月がないので星がみえます(の裏側)

「すいませーん! ラーメン一杯、麺固め味濃いめ脂少なめ、ほうれん草ネギ増し味玉トッピングでお願いしまーす!」
 どこでそんな言葉を覚えたのだろう。目の前にいるというのに、まるで遠くに呼びかけるような大きな声で、しろボンは注文する。くろボンは? と聞かれ、先のしろボンの注文の奇妙さについて考えいると、危うく同じものを頼まれそうだったので、普通の一杯、としろボンに告げる。しろボンはまた大きな声で目の前の店主に呼びかけた。その店主というのも、俺と同じか少々俺より愛想がいいくらいで、小さく頷いた後、こちらに背を向けて調理に取り掛かる。

 人が二人三人座れるほどの小さなスペースに腰掛ける。目の前の暖簾は、赤い布地に黒い文字で『ラ・ー・メ・ン』とそれぞれ書かれている。いわゆる、屋台という奴だ。屋台と言われれば、まさしくこの光景を思い出すのではないだろうか。薄暗い宵闇の中で、ぼんやりと、湯気が明かりに照らされる。無骨な木の作り。ほのかに香る醤油の匂い。
 ただ呼吸をするだけでも鼻から白い息が漏れる。鍋の周りには、湯気がもうもうと立ち込めていて、見ていると、心持ち温かい気がしてくる。

 周りから見れば、俺たち二人の姿は『遊び帰りにラーメンの屋台に寄る友人同士』、にでも思えるだろうか。市中であるので目立たないように、頭には深い毛糸の帽子、顔の周りには厚手のマフラーをぐるぐる巻き、ダッフルだかモッズだかのコートを羽織り、誰だかはよくわからないがそれほど怪しくもない、という格好を心掛けた。幸い寒さが最も厳しい大寒の折、どれだけ厚着をしていても何もおかしくはない。ただ、普段は見慣れないお互いの姿がなんだかおかしくて、妙な緊張感を覚えてしまう、というくらいか。

 その市中に溶け込んだ格好で、しろボンはこちらに「今日は楽しかったねえ」、なんて月並みな感想を話しかけてくる。朝、変装してコーヒーショップで軽い朝食。梅の花が有名な庭園を散策し、適当に時間を過ごす。テーマパークにも行った。有名らしいお店のパンケーキと、限定のソフトクリーム。口の中が甘さでべとべとして、とんでもなく不快だった。夜は並木通りのイルミネーション。もうそろそろ終わってしまうらしい。だいたいこういうのはクリスマス、あるいは前後二日三日だけにしておけばいいのに、資源の無駄だなと思う。そして帰り、ここ、屋台。
 疲れてはいるのだろう、いつものオーバーアクションもなく、しかしはにかむ様子からは、その感想通り楽しかったのは伺えた。だがこちらは楽しかった訳ではないし、それ以上に疲れている。何が哀しくて休みに王子の相手をしなければならないのだろう。そんなのは仕事だけで十分だ。いや、休みなのに仕事をしている気分だ。正直に、「俺は楽しくもなんともなかった」、言おうとしてやめた代わりに、視線を逸らした。

 そうこう適当に相槌を打っている内にラーメンは運ばれてきて、先に麺固めのしろボンの、少し遅れて普通の俺のが差し出された。魚か鶏かでとった出汁にしょうゆを加え、豚骨ガラを混ぜた、今の季節の様な淡い枯色のスープ。よく『透きとおった』などと表現するが、底が見えないほどぎっちりと旨みを詰めたであろう濁り。少々の脂で熱に蓋をしているようだ。麺は太め。のりが三枚と焼豚一枚、口直し用なのかほうれん草が寄せられていて、中には長ネギの輪切り散らばっている。湯気に混じった匂いに食欲をそそられるのは、実に浅はかに思えて恥ずかしい。
 箸を取り、器の前で手を合わせて「いただきます」。適当に麺を絡めて一口、思い出したようにレンゲを手に取りスープも一口、続いてしろボンの口から「おいしい!」の言葉が漏れる。饒舌においしさを語りながらがっつくしろボンに、不愛想な店主は小さく会釈する。

「くろボンはさあ、ラーメンって食べるの?」
「滅多にない」
「だよね、オレも初めて」
 一体何に同意したのか知らないが、俺は初めてではない。さらに勢いよく麺をすすって、ふと思いついたようにまたこちらを向く。
「じゃあさ、普段って何食べてるの?」
「……俺はお前に食生活も話さなければならないのか?」
「そうじゃなくてさ。くろボンって、こういう休みの日とか、自分で作ってるのかなーって思ってさ」
「そりゃ、作らないと食べられないさ」
「あー、だったらくろボンの家寄れば良かったね。くろボンの作るご飯食べてみたかった」
「断固として断る」

 またしばらくお互い麺をすすり、無言になる。しろボンが、湯気が顔にあたって鼻水のように垂れてくるのを、必死に耐えている。
 とうとうやつは汁まで一滴残らず飲み干して、器をどんと台に置いた。味濃いめと言ってなかったか。ただでさえこってりしたスープを俺は全部飲み干す気にはなれず、器五分の一程度残してしまった。

