はあ、と吐いた息が、白く染まってふわっと消えた。ただの呼吸、何気なく吐いた息だというのに、情緒すら感じてしまう。頬に触れる空気が冷たい。まるで水の中にいるようだ。
天には、月。雲はない。冬の澄み切った空で、こうこうと光を放っている。
「きれいだねえ」
「あ……まあ」
隣のしろボンが呟くのに、くろボンは同意しかけて、やめる。あることが、頭をよぎったからだ。
『月が綺麗ですね』。
昔、どこぞの文豪が言ったとか。「I love you」、私は貴方を愛しています、と訳すのに、「月が綺麗ですね、とでも言っておけ」と。どうやら俗説のようではあるが、割と広まってはいる。
くろボンが、あいまいな返事しか出来なかったのは、やはり知っていたからだった。そして、このしろボンが、どういう意図で言ったのか、計りかねたのだった。
確かに、月は綺麗だ。
空の一番高いところ、青白く輪を浮かび上がらせ、その光は、この寒い中にあって、あたたかいようにも感じられた。うさぎロンの餅つき、あるいはカニロンだなんて言われる模様も、目視でくっきりと見える。
月を見るのは久しぶりだ。久しく空なんて眺めてなかった。
きっと、しろボンにせっつかれなかったら、見向きもしなかったに違いない。
どうやら、王子の部屋からは、月が見えないようだった。それで、屋上に出たいと言うのだが、こんな真冬のくそ寒い、しかも夜、外に出たいなんて言い分、通るわけがない。案の定、くろボンが引っ張りだされることとなった。「一緒なら平気でしょ?」ということで。俺の仕事量としては、全然平気ではないのだが。
はっと気がつくと、隣でしろボンがむくれていた。どうやら、くろボンの返事が適当に聞こえたらしい。
「きれいじゃないのー?」
「いや、綺麗だとは思うが、まあ」
どう答えたらいいものか。はたしてしろボンは、もう一つの意味を知っているのか。下手な返事はできない。どうにも目が泳いでしまう。
困り果てて、しばし頭に手を当て考えたのち、正直に打ち明けることにした。
貴方が好きです、という意味もあると。
「へえ」
しろボンから出たのは、そんな言葉だった。
……はあ。くろボンは深いため息をついた。顔の前で白く広がって、また露と消える。この反応からするに、知らなかったのだろう。それなのに、こんなに悩んだ自分が馬鹿らしい。
「確かにね、こんなきれいな月だったら、好きな人と見たいもんね。……だけど、昔の人って、回りくどくてわかりづらいなあ」
しろボンは、月に目をやった後、またくろボンに顔を向けた。
「おれだったら、直接言っちゃうな。くろボンが好きです、って」
そう言って微笑んだ。
思考が止まる。その顔が、あまりにもおだやかで、やわらかくて、それこそ、月のような──いやいや。くろボンは、小さく頭を振る。息がつまる。何も言えない。身を切られるくらい寒いのに、顔だけなんだか熱い気がする。
動揺が、向こうにも伝わったらしい。ちょっとして、しろボンが、ぷっと吹き出して笑った。それは、こちらを嘲ったというより、場を和ませるようなものだった。
「くろボン、オレが告白したと思ったの? 月がきれいです、って言ったのを」
「そんなんじゃない」
そんなんではあるのだが。本気だとは思っていない、けれど、可能性は考えた。手玉に取られているようで、素直に認めるのはなんだか癪だ。
「そういう意味もある、と知っていたから、とっさに返事が出てこなかっただけだ」
「なるほどねえ」
しろボンは、軽い調子で頷いた。そのまま、少し黙って、
「……勘違いしてくれても、よかったよ」
「は?」
「べっつにー。なんでもなーい」
もう一度聞き返したときには、しろボンはおどけて取り合わなかった。
……本当は聞こえたけれど。本当に、そういう意味で受け取っていいのか、と思って、聞き返したのだけど、結局真意はわからず仕舞いだった。
「ねえ」
しろボンが声を掛けてくる。
「もし、オレが『そういう意味』で言ってたら、くろボンはなんて答えたの?」
くろボンは、黙って月を見上げていた。絶対に、視線など合わせてやるものか。こちらを見て、ニコニコ笑っているんだろ。なんだかくやしい。
「ねえってば」
「うるさい」
「ちえっ」
横目でにらみつけてやると、しろボンは残念そうにまた月を見上げた。
お互いが、綺麗だと思うものを、同じ場所で、一緒に見る。それってつまり。
くろボンは、しばらく考えて、ぽつりとこぼした。
「いつもそばにあるのにな」
暗喩より比喩が主だってしまったので。紋章編である必要性も薄めでした。
