戴冠式の様子は、ラジオで聞いていた。スイッチを切ったとき、ふっと、自然に笑みが漏れた。うれしいわけでもなく、哀しいわけでもなく、安心と、一種のあきらめだった。心にできた空洞を、吹き抜けるような。
──これなら、行けばよかったか。
あいつの演説は、よく言えばあいつらしく、悪く言えば王様らしくないものだった。たどたどしい丁寧語で、ときどきつっかえて、だけど、自然と惹きつける。それに安心した。何も、変わってないと。
もし、あいつが、「この国が、もっと素晴らしくなるように、日々邁進していく所存です」、なって言ったら、どうしようかと思った。……どうもしないのだが、きっと、息がつまって、言葉が出てこなかったに違いない。
結局、怖かったのだ。
俺が戴冠式に行かなかったのは、王となったあいつの、姿を直視することが怖かったのだ。勇気がなかった。立派な国王となってくれ、と口では言って、そう望んでいたはずだったのに、心の中では、いつまでも出来損ないの王子でいてほしかった。とんでもない自己欺瞞を、暴いてしまうのが怖かった。
式典が行われているところを、何度か空想した。
城に押しかける、たくさんの人。開け放たれた中庭は、人の海だった。王子、いや王となったしろボンの、姿を見たい、声を聴きたいと、期待に目を輝かせ、今か今かと待ちわびている。
ファンファーレが空高く鳴る。正面のバルコニーの影から、ゆっくりと、人がやってくる。
太陽の光を反射して、黄金に輝く王冠。上質な、深紅のマント。傍らに杖を携え、押しかけた国民に手を振る、あいつの姿。俺の知らない姿。
あれは本当にしろボンなのかと、目を凝らして確かめる。けれど、豆粒みたいに小さくて、どんな顔をしているかも、見て取れないのだ。
何故なら、俺はもう、あいつの傍にいることはできない。ただの一般人になった。
そして、しろボンは、国王に『なってしまった』。
それを実感したくなかった。
──莫迦だな、俺は。さっき思わず笑ったのは、そういう自嘲の意だったのかもしれない。
戴冠式に行って、お互いの距離を嫌というほど味わえば、あきらめもついただろうに。何を未練がましいことを。
いや、端から、会える道理がなかったのだ。
今、俺は兵士たちに囲まれている。演説が終わって、ラジオを切って、木立の下から離れようとした時だった。
気配は感じていた。が、まさかこんな大勢でやってくるとは。隊長時代、敵も味方も作ったが、それとて過去のこと。こんな前時代の男に、それほど執着しているとは、思ってもいなかった。
兵士の一人が、俺に同意を求める。しかし、俺は頭を振った。じりじりと、輪を詰められる。否が応でも、俺を連れ去る魂胆らしい。
一人が飛びかかってきた。身をひるがえす。背後から掴まれた。体をねじる。頭上に気配を感じたので、後ろへ飛んだ。一度距離を取り、再び敵陣へ。
──俺は、王となったあいつに、会うことはないだろう。これからも、ずっと。
***
なんで来なかったんだ。くろボンのこと、ずっと待ってたのに。
戴冠式は、めちゃくちゃ緊張した。何度も練習はしてきたけれど、海王星の海のような、どこまでも広がる人の波を見たときに、足が震えて止まらなくて、汗がじんわり背中を伝って、ダメだった。目をつむりたかった。オレを応援する声も、聞きたくなかった。実際、何言ってるかわかんないよ。わーって大きい爆発音みたいなのがするだけで。
父上は、こんなに大勢の人たちの前で、頑張ってきたんだ。オレは、こんなに大勢の人たちを、これからしあわせにしていかなきゃいけない。そんな覚悟なんて、決まらないよ。重すぎる。
それでも──みんながいるから。仲間たちがいるから。オレが重いって言ったのを、ひょいと代わりに持ち上げてくる人たちがいるから。オレは目を開けたし、声を聴いたし、声を張り上げた。上手とは言えなかったけど、少しでも伝わってるといいな。
みんなの姿が見えた。みんな、来てくれたんだ。
くろボンのことも探したよ。あの、ひきわり納豆みたいな、小さい小さい人たちの中を。不思議とね、知ってる人たちの顔は、ちゃあんと見えるもんなんだ。
きいろボンは最初後ろの方にいたな。宅配のついでに寄った感じだった。けれど、いつの間にか、人波をかき分けて、ずいぶん前の方まで来てて。子どもの運動会に夢中になっちゃうお父さん、のど自慢を応援する地元の人、みたいな感じでさ。めちゃくちゃ熱心で。うっかり笑っちゃったよ。
みずいろボンはしれっと貴賓席にいた。涼しそうな顔してさ。けれど、オレの話はきちんと聞いてるようだった。ちょっとはよそ見してくれてもよかったのに。ちらちら見るたび、目が合ってるような気がして、余計に緊張しちゃったよ。
あかボンもいたな。大統領の一人娘だもんね。全然そんな風には見えなかったけど、きちんと身なりを整えたら、本当にお嬢様みたいで。赤の着物がとっても似合ってた。きれいだった、なんて言ったら、いやだもう、なんて、照れ隠しに張り手食らっちゃいそうだけど。
みどりボンも見えたよ。仲間たちらしき人たちを引き連れて、隅っこの方にいて。やっぱり軍人さんだからなのかな、ビシッとしてた。拍手を一番最初にしてくれたの、みどりボンじゃないのかな。最後敬礼してくれたの、うれしかったな。
あおボンはお城の中にいたんだ。といっても、オレの出るずっーっと手前の廊下。ギリギリまで、大丈夫かな、大丈夫ですよ、って手を取り合って励ましあってた。いずれハカセの跡を継ぐんだろうな。オレが父上の跡を継いだように。
