【ともだち】(友達)。
互いを認め合い、心を許す存在。
辞書を引くと、非常に漠然とした言葉で表現され、素っ気ない活字で添えられている。まったくもって要領を得ない。あるいは何か偉そうな教えを説かれているような気分だ。
こんなにも素晴らしいのだから、持つべきである。持たざる者は不幸だ。一家に一台。それは違うか。
次第に己が非難されているような気がして、いとわしくなり、音を立てて辞書を閉じる。
──思えば今まで、『友達』という存在を持ったことは一度もない。
原因を探れば、科学者の家系によくある頑固な気質、古くから知られる家故に敬遠される環境、肩を押せば尻もちをついて落ちる程の貧弱さ、実技でなくて学科で入ったというのにコネを疑われ、それが嫌で重ねた努力が認められればさらに買った反感。そこそこあった科学の知識でボンバーファイターを何とか駆っていたら、あっという間に隊長で、部下こそできたものの、遂にはとうとう友達は出来なかった。
結局、仕事運には恵まれたが、友情運には恵まれなかったということだ。
俺は執務室で、それこそ友達のように顔を合わせている書類群を、今日も睨めている。
コンコン、とノックの音が思考に割って入った。大体主の想像は出来ている。
今となっては特に必要性を感じないその『友達』という存在について、改めて考えてしまっているのはこいつのせいだ。
じっとドアを見つめていると、ノブが傾き、そのまま体を割って足を踏み入れてきた。
──しろボン。
正真正銘ビーダ王国の王位継承者で、俺の主にあたる人物である。
「まだ、入っていいなどとは言ってませんが」
「ああ、ごめん」
そう言うと、しろボンは再びドアを閉め、ノックを響かせるところからやり直す。
しろボンという人物を俺の主観から表してみると、小数の計算には戸惑う知能指数だが、突然飛んできた石を避けるくらいに体は軽い。そこかしこの人間、例えば押し入った強盗やたむろしている猫にまで挨拶するような無防備さと素直さ。勉強は出来ないが運動は出来る、誰とでも分け隔てなく接する、明るい、優しい、元気、記号で固めればこれ以上なく素晴らしい人物のようだった。
まるで、俺とは正反対だ。
「ちょっと、返事してよ!」
先ほどより乱暴に、ドアの背が壁に当たるくらいの勢いで開かれた。
返事をしないということは、つまり入ってほしくないということにまで、しろボンの思慮は巡ってくれないらしい。
それなら俺もロックをすれば良かったのにどうして掛けなかったのか。目の前で鍵を掛ける音を聞かされたらどんなものだろう、という考えがよぎって、ためらわせたのかもしれない。だとして、そもそもどうしてそんな考えが浮かんだのか。
近頃自分が考えていることは、よくわからない。
それも大体こいつのせいだ。
「何か勘違いをされているので改めて言っておきますが」
俺は聞こえても構わないくらいの嘆息をして、重い腰をあげると、しろボンに歩み寄った。
目の前に経つと、すっと部屋の空気が冷えていく心地がする。緊張しているというのか。目を逸らしたら負けだと思うのに、見ていられなくて、その近辺を不自然に視線が泳ぐのがわかる。
「私と貴方は、友達ではありません」
たったそれだけの言葉を放つのに、どれだけ気を絞ったか。
もっとも、こいつには伝わってはいないだろう。
「だから、親しく話しかけられてきても迷惑です」
何を言われたのかという風に、きょとんとして瞬きを繰り返す。
自分の部屋はこんなに居心地が悪かったか。錯覚するのは、こいつが空気を換えてしまったからだ。こいつが部屋に入ってきてから変わった。
さらに言えば、今日だけではない。
少しでもこいつの存在がちらついた時には、思考をそっちにとられ、自分が何をやっているのか、自答を繰り返すくらいに気持ちが乱れる。
おそらくは、俺がついぞ今日まで、同世代の『友達』を持ったことがないからなのだろう。だから、対処ができない。
いい加減曖昧な付き合いに線引きをする為に言ったつもりだった。
大体ここまで言えば、大抵の相手は怒り出すか泣き出すかして、もつそれ以上接触してこない。それが友達の居ない最大の理由であるのもわかっている。他人の領域に土足で踏み込んできたのだから、相応のしっぺ返しは覚悟して欲しいものだ。
けれど、しろボンの反応は、俺の予想の枠を超えてきた。
「だったら、いつになったら友達になれるのさ」
なれなくていい。
そう咄嗟に浮かんで、答えようとした口が、止まる。
友達に、『なれる』?
こいつは、こうして俺にちょっかいを出しに来て、何回か繰り返せば、友達にでもなれるのだと思っているのだろうか。
迷惑だと言われても、その可能性を捨てないのだろうか。
「……どうして、そう思う?」
「え?」
俺の口から出たのは疑問文だった。
「どうして、友達になれるなどと思うんだ」
「だってさ……」
しろボンは俯いて、何かを辿るように、爪先で床に円を描く。
「なれると思う、というより、なりたいんだよ。このお城に同い年ってだけでも珍しいし、くろボンみたいな子、見たことなかったから。頭良くてさ、偉いしさ、歩いてる姿とか、ボンバーファイターに乗ってる時とか、すっごい格好いい。だからさ、話しかけてみたい、って思うのは当然じゃない」
いや、俺はそうは思わない。
けれどそれより先に、興味の方が先に出て、俺の反論を抑え込んでしまう。
環境だけで言えば、こいつも俺も似たようなものだ。ただ、性格がまるっきり俺とは裏返しになっているだけで。
もしかしたら、ことごとく俺の予想を裏切ってくれるのではないか──。
「……どちらにせよ、今は仕事中だ」
そんなことは露程も見せないように努めて、俺は言うことが出来た。
今度こそは明らかにしょげるしろボンに、ぎりぎり聞こえるくらいの声で呟く。
「六時にあがる」
聞いた途端に飛び跳ねて、うんじゃあまたね!! と俺に二の句を継がせる暇もなく、砂埃が見えそうなほどの回転で、たちまちこの部屋を去ってゆく。俺としてはまだ告げることがあったのだが、これではどこまで伝わったかわかりはしない。
六時までは仕事。仕事が終われば、隊長として最低限の振る舞いをするだけで、その他は俺個人の自由だ。どうしても王子と隊長では具合が悪い。
いつになったら、と問われたからそう答えたまで。
果たしてそこまで伝わったかどうか。
いや、伝わらないと困るのか俺は?
そもそも六時にあがると言っただけで、その後しろボンがまた来るかもわからないし、俺が席を外すのも自由だし、その一言にどれだけ重みがあるというんだろうか。もたらされるであろう切っ掛けを逃すまいと、しがみついているみたいではないか。
「あー……くそ」
考えれば考えるほど、頭を抱えたくなる。実際抱えている。
ボンバーファイターのエンジン構造や、王国の有って無いような法律とか、相加相乗平均の不等式の解法手順などならいくらでも分かるのに、自分のものである筈の自分の思考が、まるでわからない。
何気なしにパラパラとめくった辞書に、今の俺に相応しい説明が為されていた。
【恋煩い】(こいわずらい)。
相手に強く惹かれるあまり、思い悩むこと。
見出しを理解した後、俺は辞書をはたいて落とした。
くろボンさんが煮えきらないので
