グライフ。現状最高難度G。
これを飛べるのは、宇宙でただ一人しかいない。
「レバー上! バーニア出力MAX、ペダルを強く踏め!!」
声が聞こえてはっとする。反射的に言われた通りにすると、機体はふっとお天道様を向いたのち、そのまま頭から宙がえり、辺りの木々をなぎ倒しながらようやく止まった。幸い安全装置が働いて、体を強く打ち付けるのは免れたものの、弱くはあちこちぶつけていて、そこかしこが鈍く痛む。
「ってててて……」
ハッチをどうにかこうにか開けて、頭をさすりながら周りをぐるぐる見渡した。何本もの木が根元から折れている被害状況、思わずさする手も止まった。下を見れば、到底英雄の搭乗した機体とは思えない、ガイアボンバーファイターが大の字になって地面を抉り伏している。あそこから降りた、いや落ちたんだっけ……ため息をつきながら天を仰ぐ。
「たいした怪我ではないようだな。ガイアも……大きな損傷はなさそうだ」
くろボンがゆっくり歩いてやってきた。しろボン、続いてガイアを一瞥する。いやいや、こっちは大惨事だっての! なにゆっくりしてるんだよ! 言いたい気持ちをこらえ、口をつぐむ。
あと一週間後に、地球守備親衛隊結成記念式典、というやたら漢字の多いイベントが開催される。要は、親衛隊の航空ショーだ。今となっては親衛隊の年を代表する行事の為、にわかに隊員兵士も色めきだって、栄えあるパイロットに選ばれた者たちは、こうして郊外で日々練習を重ねている。
けれど、しろボンは隊員ではない。練習しているのには理由があった。
「それより、くろボンの方はどうなんだよ」
「さあな」
くろボンは己の掌を見つめる。
「まだ搭乗許可は出ない。あと五日か六日、様子を見て判断するそうだ」
「それじゃあ間に合うかどうかわからないじゃん……」
呟いて、しまった、と思った。くろボンがそのまましろボンを見つめる。気にしている様子はなさそうだ。しばらくして、視線を外してふぅと息をつく。
「今日はここまでだな。セレスに連絡しとけ。ガイアを運んでもらえるだろう。細かい傷を気にしなければ、また明後日には飛べるだろう」
「明後日!」
それでは一日ロスだ。あと一週間しかないのに。
くろボンが間に合わないかもしれないのに……。
「くろボンは、これから?」
「走り込んでくる」
そう言ってこちらも見ないままロードワークに消えた。
足音が徐々に遠くなっていく。しろボンには、その背中を見るのが、つらい。
自律神経失調症。それがくろボンの診断結果だった。
時々、何でもない時に腕が震えるそうだ。あるいは、固まって動けなくなることもあるらしい。
そんな状態では、当然ボンバーファイターに搭乗する許可が下りる訳もなく、宇宙一のエースパイロットは、空を舞うこともなく、人々の喝采を浴びることもできない。それが、しろボンには何よりも口惜しい。
一度見た、彼の愛機、ハデスの曲技飛行。雲が見つけられないくらいの快晴。陽気に淡い空の青色。一面のカンバスを裂く風、あるいは流れ星、その正体はボンバーファイターTYPE-99/MODEL:HADES-sky-unitver.。見た瞬間、視線も呼吸も心もすべて持っていかれた。憧れた。だって、これ以上に格好良いものなんて知らなかった。
しろボンがこうしてガイアに乗っているのもそのためだった。あんな風に飛びたい、そう思って、親衛隊の訓練に混じって練習を重ねた。実際、操縦技術に関しては一目置かれるほどの才があった、らしい。他の隊員が二年かかるところを半年足らずで身に着けて、くろボンの再来、などと呼ばれた。少しいい気になっていたのも事実。
だけど、グライフ。それを飛べるのは彼しかいない。いくら練習しても飛べなかった。今の様に。
あと一週間、くろボンが飛べないのなら、せめて自分が飛べるように──。
けれど結局、式典まで許可は下りなかったようで、それ以来くろボンの姿も見ていない。
***
大丈夫。大きく息を吸い込みながらもう一度、大丈夫、と言い聞かせて息を吐く。
式典当日も、かつてしろボンが見たあの日と同じような、暖かい日差しに青が照らされた快晴だった。少し違うのは、風がちょっとあるくらい。でもそんなことは取るに足らない誤差範囲だ。