……で、くろボンは、結局来なかった。
演説が終わって、お城の中に引っ込んだ時、はあっと大きいため息が出て。
やり遂げた、という安心感で、体へろへろになっちゃって、壁に寄りかかって、へたりこんじゃった。しばらく深呼吸したら落ち着いたけど、そうしたら、ふっと思っちゃったんだ。くろボン、いなかったな、って。
なんだか哀しかった。オレをお祝いしてくれないのかって。知らんぷりなのかって。助けてくれないのかって。
ううん、お祝いとかはどうでもいいんだ。ただ、いてほしかった。
しばらくお休みをもらえることになって、部屋に戻った。そこに待ってたのがキミだよ。
手紙持ってて、驚いて、もしかしてって、さっきの疲れはなんのその、あわてて机に広げてさ。白い封筒、茶色い封筒、縦長横長、いろいろあったけど、差出人に、くろボンの名前を探した。けれど、なかった。
一応、全部開いて読んでみた。あかボン、みどりボン、今日来てくれたのに、わざわざ手紙もくれててさ。みずいろボンも、お礼状。あのきいろボンもだよ。一枚だけだけど、律儀にさ。あおボンなんて、お城の中にいるのにくれた。老師もこんボンさんからも、もらった。
けれど、やっぱりくろボンのはなくてさ。
聞いたよね。これだけ? って。キミは頷いて。くろボンのは? って言うと、 ありません、って答えて。
しばらくにらみ合ってたけど、これ以上の答えは返ってこないな、ってあきらめて、オレはがっくりうなだれた。
──本当に、何しに来たのさ、くろボン。
戴冠式には来なかったくせに、人の部屋に勝手に入ってくるなんて。人の手紙は預かってくるくせに、自分は手土産一つ無しなんて。
ドアの前で、キミを見つけたときの、オレの気持ちがわかる?
***
しろボンとくろボンは、王子、もとい王の自室で、二人向かい合って座っていた。
陽も西に傾いてきた。窓から斜めに差す光が、くろボンの輪郭を浮かび上がらせる。
夢じゃない。現実にそこにいる。
久方ぶりに見る彼の姿は、ちょっと変わったように見えた。どこが、というとわからないのだが、雰囲気というのだろうか、佇まいというのだろうか。やわらかい、ふわっとした、もやのような感じだった。そこにあるのに、見えるのに、つかめない。
どうして戴冠式に来なかったんだ。しろボンの問いかけに、くろボンは頭こそ振らなかったが、その困惑した顔で返した。
まったく予想通りだったけど、これじゃ、オレが一人でやきもきして、莫迦みたいじゃないか。ひざの上に置いた手をぎゅっと握りしめて、くろボンにきつい眼差しをくれてやる。それでもくろボンは、全く意に介していないようだった。
それどころか、小さく、笑った。
「なっ……」
オレがセンチメンタルになってるってのに、何笑ってるんだ! と、抗議をしかけたが、くろボンの声にかき消えた。
「戴冠式になんて、行くつもりはなかった」
「なんで」
「お前が王になったからなんだ」
「何って……」
全然違うだろ、と思ったが、何も言えなかった。責任が違う。重みが違う。けれど、くろボンたち国民にとっては、大差のないことだ。王子から王に繰り上がっただけの話。
そう、くろボンは一般人なのだ。
もう隊長ではない。オレを助けてくれる人ではない。
事実を突きつけられると、とんでもなく心細くなって、しろボンはうつむいた。もちろん、助けてくれる人たちはいっぱいいる。けれど、目の前の、いつか会いたいと思っていた人物に、会った途端そんなことを言われたら、世界中の人が、みんな自分を見捨てたみたいだった。昼間、あんなに喜んでくれた人たちが、舞台装置か何か、夢か嘘っぱちのように思えた。
「だったら、本当に、なんで来たんだよ」
声が震える。
オレが王様になるのを喜んでくれない。それなのに、なんでわざわざ尋ねてきたんだ。
くろボンが前に立つ気配がした。
「俺はもう隊長ではない」
知ってる。
「お前はもう王子ではない」
知ってる。
「だからもう、俺がお前に付き合う理由はないんだ」
わかってる。
しろボンは悟った。ああ、お別れを言いに来たんだ。
もう、しろボンとくろボンの縁は切れた。つないでいたものが、完全になくなってしまった。ともに宇宙を救った仲ではあるけれど、それは他のみんなもいるわけで、特別な理由にはならない。きっと、他に五人もいるから、一人くらい欠けたっていい、そのくらいにしか思ってないんだろう。そうしていなくなってしまうんだ。
「だから──」
くろボンが続きを言おうとした。聞きたくなかった。耳をふさごうと、挙げた手を、掴まれた。
思わず顔をあげる。くろボンと目が合う。
「隊長でも王子でもないのに、会いに来た、ってことは、それだけお前が特別なんだろうな」
おかしい話だろう? とくろボンは言った。笑っていた。やさしい眦だった。
オレの知ってるくろボンは、こんなにやさしくなかった。いつも目を釣りあげて、眉間にしわ寄せて、顔をしかめてた。
それが今、現実にオレの手を掴んで、笑ってくれているんだ。
涙が出た。勝手にこぼれた。止めよう、と思っても、ぼろぼろぼろぼろ、ひとりでにあふれてきた。嗚咽が漏れる。声が出る。胸が染みる。痛いくらいに染みる。
くろボンはちょっと驚いていた。なんで泣く、と言うので、このわからずや、とかすれ声で返した。それでも手はあったかいままだった。
