くろボンは会議室で報告を受けていた。つい先ほど演習から戻ってきたばかりで、不在の間に何事もなかったかと、兵士たちの話を聞いていた。
たかだか一週間程度。この平和な国で、めったなことなど起きない……と思っていたのだが。
「あのう……」
報告していた兵士が言い淀んだので、くろボンは続きを促した。兵士は、くろボンから目を外し、言いづらそうにする。やがて決心がついたのか、もう一度目を合わせ、おずおずと告げた。
「グレイボン研究所が、無くなりました」
なんだって!
無くなった、とはどういうことだ。話を聞いてからのくろボンは、気が気でなくなってしまった。取るものもとりあえず、時間を作ると、いの一番に研究所に向かった。城下の中心地から、郊外へ差しかかるところ。グレイボン研究所があったはずの場所で立ち尽くす。
──確かに、無い。
きれいさっぱり、無くなっていた。元から研究所なんてものが存在しなかったようだ。瓦礫はすでに片付けられ、土がならされている。ここで間違っていないよな。住所を確認するが、指し示す場所はここで変わりない。
なんだって、一週間前までは、確かにここにあったのに。
報告によれば──研究所が爆発四散したのは、5日前のこと。
夜中、突如として火柱があがった。地鳴りが響き、爆風が窓を揺らした。が、この研究所では日常茶飯事。近所の住人は、「ああまたか」と、夜中に迷惑だと思いこそすれ、大したことだとは思っていなかったらしい。
それでも、防衛隊は出動する。速やかなる処置の結果、幸いにも、近隣に被害は出なかった。もともと研究所にも、ある程度の防災設備は整っていて、それが役に立ったというわけだ。損害は、この研究所がまるっと崩壊しただけ。主であるグレイボン博士も、同居するしろボンも無事。
……なのだが、しろボンが、行方不明になった。
「それがなあ、わしにもわからんのじゃ」
くろボンは、ひとしきり研究所跡地を検分した後、グレイボン博士に連絡を取った。博士は今、天王星の息子のところに身を寄せている。
「ひとまずその夜は知り合いに泊めてもらってな。朝起きたら、もういなくなってたんじゃ」
「その日以降、防衛隊の訓練にも顔を出していません」
「ふうむ……」
しろボンが生きていることは、現場に駆け付けた隊員も確認している。燃え盛る研究所を目にして、崩れ落ちる博士と、同じく呆然と立ち尽くすしろボン。念のため医師の診察を受け、異常がないことが確認された後、戻されている。その後、姿を消した。
黙って姿をくらますくらい、ショックだったのだろうか。
……いや。くろボンは心の中で否定する。あのお気楽しろボンが、そんなタマだろうか。
一応は隊に籍を置いているのだから、給金は支払われるし、食いっぱぐれる心配はない。食堂も安い値段で利用できる。寝床なら、宿舎も使える。もっとも、食堂のごはんは口に合わない―、だとか、相部屋はいやだー、とかワガママ言うから、今まで研究所から通っていたのであるが。暮らすのにはまず困らない。
あるいは、自分から姿を消したのではなく、何か事件に巻き込まれたのか。根拠はないが、それも可能性が薄い気がした。あいつは事件に巻き込まれる側でなく、事件を起こす方だ。
だとしたら、なおさらわからない。グレイボン博士にさえ、行き先を告げずに消えてしまうなんて。
「行き先、心当たりありませんか」
「さあのう。わしも方方を当たってみたのじゃが。今は手が放せないのじゃ。すまないが、くろボン、防衛隊の力で、何とかしてくれんじゃろか」
もちろん、こちらとしてもそのつもりだった。あいつは防衛隊の次期エースだ。みすみす失うわけにはいかない。
もしや、事故にかこつけて、訓練をサボっているのか。さすがにそこまで不誠実だとは思えないが……。
とにもかくにも、しろボンの確保。くろボンは、博士との通信を切って、更地を後にした。
***
居所は、意外と早く判明した。
