どうせ涙をぬぐってやることもできないのだから、私はせめて、君を燃やす火になりたかった。(Another End) - 5/16

 久しぶりに入る城の中は、いささか雰囲気が変わって見えた。明るく、穏やかで、芝生に寝ころばずとも、廊下で昼寝が出来てしまいそうなのどかさが感じられた。窓が大きくなって、日差しがより一層差し込むようになった気がする。もしかしたら気のせいかもしれないが。経年劣化のせいか、若干の染みと傷は濃くなった。これも気のせいかもしれない。
 城の中に入れたので、このまま詰所に行こうか、言われた通り三角巾を取りに行こうか迷った。が、結局三角巾を取りに行くことにした。あの若い侍従への義理もあるが、何よりこの真っ赤なほっかむりは目立つし、恥ずかしい。長い時間歩き回るには不向きだ。
 城の中は特別区域を除いて、監視カメラはない。だが人の目がある。赤ずきんはどう見ても浮いている。
 控室までの道のりで、極力人の目を避けながら、慎重に歩いていった。中にはすれ違うのを避けられない場面もあったが、そこはそこ、会釈をしながらそそくさと通り過ぎた。尋ねられたら頭巾を無くしたと答えればいいだけのことだ。そう割り切れば、思いの外大胆に歩くことが出来た。
 しかし、控室の前までたどり着いたところで、俺ははたと止まってしまった。
 給仕の中には古くからこの城に仕えている人もいる。そんな人に出会えば、俺などすぐにわかってしまうのではないか。
 扉はぴったりと閉まっていた。閉まっているからにはノックするのがマナーだ。だがどうしても手が動かない。
 微かに音が漏れてくるので、中に人がいるのはわかる。察するに、十人は堅い。その中に飛び込んでいって、上手く取り繕えるだろうか?
 なんでこの可能性を思い浮かばなかったのだろう。だったら、変な格好でも詰所へ行って、兵士の装備を拝借してくる方がいい。そう思って俺が引き返そうとした時、唐突に扉が開け放たれた。
「さあ、そろそろ時間だよ!」
 はい! 了解! と親衛隊にも負けず劣らず統率のとれた返事が一斉に上がった。ドアの陰に退く俺など見向きもせず、兵隊のように給仕たちがぞろぞろと出てくる。俺は今の時刻を計算した。そろそろ食事の仕込みの時間だったからだ。
 えらいタイミングで来てしまったが、これはまたとないチャンスだ。皆が厨房へ行けば、部屋は空になる。俺は危なげなく予備の三角巾を探すことが出来る。その後、本当の給仕たちが準備をしている最中、給仕の格好をした俺は城をうろついてるという、おかしな光景が発生することにはなるが。
 俺は一人二人と給仕たちが全員出てくるのを待った。厨房は俺と反対方向にあったので、皆こちらには気づくことなく廊下の向こうへ消えていった。足音が減ってくる。残り一人、これさえ終われば最後だ!
 そう思って最後の給仕と入れ違いに部屋に入ろうとしたのだが、運悪く最後の給仕は後ろを振り返った。目が合う。固まる。
 しくじった! しばらく時間を待つべきだった!
「あら貴方……」
 最後の給仕は、最初掛けた号令と同じ声をしていた。中年の域に差し掛かった、見るからにベテラン。体躯も声同様に威圧感たっぷりだ。蛇に睨まれた蛙の如く動けないのは、決して驚きだけではないはずだ。
 このくらいの年齢であれば、俺のことを知っている可能性がある。見られてはまずい!
 俺はとっさに頭巾をさげたが、かえってそれがおかしい格好であるのを強調してしまった。
「どうしたの? その頭」
「え、いや、あの、飛ばされてしまったんです、風で。だから、代わりを取ってこようと」
 しどろもどろ、訛りの強い方言のように片言で説明する。俺の声も風が吹けば飛ばされてしまいそうだ。
 ふうん、と気もなく頷いて、給仕はぴしっと部屋の片隅を指さした。
「まあいいや。貴方見たことない顔だけど。予備はあのロッカーに入ってるから取っといで。これから支度で忙しくなるから、早くね」
 はい、と返事をする代わりに大きく頷いて、俺はロッカーに飛びついた。
 何とかこの場をやり過ごすことが出来た。それは幸いだが、このままでは食事支度に駆り出されてしまう。
 だが背中にひしひしと刺さる視線から逃れられる気はしない。
 いいや、適当に支度するふりをして折を見て……。
「早くする!」
「はい!」
 反射的に俺は地声で返事をしてしまった。こんないい返事、入隊以来かもしれない。
 しまったと思ったが後の祭り。俺は背を向けながらせかせかと頭巾を取り換えた。なかなか振り向く勇気が持てなかったが、またせっつかれてはボロが出そうだ。顔を伏せ気味に、目を瞑って振り向いた。すると、むんずと手首を掴まれ、引っ張られた。
「貴方ひょっとして新入りだね? 細いわねえ。食べなきゃ駄目だよ、食べなきゃ」
 どうやらばれていないようだ。俺はこくこくと頷いた。
 そのまま腕をひかれ、半ば引きずられるように控室を出された。どうやらこのまま厨房に連行されるようだ。
「それにしても……さっきの貴方の返事」
 ぎくり、と体が強張る。
「いい声だよねえ。返事だけじゃない、仕事ぶりも期待してるよ」
 そうして背中をどんと押された。
「貴方、くろボン隊長に似ているって言われない?」
 俺はそのまま転げそうになった。
「ああでも、今の子はくろボン隊長って知ってるのかしら。昔いた隊長さんなんだけどねえ……。若いのに、頭は切れて、そりゃあもう格好良くてねえ……けれどいつからかしら、いなくなってしまってね」
 知ってるも何も、本人だから知らない訳がない。
 人の評価を聞くのは怖かったが、この給仕は止められそうにない。
 厨房までの道のり、俺は、延々と『くろボン隊長』の英雄譚を聞かされることになった。