 ごちそうさまでした、そう店主に別れを告げて、席を立つ。一杯食べ終えて温まった体を、北風が急速に冷やそうとしてきて、少し身震いをした。城までの帰り道を、二人並んで歩く。
 もう時間としては亥の刻になるだろうか。夜はとっぷりと暮れているのに、季節を過ぎたイルミネーションがまだ街を明るくする。なんとなく空を見上げて、オリオン座を探す。リゲル、ベテルギウス、シリウス、プロキオン。ふたご座のカストルは見えるか。冬の大六角はなんと言ったか、アルデバラン、カペラ、あと……。

「なんだかデートみたいだったね」
 思い出している途中でしろボンがそんなことを言ってきたので、ふざけた内容であるのに、考え込んでいる真顔のまま向いてしまった。
「俺からすればただのおもりだ」
「そんなこと言わないでよ。……でもさ、付き合ってくれてありがとう」
 ゆるく目尻を下げ軽く微笑まれる。そんなこと言われたら、不機嫌である俺の方が大人げないではないか。本当なら給金に上乗せしてもらいたいくらいだが、心ならずも「どういたしまして」と返事をしてしまう。
「明日からは王子と隊長だねー……」
 いよいよ城門を目の前にして、しろボンは呟く。俺は住まいに帰るので、送れるのはここまでだ。足が止まる。じゃあね、また明日、小さく手を振って、しろボンが離れていく。
 俺は、ようやく解放されたのだ。しろボンの相手から。だったら早く帰ればいい。だけど親衛隊長の立場上、万が一何かあっても困る。城の中に消えるまでを見届けなくてはならない。言い訳のようにも思えた。ゆっくりと歩いてゆくしろボンの後姿を、見送る。

(明日から『王子』と『隊長』だね、か)
 別に思うところはない。ただ、明日からまた宮仕えが始まる、憂鬱な響きは残っていた。だがまだいいだろう、仕事では今日のように、一日付きっきりということはまずない。それでもまったく顔を合わせないということはないだろうから、相手はそれなりにしなくてはならない。
 そうしたら敬語か。畏まらなくてはならないのか。それはそれで面倒くさい。今日のように、適当に相槌打っていても許されるような、敬ってないことが知れる失礼な発言をしても構わないような、どうせ言葉を交わさなくてはならないのならその方が楽だ。そうか、それなら。

(城でも気軽に話せるようになったら──)

 いやいやいや。それではただの友人だ。俺はあいつと仲良くなる気など毛頭ない。恐ろしい思い付きを振りほどこうと、小さく頭を振ったところをちょうど見られたようで、遠くからしろボンが声をかけてくる。

「何ー? さびしくなったー?」
「早く帰れ!」

 思わず叫んでしまった後ぐっと息が詰まる。まるで俺が別れを惜しんでるようではないか。
 ちらと視線だけで辺りを見回してみたが、この時刻では行き交う人などほとんどなく、どうやら気づかれた様子はないようだ。少しだけ乱れた息で周りが白く染まるくらいだ。

 王子が門番に声をかけている。なんと言ったっけか、どこかの童話。灰かぶり。あれは身なりを整えた美しい姫が、時刻になって魔法が解けるというので、急いで帰っていった。なんとなくその一説を思い出す。曲がりなりにも王子であるし。一線を越えたら魔法が解けてしまうというのなら、この門こそ灰かぶりで言う十二時の境界線なのだろう。
 だがこっちは魔法が解けるのでなくかかるのだ。城にいることで王子という肩書きを得る。いや、魔法にかかって城に入るのは一緒か? 奴曰く『デート』もどきのこんな時間が、話でいうところの舞踏会、しあわせな時間だとは到底思えんし……。

 話がついたようで、門番が元の位置につく。これで終わりか、そう思って俺も踵を返した。ようやく帰れる。
 なのにしばらくして、後ろから足早に追いかけてくる音がして、俺も早足で歩いたのだが、足音がとうとう重なって追いつかれてしまう。
「……なんで追いかけてくるんだ?」
 肩をがっしりと離さないように掴んできたのはもちろんしろボンだった。
「お前、帰ったんじゃなかったのか」
「……門、閉められた」
 しろボンが少し涙声で言う。説明したけど、王子だとわかってもらえない。野良猫ロンのように追い払われた、と。
「マフラーとればいいだろう」
「一応とった。だけど、わかってくれない」
 待て。確か今日のこの時刻、城門の警護は新兵だった。王子の顔をはっきりとは覚えていないかもしれない。もう一人はそこそこの古兵だが、この暗がりでこの厚着でははっきりとは判断しがたく、一人が否定すれば同意したくもなるだろう。俺だったらこんな奴、確かに怪しいのは認めるが絶対に間違えない。

 部下たちの教育について考えるのは後にして、今考えるべきはこいつを城に入れる方法だ。こっそり忍び込もうにも裏門などは閉められているだろうし、そもそも隊長にもなってそんな真似したくもない。俺が行くか? 休みなのに? 果たして王子を判別できない兵たちが、俺をわかってくれるだろうか。
 しろボンが、何か思いついたように拳で手の平を叩く。
「そうか、くろボンの家に泊まって」「断固断る」
 俺の休日はまだまだ長引きそうだった。

没理由:
書いたはいいけれど適切なお題がなかった