「ワイは知らんで」
「そうか。では、有力な情報が得られたら連絡してくれ。それなりの謝礼はする」
「金星におるわ」
顔見知りの運送業者に連絡したところ、証言したのだ。
金星は、ネオンに彩られた眠らない街。大きなカジノがそびえ立ち、セレブたちが一夜の夢を買いに来る。合わせて、高級ホテルやバーが立ち並ぶ、一大テーマパーク。一年中観光客が訪れるので、よそ者だろうが目立たない。木を隠すなら森の中。なるほど、見つからないわけだ。
話によると、ここのホテルでボーイをしているらしい。なんだってまた。
休暇を入れて、くろボンは金星へ赴いた。
目に入る光がまぶしくて、思わず目を細める。どんとそびえるそのホテルは、まさしく金ぴか、全面金箔だったからだ。どこかの仏閣か。金の名を冠すゴールデンボン陛下の居城でさえ、もっとつつましやかだ。
チェックインを済まそうと、エントランスに足を踏み入れる。
「いらっしゃ……いませー。ようこそー」
そこにしろボンがいた。
帽子をかぶり、制服を着込んでいたが、まさしくしろボンだ。入り口の脇に控え、笑顔を貼りつけて、手でどこぞやを示している。顔はひきつっているし、挨拶は歯切れが悪いしで、どうにも都合が悪そうだ。
「……しろボン」
「あれー? しろボンって、誰のことでしょうー?」
しろボンと思しき人物は、ポーズを崩さないまま、頭だけ傾げた。
「なんだって、こんなとこにいる」
「人違いじゃないですかー?」
「お前のような間抜け面がいるか」
「まぬっ……人違いですねー」
「しらを切るつもりか」
「人違いですねー」
壊れたロボットのように、同じことしか繰り返さない。
誰がどう見たってしろボンだ。白いからだにさくら色の手足、大きな目と、身体的特徴も一致している。他人の空似、ドッペルゲンガー、生き別れの双子、と言い逃れしようが、一瞬言葉に詰まった反応を考えれば、くろボンの見知ったしろボンであることは間違いない。
だとして何故、他人のふりをするのだろうか。
後ろから、おおい、ボーイさん荷物、としろボンが呼ばれた。これ幸い、としろボンがそそくさと逃げようとする。待て、と腕を掴んだが、ニコッとこわばった会釈をくれただけで、さっさと行ってしまった。仕方ないのでくろボンは、ラウンジに移動して、しろボンの仕事ぶりを観察することにする。
珈琲2杯頂いている間にわかったのは、しろボンにこの仕事が向いていないということだ。あいつは生来のおっちょこちょいだ。つまづいて荷物は落とす、エレベーターを開くつもりが閉める、回転ドアは逆に回す。ニコニコとしてはいるが、どうみても作り笑いで、目じりがひくひくとしている。好きでやっているようには思えない。確かに、給料はいいだろうが。
ときどきこちらを見ては、プイッとそっぽを向かれる。やはり、あいつはしろボンなのだ。しかし、こちらの話を取り合ってくれる様子はない。ひとまずあきらめて、くろボンは、チェックインを済ませることにした。
***
部屋に荷物を置いて戻ってくると、すでにしろボンはいなかった。フロントに聞くと、今日の勤務は終わったという。
しまった。隠れ家を突き止めておくべきだった。どうにもしろボンの様子がおかしいところだらけだったので、そこまで考えが及ばなかった。
携帯端末を取り出して、例の運送業者へ電話をかける。
「あいつがいなくなったんだが。行き先を知らないか」
「ワイは知らんっちゅーねん」
「そうか。なら知り合いに聞いておいてくれ。それなりの駄賃は払う」
「今頃レストランやないか?」
居場所があっさりと割れた。裏通りのレストランで、ウェイターをしているという。いくつも掛け持ちしているようだ。
聞いた住所をたよりに、店を探す。どうやらここらしい。路地の奥のこじんまりとした店で、看板に気づかなければ、飲食店だとも思わない。開いた窓から、チーズの焼けたような匂いが漂ってくるので、誰かしらいるのは間違いない。