会場の周りには、びっしりと、数の子かイクラかを詰め込んだように人々がひしめき合っている。王国の王子がフライトするとなっては、ただでさえ娯楽の少ない国民にとって、関心を引くのは十分である。……いや、あれは人々ではない、本当に数の子かイクラだ。だから緊張する必要などないのだ。そう思い込むことにする。
最高難度のグライフはこのショーでも大トリで、一目見ようと人々が期待に目を輝かせている。王子の腕前はいかほどか、きっと隊長かそれ以上に違いない、そんな輝きだ。
実のところ、現時点での成功確率は、一割。四捨五入して。
そんなの野球選手ならすぐ戦力外だ。でも、他の技なら十割成功する自信がある。グライフだけ、それだけだ。仮にも男子なら、その一割の成功に賭けて挑戦するべきではないのか。何より、くろボンがいないのだから。
いよいよ定刻になって、しろボンは他の隊員たちと共に、観客たちに手を振って見せる。ここで一つ気がついてしまったのだが、帝国時代にほとんど作られたボンバーファイターは、基本カラーリングが暗色なのである。一方、ガイアは白。ただでさえ注目を浴びる。失敗なぞしたら一目瞭然だ。
だがもうそれは仕方ない。コクピットに入り、ハッチを閉めて、ロック。操縦席に身を預け、フットペダルに足を置き、レバーを握りしめる。演目はなんとか頭に叩き込んだ。いざとなったらアドリブだってできる。ラスト以外は……!
次々にボンバーファイターは飛び立つ。白のボンバーファイターは最後尾だ。天高く、観客が豆粒ほどの大きさになるまで舞い上がる。ポジショニング。ダイヤモンド型に並ぶフォーメーション。そのど真ん中、ガイアボンバーファイター。
矢は広角に開いてゆく。しばらく水平飛行。そののち360度回転。いっぱいまできたところで、下方斜めに翻り、スライスバック。
そのまま機体を横に立て、スライドするように飛んでゆく。体を戻し、上方へループ。てっぺんで捩じり、お腹を下に向ける。ぐるりと頭から弧を描きループ。また捩じらせ、元の姿勢に戻す。アウトサイドループ。
これらは簡単だ。遊び……と言っては聞こえが悪いが、何度も何度も試した。成功率十割。問題は、この後。
機体が観客の捉えられる位置を走る度、わっと沸く。颯爽と駆け抜けて、上空に、お天道様に重なるように舞い上がる。
他の機体が、束となって、まっさかさまに落ちてゆく。着くか、着くんじゃないか、思ったギリギリでぱっと弾ける。まるで花弁の様に広がってゆく。これも危険な技だ。拍手と歓声が波うった後、残り一体にすべての視線が集中する。その最後。
人が見える。こっちを向いている。
呼吸がだんだん乱れてくる。汗が垂れる感覚が、遅れてくる。
目を瞑り、聴覚を遮断する。聞こえる鼓動だけの空間。徐々に鳴り響いてゆくのと反比例して、静かに。
ペダルを、離した。
レバーを傾ける。
(大丈夫、きっとうまくいく)
頭と足が逆さまになる。全身に、重力。地に吸い込まれる。加速してゆく。
さらにペダルを『踏む』。ジェットバーニアはマキシマム。
即座にレバーを引く。体が翻る。
空中に立つ。天から日差しが視界に注ぐ。
足をペダルから離しバーニアをミニマムへ。
勢いは止まらぬ。
後は、人の居ない場所へ降り立つだけ。いや、刺さるだけ。
(──出来た……!)
空の青が尾を引く。
この技は、最大速度で弧を描き落ちてゆくものなのだ。少しでもタイミングを見誤れば、バラバラに砕け散るのみ。
成功率一割未満、それをこの大舞台で成功させてみせた。炭酸水の泡が昇って弾けるような喜びが胸に満ちる。
そうだ──くろボンは見ていてくれただろうか。
一瞬の雑念。それが、最後の最後の、一手のタイミングを遅らせる。
安全に着地するために、一瞬だけジェットを最大噴射する。出力が、追いつかない!
人の顔が、わかる位置にまで。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!!
落ちる!
人々の、悲鳴とも付かない叫び声が、耳に引きずられて響く。
強い衝撃。反動で体が一瞬浮く。また席に着地する。
──生きてる?
割れんばかりの拍手が遠くに聞こえる。噴射音がする。落ちたのか? いやなんで、自分は地べたを滑っているのだろう……?
