くろボンの違和感が確信に変わったのは、昨日見かけた医者を今日も認めたからだった。
あの時はちょうど通用口を出るところだった。病気知らず、医者嫌いの国王がかかるとは珍しい。定期健診すら裸足で逃げ出すくらいだ。まあ、何か用でもあったのだろうとその時はそう思った。
けれど、今日は勝手が違う。
医者の出てきたのが、王子の部屋だったからだ。
道理で仕事が捗ると思ったのだ。そうか、あいつがちょっかいを出してこなかったからだ。父に似て、あいつも病気知らずの医者嫌い。明日は槍でも降るのではないか、と肝心の王子より明日の天気の方が心配になってしまう。
くろボンは興味本位で、医者につと寄り尋ねてみた。
「やあ。王子はお加減でも悪いのか?」
「えっ」
医者はびくりと体を震わせる。いきなりで驚かせてしまっただろうか。……そんなに怖かっただろうか。
「た、大したことはなさそうなんじゃがね」
「どういった病状で」
「いや、それは……」
どうにも歯切れが悪い。医者は落ち着かない素振りでしきりに眼鏡の枠を動かしている。目も焦点を探してあっちこっちに泳いでいる。これは嘘を巡らせている人間の仕草だ。
「で?」
語気を強めて聞いてみると、医者は「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。
脅すつもりはないが、煮え切らないのは好きでない。
医者はしどろもどろになりながら、か細く答えた。
「よく……わからんのです」
なんだそれは!
医者の胸ぐら掴んで揺さぶってやりたかったが、それはあまりに粗暴、白衣の襟を掴んだところで思いとどまった。解放された医者は、そそくさと逃げ帰っていく。
よく考えてみれば、これといって他のどの病気にも当てはまらないものを風邪というし、王子とてきっとそんなところだろう。
とはいえ、だ。
風邪といって思いついたのだが、そういえば、この間王子が雨の中また城を抜け出したことがあった。通り雨だったから、はたまたそこまで考えが及ばなかったのか、邪魔だったからなのかは知らないが、傘は持っていかずにずぶ濡れでいた。あれが原因だろうか。
一応はあの場に居合わせた俺だ、超健康優良児と高をくくって、まったく気に留めなかった自分にも責任があるかもしれない。
いや……勝手に城を出て行ったのはあっちだぞ?
しばらくその場でぐるぐると考え込んでいたが、どうにも悪いことをした気になって、一つ間のあとくろボンは城下町の方へ歩いて行った。
***
自分に関係あるにしろないにしろ、臣下として王子を気に掛ける『パフォーマンス』はしておいてもいいかもしれない。
直接会えば、どんな様子かもわかるのだし。
そう結論付けて、くろボンはお見舞いに行くことにした。別にあいつを心配している訳ではない。そう、お見舞いではない。茶をしばきにいくだけだ。
ひとまず手土産として、ライチのアイスカップを買ってきた。本当に風邪ならアイスはいいだろうし、風邪でなくても食べるだろうし。
そうして再び王子の部屋の前に来ると、今度は入口の脇を、兵士たちが固めていた。
なんだ、ものものしい。
訝しみながら、ドアの前に立つと、さっと進路を兵士にふさがれた。
「何の御用でしょうか」
「王子に見舞いだ」
「誰も居れるなと言われております」
「俺でもか」
「ええ」
どうやらこの兵士の職務に対する忠実度には並々ならぬものがあるようだ。上司である俺ですら入れようとしないとは。
「誰の命令だ」
「王子です」
「王子」
思わず言葉を繰り返した。
どういうことだ? あいつが俺を阻んでいる?
いつもこっちが来てほしくない時に来るくせに、自分はこうして閉じこもるなど、なんて身勝手な。
あるいは、流行り病か何か、うつるような病気なのだろうか?
それにしては、兵士たちのこの落ち着きよう……。
王子ともあろう奴が流行り病にかかろうものなら、城中ひっくり返したような騒ぎになっていてもおかしくない。
なんとも推理がつかず、くろボンは兵士に尋ねてみる。
「王子はどのような状態なんだ?」
「存じません」
だよな。知っていても教えないだろう。そのくらい、兵士の意志は固いとみえる。
そんなよくわからないものに付き合っているのも馬鹿らしくなって、くろボンは袋を兵士に押し付けた。
「ならばこれ。王子に渡しておいてくれ」
返事を待たずにその場を去った。
踵を返した後で、自分の分も入っていたのだと気がついたがまあいい。普段のあいつなら、アイス二つ分くらいぺろりと食べられるだろう。
そう、普段通りのしろボンなら。
***
やっぱり杞憂だったのか、次の日王子は普通に食事の席にいた。
くろボンが見かけた時には、食事を終え、給仕が皿を片付けている最中だった。しろボンも腰を浮かせたところで、二人の目があう。
「あっ……」
なんだかしろボンはきまりが悪そうだ。先日見た、医者の様子とまったく一緒。眼鏡こそかけていないが、視線が完全に明後日を向いている。
「お元気そうで」
くろボンはもちろん、皮肉の意味を込めて言う。
食べ終えた皿を見ると、ご飯一粒、ドレッシング一滴すら残っていない完食ぶり。料理人はさぞかし冥利に尽きるだろう。床を上げたばかりだからか、いくばくか顔が白いような気もするが、これだけ食べられるのなら大した心配はいらないように思える。
……こんな奴に、気を取られていた自分が情けない!