ドアを押すと、カランコロンとベルが鳴った。それに反応して、「いらっしゃい……ませー!」と店員が挨拶する。いた。しろボンだ。深い緑の前掛けをして、お盆を手に微笑んでいる。
「もう店じまいなんですけどー」
「嘘つけ。思いっきり支度をしているじゃないか。それに客もいる」
面を貼りつけたような笑顔のままで、しれっとほらを吹く。くろボンが店内を眺めると、これから食べ始めようかという客、メニュー片手に悩んでいる客がいる。どう見ても営業中なのだが。
「そんなに俺と会うのがいやか」
「何のことでしょう―」
「訓練にも出ないで」
「何のことでしょう―」
「グレイボン博士にも黙って」
「……何のことでしょうー?」
一瞬、言葉に詰まって、迷いが見えたが、また元の調子に戻る。
キッチンで調理している店主らしき人物が、「おい、早く案内しろ」としろボンを促す。しろボンはくろボンの腕をひっつかんで、近くの席に無理やり座らせた。まあいい、食事は取ってなかったのだし、食べていくのは構わない。
他に店員はいないようで、必然的に、くろボンの応対もしろボンが担当しなければならない。が、いつまで経ってもこちらに寄りつこうとはしない。手を挙げてみたが、ただいまお伺いしまーす、とか言いながら、一向に来る様子もない。こちらを意識しているのは確かなようだ。
何か手掛かりはないかと、くろボンはしろボンの仕事をつぶさに見澄ました。放っておかれているのは差し引いても、どうにも要領が悪い。さげた皿は落とす、オーダーは取り違える、スプーンが必要なのにナイフを渡す。どういった理由で雇っているのかは知らないが、働かせてもらっているだけありがたいのではないか。
他の客が軒並み帰り、しろボンは空いた席に腰かけた。はあー、と肩を回しながら、深いため息をつく。やはり、かなり疲れているようだ。
「おい、お前、いつまであのお客さん待たせるつもりだ」
「はいいい!」
店主にどやされ、しろボンは心底嫌そうに、こちらにやってくる。ごはん時を過ぎたので、他に客もいない。どうあっても、くろボンに応対せざるを得ない状況だ。
「はい、シュールストレミングサンドですね」
何も言っていないのに、勝手にメニューを決められる。まあそんなことはどうでもいいのだ。ついでなのだから。それよりも、
「どうして知らない振りをする? 何か事情があるのか」
「おじさーん、ニシンの缶詰一丁!」
「おい!」
くろボンはついテーブルを叩いてしまった。しろボンがびくっと反応する。くろボンもはっとして、己の行為を恥じた。感情に流されてしまった。あまりにもかたくなに無視されるものだから。他に客がいないのが幸いだった。
しばし静寂が訪れる。くろボンは目をつむり、静かに声を出した。
「悪いことは言わん。地球に戻ってこい。お前の腕だったら、ここで働くよりも、パイロットを目指した方がずっといい。防衛隊に戻れ」
しろボンは、むぅとした顔でくろボンを見た。前までのような、変に崩した笑顔ではない。いやだ、言うことなんか聞いてやるもんか、言わないでも書いてあるような顔だ。
「……おれは、地球に戻るつもりはないよ。ここで稼ぐんだ」
その言葉には、強い決意がこもっていた。
「邪魔しないでよ、くろボン」
そして、決別の意がこめられていた。
***
適当に時間をつぶし、ホテルに引き返したくろボンは、じっとしろボンのことを考えていた。
あれは、やはりしろボン本人だ。間違いない。何故、そんなにも拒むのだろうか。
俺のことが嫌いか? いや、可能性が全くないとはいえないが、少なくとも、演習に出るまでは無視されることはなかった。いない間に何があったのだ。
研究所が吹き飛んで、何もかもがいやになってしまった? 防衛隊の訓練がいやだったか? 本当に、相部屋がいやとか食堂のメニューが気に食わないとか、そういう理由か。ここで働く方がいいと言うのだろうか。