地に向けた眼を、天に向けた。
鼓動が止まる。
あれは。嘘だ。そんな訳がない。
逆光に照らされているのに、太陽よりも、目に焼き付く。
宇宙空間の中にあるような、しかし決して光を遮断しているのではない、深い濃藍。ところどころに散らされる、赤や紫。そのカラーリングを、しろボンは、数年前から彗星と憧れてきた。それが今、頭上に現れている。
「ハデス……」
宇宙一のパイロット、『彼』の機体。
思わずため息のように漏らしていた。回らない頭で事態がよく飲み込めなかった。おそらくは、ハデスに機体を掴まれているのだろう。それも、腕ではない、脚だ。レッグユニットで、ガイアを吊っているのだ。
多少の振動を伴って、無事ガイアは地に降り立った。ハデスは飛び立つ。呆然と、ハデスを追って、視線が浮いてゆく。
(まさか……)
太陽と重なる。あの時と同じだ。風は止む。胸の鐘が打ち付けてくる。
ハデスは止まって、
落ちた。
グライフ──別の言葉では、『グリフォン』だとか『グリュプス』とか言って、鷲の翼と爪、獅子の体躯を併せ持った、想像上の生き物らしい。それが技の名前の由来だ。誰かがそう呼んだのだ。
普段、百科事典など滅多に開かないしろボンが、この項目だけは擦れて破れるほどに読んだ。画家が描いたらしい想像図は、金色の翼をいっぱいに羽搏かせて空を舞っていた。強く、気高い、天空の王。女神の馬車をひくグライフは漆黒だそうで、それはもう、ハデスコスモ、くろボンにしか思えなくなった。その女神が復讐を司るというところに、彼の捻くれたところを合わせて笑ってしまったけれど。
天空の王は、矢が放たれるように、落ち、空を切り、風を起こし、一度半身を旋回し、その鉤爪で獲物を狩る。優雅でありながら、一割一分一厘、毫ほどの隙も存在しない。
そう、あれこそハデスボンバーファイター、TYPE-99。だが、しろボンの眼には、鷲の持つ金色の翼と、獅子の白い体躯と、嘴、爪、すべてが重なって見えた。
瞬きを思い出したとき、拍手と歓声の沸騰が身を走っていった。もはや、夢なのか現なのか混じりあって分からなくなっていた。
***
「くろボン!」
すべての行程が終了し、格納庫の裏でハデスのハッチから出てくるところを捕まえた。くろボンは、別段驚く体もなく、素気ない仕草でこちらを向いた。
「なんだよ! 乗るなら言ってよ! おいしいところ持ってっちゃって……」
しろボンはハデスによじ登る。くろボンの顔を見た途端、言葉に詰まって、格好良かったよ、とか素直に褒める台詞が出てこない。俯いて声を絞り出すのが精いっぱいだ。
「乗れるかはわからなかった」
「え?」
しろボンが聞き返す。
「最後まで許可は下りなかった」
くろボンの手元を見れば、不自然なほどレバーが強く握られていた。もう演目は終わったというのに。おそらくは自力でどうにかなるものではないのだろう。しろボンは症状を見たことが無かったが、これがそうだと一目に理解した。そして、本当に全く治っていないとも。
「……どうしてそんな無茶したのさ」
まったくの健康体の自分が、あわや墜落するところだったのだ。あのレーザーのようなスピードで地面に激突したら、たちまち木端微塵、一発であの世行きだ。まず命はない。というのに……。
「この前、お前の練習を見て、あまりに無様だったものだから、これなら俺がやったほうがましだと思ったからだ」
「どうしてそんなこと言うのさ!」
たった、それだけの為に?
しろボンにはそれが信じられなくて、思わずくろボンに掴みかかろうとする。間違えればくろボンが死んでしまうところだった。それなのに、まだ減らず口を叩くものだから、どうしても許せなかった。だけど、病人だということを思い出し、腕だけ掴んで軽く揺するに留まった。
何度も何度も揺すったところで、気持ちがふっと静かになり、手が止まる。
「……だったらせめて、一番近くで見たかった」
半ばうわごとのように独り言ちた。くろボンが鼻を鳴らし、こちらに視線をくれる。
「特等席で見ただろう?」
「そんなことじゃなくて!」
もうなんだか、宇宙一の演技を見られたのが嬉しいのか、そのパイロットが自由でないのが哀しいのか、本人はまったく意に介してないのが腹立たしいのか、それでも無事であったことがやっぱり嬉しかったのか。分からなくなって、次第に声が潰れて、大粒の涙だけ漆黒の機体に滴った。
