがめる。
お前が誤解されるような言い方をするから悪いんだぞ、それについては謝る、と二人のくろボンが言い合いを始めていたけど、オレには右から左、空気のように抜けていった。
普段オレが寝坊したり、麦茶とめんつゆ交換したり、ブーツの右左逆に置いたり、手袋裏返しにしたり、色々やっているけど。……それについては、申し訳ないけど。どっちにしろ、そんな悪戯なんか、屁にも思ってないくせに。とうとうカンニング袋の緒が切れたんだろうか。……あれ? カンニング袋? まあいいや、積もり積もって、こんな手の込んだ仕返しをしたんだろうか。
オレの勝手な勘違いなのか、くろボンたちの手の込んだ芝居なのか、まったくわからなかったけど、少なくともオレの思い出のくろボンは偽物じゃないとわかっただけ良かった。ようやく、空気がゆっくりと胸を満たしてゆく。
……でもあれ? くろボン『たち』?
これがくろボンを造る工場でないとしても、この二人のくろボンは何なんだろう?
ああ、そうか。オレが最初言ったように、片方が本物のくろボンで、片方が成りすましているジャックなのか。
そうだとして、どっちがどっちなんだ?
背丈も一緒。顔も一緒。格好も一緒。
頭はすっきりしたけれど、さんざん泣いたせいなのか目の前がかすんでかすんで、睨めても全然同じようにしか見えない。
結局最後まで、工場を出て城に戻っても、どっちがどっちなのかはわからなかった。
***
後日、きちんと一人になったくろボンから、あれはやっぱりジャックで、たまたまくろボンを訪ねてきたところに、工場見学をしたいというオレの都合と重なったんで一緒に連れて行った、といういきさつを聞いたのだけど、果たしてあの時のくろボンはどっちが本物だったのか、とは教えてくれなかった。
ただ、「これだけ毎日顔を合わせているのに、自分の臣下もわからないのか……」と、珍しく本気で落ち込んでいるように見えたので、「ごめん」と手を合わせた。誤解を招いたのは俺のせいだから、謝ることはないとは言ってくれたけど。
疑った時点で、オレの負けだったんだ。
普段から優しければこんなこともないんだろうけど、それじゃくろボンじゃないしなぁ。