だとして、博士に何も告げないのはどういうわけだ。居所を知られるのを恐れたのか。
ここ2日の働きを見るに、しろボンが、金星での仕事に向いているとは思えないし、心から喜んでやっているとも思えない。それでも、地球にいるよりずっとマシなのか。
滞在期間は明日まで。これ以上、隊に穴をあけられない。なんとしてでも連れ帰って、それで。
──本当に、いいのだろうか。
ふと、疑問が頭をよぎった。
拒絶されているのは明確だった。仕事が向いていない、楽しそうではない、そう思うのはこちらの都合だ。防衛隊の次期エース、というのも勝手な期待だ。もしかしたら、それらがいやになったのかもしれない。
研究所が壊れたら、居場所は防衛隊にしかない。練習や稽古に明け暮れる毎日になる。さらに、勝手に理想や願望を押し付けられるなんて、あいつにとっては窮屈でしかないだろう。俺に拒絶反応を示すのも、頷ける。
そうだ、もともと探しに来たのだって、しろボンが心配だったからではないのか。隊の話はその次だ。住処を失って、少なからず傷ついていたのだろうに。当然の気遣いすらしなかった。
くろボンは窓から階下を望んだ。金星の、きらびやかな街並みが見える。このどこかで、またしろボンは稼ぎに出ているのだろうか。
明日、もう一度だけしろボンに会おう。それであいつが戻るかは、本人に任せるしかない。
そう決めて、くろボンは床に就いた。
***
またしてもしろボンはいなかった。ホテルで姿は見なかったし、昨日の店はまだ開いていなかった。そんな気はしていたので、くろボンはあらかじめ運送屋に確認をしておいた。
「ホテル、レストラン、他にはどこで働いている?」
「だから知らんちゅーとるやないか!」
「そうか」
くろボンは電話を切った。とすぐに、折り返しがかかってくる。
「待て待て待て! なんで切るねん!」
「知らないのだろう? なら別をあたる」
「そこはまたチップくれる流れやろが! というかこの前の、まだもろてへんのやけど!」
「店には行ったが、人違いだと言われたから仕方がない」
「なー! んなわけないやろが! あんなアホ面、しろボン以外におらへん!」
という流れで、聞き出すことに成功した。
この時間だと、朝までやっているバーにいるようだ。深夜から朝までバー、お昼前までレストラン、午後からはテーマパークのモギリ、夕方からはホテルのボーイ。あのサボリ魔のしろボンが、どうしたことだろうか。一体いつ食べて、いつ寝ているのか。
くろボンは、言われたバーを訪れた。雑多に建物が生えような、歓楽街の一角。他の店は軒並み閉まっているようで、ひっそりとしている。そのバーは、ちょうど店を閉めるところで、しろボンが看板を下ろしていた。
「あ……」
目が合って、しろボンが逃げ出そうとする。
「待て!」
しろボンの足が止まった。そろそろと、こちらを振り向く。
少し間をおいて、くろボンは切り出した。
「……悪かった」
くろボンは目を伏せた。
「もうお前を連れ戻そうとはしない。ここにいたいというのなら、それでいい。ただ今日は、帰らなくてはいけないから、お前に一言、言っておこうと思ってな」
もう一度しろボンに視線を合わせる。しろボンは、神妙な面持ちで、こちらを見つめていた。困っているとも、泣き出しそうともとれるような目で。
そうっと、くろボンは声にした。
「無事でよかった」
瞬間、しろボンの目が潤むのがわかった。よかった、泣かせるつもりはなかったけれど、声が届いたようだ。それだけで十分だ。
くろボンは踵を返す。元気でな、体を壊すなよ、そう告げて。
後ろから、しろボンが叫ぶのが聞こえた。
「くろボン!」
足を止めて振り返る。見るとしろボンは、涙で顔をぐっちゃぐちゃにして、むせびながら鼻水をすすっていた。
「おれ……いつか帰るから。借金返したら、地球に帰るから!」
……借金?
