「いたいた。こんなところに。階段上っていくのを見かけてさ」
そういかにも馴れ馴れしく話しかけてくるこの兵士に、俺は見覚えはなかった。歳も俺と大差なさそうだ。新米から卒業したての兵士だろう。俺と入れ替わりくらいに入隊したのではないか。
「こっちは王サマとかの部屋があるし、勝手に入っちゃいけないんだよ」
子供に諭すような口調で、やんわりと教えてくれる。おそらく俺を新米か何かと思って、先輩風を吹かせたいのだろう。もちろん俺はわかっていてここに来た訳だが、黙って頷いておいた。事を荒立てたくない。俺を新米だと思わせておけば、色々と聞ける話もあるだろう。
俺が殊勝に頷いたので、彼も満足そうに頷いた。
おいで、と手招きするので、俺は渋々その後に続いた。「こんなところに来るなんて、よっぽどの方向音痴なんだなあ」とおおよそ見当違いのことを呟いている。ただの方向音痴で王族の居室に人が入り込んだなら、警備上大問題だと思うのだが。
俺と兵士は並んで歩いて、今まで来た道を逆戻りした。
「あそこは……」聞きかけて、そういやもう声を作らなくていいのだと気づき、二度咳払いして、改めて彼に尋ねた。「あそこは王子の部屋ではなかったのですか?」
「ああ、そりゃいつの話だよ」
おかしいことをいうなあ、と彼は笑った。それが俺には深く突き刺さった。
またか。
また、俺の知っていることが、遠い昔の話になっているのか。
「おれが入ってちょっとした頃かなあ。その前までは、確かにあの部屋だったんだけど。引っ越したんだよ」
そういうことか。道理で、人気がない訳だ。
長い廊下、二人の足音だけが響く。延々と窓枠の影だけが床に落ちている。この空間も、かつて王子の部屋だったあの空き部屋と、大して変わらないように思えた。打ち捨てられた、過去の幻影。
あまりに寂しい風景だったからだろうか、俺は歩きながら、物思いに沈んでいた。あの頃は、肩で風を切って歩いていた。そこに王子がいると信じて疑わなかった。二人で歩いたこともある。あの頃は──今は、違う。
今はどこにいるんだ?
はっと俺が気づいて顔を上げた時、兵士は次の話を始めていた。
「君は、くろボン隊長って知ってるかい?」
「え? ええ、まあ」
あまりにタイミングが良すぎて、自分の名前を出されたことに、俺はそのまま返事をしてしまう。
なんなのだろう。会う人会う人、俺の名前を出してくるのは。
俺はそれこそ、過去の幻影だというのに。
「おれは話しか知らないんだけど。なんでも、王子サマと大層仲がよろしかったそうだ。けれども、ある時ふっと消えてしまった。ほら、ここってこんな感じだろう? 前はそのくろボン隊長がよく訪ねてこられたそうだが、それも無くなってしまった。それで寂しいっておっしゃられてね、もっと下の階に移られたんだよ。物置を整理して。王子サマが過ごすには、ちょっと狭いし、賑やかすぎるけどね」
「そうだったのか……」
俺は繕うのも忘れて、無意識に、ぽつりと呟いていた。
いかにも、あいつが言いそうなことだ。その様子をありありと想像することが出来る。
寂しい、だとは。
俺はあいつと仲が良かったか? 俺はよくあいつの部屋を訪ねていたか? 俺はあいつにとってそんな大切な人間だったのだろうか?
いや、それはありえない。俺は心の中で頭を振った。