「ええーっと」
「昨日おととい、一体何をしていたんです?」
「えええーっと」
どうにも歯切れが悪い。そんなに隠しておきたいことなのだろうか。
しろボンは何とかはぐらかそうと、思案しているさまが見て取れる。涼しい城内にあって、冷や汗がだらだらと異常なほど流れ落ちている。
「あ……あのアイス美味しかったよ!」
「食べたのか」
「あっ……うん」
「二つとも」
「うん……」
しろボンの言葉尻がすぼむ。
「ごめん。ありがとう」
「いえ、礼には及びません」
王子が二つとも召し上がるのは想定の範囲内ですし。
いつもよりしおらしい態度でくるので、なんだか毒気が抜けてしまった。お礼を言われて悪い気はしない。
「それで……」「ごめん!」
くろボンが口を開きかけたところで、しろボンは一言残して、廊下から一目散に駆けていった。
部屋から体をのぞかせた時には、足音の残響が聞こえるばかりで、もう姿は見えなかった。何という逃げ足だ。
残されたくろボンは、たただた呆気にとられるばかりだ。
本当に風邪だったのか? 俺が迎えに行くのが遅かったからか? けれど、朝食をぺろりと完食、アイスも二つ頂いて、あまつさえこんなに速く走って逃げられるくらいの体力があって、風邪とは一体何なんだろうか?
結局原因はわからずじまいだ。
***
王の執務室に移ってからも、疑問はちらちらと頭をよぎっていた。
「……東側城壁の補修工事は予定通り来月から行いますので、関係各所に案内を出しておきました。庭園の植え込みの剪定は明日から業者が入ります。一番通りの轍が深くなっており、住民からの要望も出ておりますので、明日以降日程と予算、規模を話し合いたいと思います。パトロールは昨日も異常はありませんでした。本日は詰所周りの草むしりを予定しております。あとは……報告事項は以上です」
「うむ。決裁文書はそこに置いといてくれ」
ゴールデンボン王はやる気六割ぐらいのいまいち重みがない返事をする。
この国王は油断するとすぐ城を抜け出す。今日も何か企んでいるのだろうか。訝しみながら、念を押しておく。
「三日の内に承認印をお願いします」
「わーっとるわーっとる」
先ほどよりぞんざいな返事である。
本当にわかっているのなら未決裁文書が片手で掴めない高さにはなっていないはずだ。と、くろボンは承認待ちの書類の束を細目で見つめた。たまった仕事の割をくうのはこちらなのだ。まったく、親子そろってサボり癖があるのは遺伝なのだろうか……。
「そういえば」
ゴールデンボン王は思い出したように、虚空を見上げた。
「おぬし、しろボンが倒れた、という話は聞いておるか?」
「は」
ちょうど今しがた考えていた。なんだかんだ言ってこの王は鋭い。王の目線が合わさって、どきりとした。こちらの考えを見透かしたかのようだ。
「直接は聞いておりませんが……何やら物々しい様子ですね。一体何があったのです?」
出入りする医師。立ちふさがる兵士。挙動不審な王子。やる気のない国王。もっとも、後ろ2人は、いつもの通りなのであるが。くろボンの知らないところで、何かが動いているのは明らかだ。謎なのは、どうして自分に隠し立てするのかということ。
答えを求めるように、真剣な眼差しを返した。
「それがな……」
王は、ふうとため息をついて、書類を机の傍らに置いた。
「わからんのじゃ」
「わからない???」
思わず声が裏返ってしまった。困惑するくろボンをよそに、ゴールデンボン王は続ける。
「医者もわからん。兵士たちも知らん。しろボンは覚えておらん。わしも聞かされておらん。もちろんおぬしも見当がつかんじゃろう」
「ええまあ」
「みーんな、忘れてしまったのじゃ。どうしてこうなったのかを。わしの推測では、しろボンがおぬしに対抗意識を燃やして、背を伸ばしたいばっかりに、牛乳を飲みすぎておなかを下し、恥ずかしいので治るまで部屋にこもり、差し入れを平らげたことで再び寝込み、わしから話を聞かされたおぬしが、しろボンに問い詰めて事件の全貌が明らかになり、雨降って地固まる、二人は夕日に向かって走り出し青春を……」
「もういいです」
地平のかなたまで続きそうな物語を、くろボンは無理やりにさえぎった。あまりのわけのわからなさに、頭が痛くなってくる。
「ビーダの神は、我らをどうするつもりだったのかのう」
知るか。知りたくもない。
自分が悩んでいたのは何だったのか。
「というわけで、わしも夕日に向かって走ってくる」
くろボンが頭を抱えている隙に、いつの間にか、国王は開けた窓のへりに足をかけていた。こちらに片手を挙げて見せたあと、「あとは任せたぞ!」と颯爽と向こうに消える。
「おい、待て!」
今は真昼間だ。常語の無礼も辞さずに引き留めたが、聞き届けられることはなかった。「待てと言われて待つ奴はおらんもーん」と、かすかに聞こえた。あの国王。主君でなかったら、その金にまばゆい体を鉱山に埋めてやる。
残されたのは、古紙回収でトイレットペーパーがたくさん作れそうな、未決済書類の山。
デウス・エクス・マキナ。あまりに突拍子もない幕切れに、くろボンは一人立ち尽くした。
書きかけのままその後の展開を忘れてしまったので無理やり仕上げた