***
店内は薄暗く、窓から差す朝の光が、ぼんやりと照らしていた。それほど中は広くない。調度品は古びてはいたが手入れがされていて、上品な雰囲気を感じた。
マスターの厚意で、店に入れてもらった2人は、向かい合って席に腰を下ろす。しろボンの顔がひどいのを不憫に思ったのか、おしぼりが差し出され、それで涙と鼻水をごしごしとこすっていた。人心地ついたようで、ふーっと息を吐きだすと、いきさつを話し始めた。
「研究所がああなったのは、おれのせいなんだ」
しろボンが、ぽつりと呟く。
「夜中に、トイレ行きたくなって。暗かったから、電気つけようと思ったんだ。寝ぼけて、適当なスイッチ押してたら、いきなりサイレンが鳴って。ボカーン! って爆発して、屋根が飛んで、壁がバラバラーって倒れて、もう、おれ、びっくりしちゃって」
なんだそれ。
「すっかり目が覚めて、ハカセと一緒に外に出たんだけど、研究所は火でまっかっかだった。ハカセはへたり込んでわんわん泣いてるし、おれ、とんでもないことしちゃったなって」
くろボンは、ものすごく口をはさみたい衝動に駆られたが、そのまま黙って聞いていた。
「おれのせいでこうなったんだから、なんとしても、研究所を立て直さなきゃ男じゃない。だから金星に稼ぎに来たんだ」
「……なるほど」
説明がひと段落したところで、くろボンは深く息をついた。あまりにも、突拍子がないというか、くだらないというか、ぶっ飛んでいるというか。実際研究所はぶっ飛んだのだが。感想を挟む余地もなく、ただただ頷くしかできなかった。
「事情はわかったが、別に、金星に来る必要はないだろう。お前は防衛隊員でもあるのだし。それに、何故俺を無視した?」
「だってー、くろボン、見つけたら、おれを連れ戻そうとするでしょ」
「それは……そうだが」
「防衛隊の稼ぎじゃ足らないもん。そりゃあ、寝て食べて、たまに体を動かして、ボンバーファイター乗るだけの簡単な仕事だよ? けれど、隊員って、お店で働けないじゃん」
しろボンはテーブルに体を伸ばしながら、ぶーぶーと不満げだった。ものすごく、くろボンはものすごく言いたいことがあったが、ここは飲み込んだ。
そう。防衛隊員は、他の組織に所属することを禁じられている。端的に言うと、家でやる内職はいいが、外で働くバイトはダメ。もっとも、防衛隊員は、所属するだけで名誉なうえ、給金だって地位にもよるが高めなので、掛け持ちするという人間自体が珍しい。
「家一つ建てるんだったら、ものすごくお金が必要だもん。だったら、カジノでどーんと稼いだ方が早いよ。お金持ちがいっぱい来るから、おこぼれにもあずかれるしね。
てなわけでくろボン! おれ、一億ビーエン稼ぐまで帰らないから! ハカセによろしく!」
調子よくしろボンは敬礼の真似をして見せた。左手で。正しくは逆の手だ。ものすごく物申したかったのだが、指摘する気になれなかった。
こいつはこいつなりに、負い目を感じて、責任を果たそうとしたのだ。そうか。くろボンは一人頷いた。ならば、とても残念なことだ。
じゃあ、話は終わったとばかりに、しろボンが腰を浮かす。くろボンはそのまま背中に言葉を投げた。
「しろボン、すでにその問題は解決している」
「……え?」
しろボンが、こちらを向いて固まった。
くろボンが現場に駆け付けたとき、真っ先に感じた違和感があった。
──確かに、無い。きれいさっぱり、無くなっていた。土台も、骨組みさえも。
こんなことがあるだろうか。瓦礫は片付けられたとして、建物の骨組みさえ無いのは不思議だった。土台ごと根こそぎ無くなっているのもおかしい。元から研究所なんてものが、存在しなかったようだ。それだけ吹き飛んだというのなら、近隣にも大きな被害が出ているし、まず中にいた博士としろボンは無事で済まない。
ところが、2人は生きているらしい。
思い出して、くろボンはグレイボン博士に電話を掛けた。
「もしもし、グレイボン博士。防衛隊のくろボンです。研究所の件、聞きました。誠にご愁傷様です。おからだだけでもご無事なのは幸いでした。ところで……」
くろボンは、かつて研究所があったはずの、更地を一瞥する。
「研究所は、新しく建てるおつもりですか?」
そう切り出すと、「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに、電話の向こうでグレイボン博士が息巻いた。
「わしが常々心配してたのはな、わしの研究が悪用されることじゃ。何しろ天才じゃからのう。あんな発明やこんな発明が、悪い奴の手に渡ることだけは避けねばならん。いざとなったら、研究所もろとも消し去らねば。もったいないがの。
じゃが、実際研究所が吹き飛んでしまった。それを見て、思ったのじゃ。効率が悪いなと。爆破は男のロマンじゃが、また新たに建て直すには、ちぃーとばかし骨が折れる。
そこで閃いた! もう、研究所ごと身を隠せば良いのだと。簡単にいうと、家ごとお引越しじゃな。
せっかく敷地がスッキリしたのだし、これを機に、システムから作り直そうと思ってな。目下、引きこもって図面を引いている最中じゃ。くろボンよ、楽しみにおるがよいぞ!」
ハハハハハ……と高笑いが響きわたる。くろボンから尋ねるまで、ついぞしろボンの話はなかった。
「そんな調子だから、博士は気にしていないと思うぞ。費用面だって、保険は降りるし、補助金も出る。まあ、すぐに研究所は建たないだろうが、仮住まいなら紹介できる。とにかく博士に会ってやれ。防衛隊は、お前の気が向いたらで……」
話しながら、くろボンは、テーブルが揺れていることに気がついた。いや、テーブルではなく、しろボンが震えているのだ。
「……あったまきた!」
バン、とテーブルを鳴らす。
「なんだよ、おれがこんなに必死になって働いてたってのに! ハカセのバカ!」
怒りのまま、しろボンは何度もテーブルに手を打ち付ける。
まあ、もっともだな。くろボンは、冷めた目でそれを見ていた。
「もう! こうなったら、マスター! 生! 生ビール! ジョッキで!」
ひときわ大きくテーブルを鳴らすと、しろボンは振り返り、後ろでグラスを拭くマスターに、大声で呼びかけた。
「おい、まだ朝だぞ。というか、飲んでいいのか……」
「飲まずにやっていられるか! あ、そうだ。くろボンも飲めよ。マスター! もう一個! 生ね!」
まだ素面だというのに、酔っ払いのように管を巻かれる。こちらの話も聞かず、勝手に注文されてしまった。
付き合ってやりたい気持ちはあるが、明日は仕事。くろボンはこっそりと、自分の分を炭酸水に変えてもらった。
「……研究には何かと物入りだし、お前の努力も無駄ではないと思うぞ?」
「いいもん。なぐさめてもらわなくたって。くろボンはやさしいね。一緒に飲もう、朝が来るまで」
もうその朝なのだが。まさか一日中飲んだくれるつもりだろうか。
まもなくして、2人のジョッキが到着した。しろボンはそれを一気にあおると、盛大に胃の中身をぶちまけた。
