お前は夢などみなかった

 そろそろ寝る準備をしようかと、時計を仰ぎ見た午後九時過ぎ。窓の外では、月がきれいに浮かんでいる。カーテンに手をかけたところで、突然不格好なノックの音がした。コンコン、というよりは、ゴン、ゴグギギギギ。ひっかいたような音だ。なんだって、ノックをするくらいには礼儀はあるのに、そのやり方が汚いんだ。
 オレは不思議に思いながらも、ドアに向かった。一体、なんで、こんな時間に。
「はいはい、はーい」
 しかし、ドアを開けた先にいたのは、意外な人物だった。
「くろボン!?」
 思わず声を上げた。
 どうしたことだ。あのくろボンが、目の前にいる。しかも、こんな夜に。
 それよりさらにおかしいのは、くろボンが、いつもの様子と全然違ったことだった。背中が丸まって前かがみ、おじいちゃんかゾンビのようで、足元がおぼつかなければ手足もブーラブラ。息は荒いし、頬は赤いし、けど顔色は悪いし真っ青。やぶ、しつれい、いたしま、と何か言っているようだったが、切れ切れでよく聞き取れない。
「一体どうしたのさ!?」
 ただごとじゃない。今にも倒れそうなくろボンを、手で支える。すると、体があったかいことに気がついた。手の位置を変え、他に背中とか腰のあたりとかわき腹とか触ってみるが、ケガをしている感じではない。なら病気? と思ったところで、くろボンがなだれ混んできた。
 顔が近づく。すると、何か、匂いが鼻につく。生ぬるい、お米のような匂い。
 ……お酒?
「くろボン、お酒飲んだの!?」
「あまっ、ビンがっ、んだら、それが」
「あーもう、しゃべらなくていいから!」
 まったくもって要領を得ない。とりあえず、くろボンを引きずって、部屋の中に入れる。もはや自分で歩くのもままならないらしく、オレに全体重がのしかかる。
 いやだって、なんでこんな。まともに口も回ってないし。こんなくろボン、初めて見たぞ。

 今日は親衛隊の歓迎会だったはずだった。くろボンが、地球に戻ってきて、親衛隊に復帰した記念の。
 オレたちや仲間うちでは済ませたものの、隊員は交代勤務。くろボンに会えない隊員もいるので、何回かに分けて行われたらしい。そこで飲んだのか。
 いやでも、あのくろボンが、こんなフラフラになるまで飲むか?
 とはいえ、この状況では聞き出せそうもないし。

 オレはずるずるくろボンを担ぎながら、ベッドに連れて行こうとする。ところが、背中のくろボンが、むやみに暴れる。
「そっちで、いい」
 くろボンは、力のこもっていない腕で、ソファーを示した。
「ソファー? いいよ寝なよ、ベッド貸してあげるから」
「いや、だ」
 自分で歩けないくせに、人に引っぱってもらう身分でありながら、じたばたとする。わがまま言うんじゃない! そう振り仰いだ時、くろボンがずるっと落ちた。
「わ!」
 くろボンは、そのまま床にへたりこむ。溶けたバターのように、べたあっと。
「ごめん、ごめんってば!」
 引っぱり起こしたが、もうくろボンは抵抗しなかった。無理やりベッドの上に下ろし、ごろんと寝かせる。
 あー、どうしたらいいんだろうこういう時。お医者さん呼んだ方がいいんだろうか? けど、こんな時間に大丈夫かな。わっかんないなあ……。。
 ベッドの上のくろボンは、ぐったりとしている。汗ばんでいて、暑そうだ。
 とにかく、タオルとお水かな。なんだか熱っぽいし。お酒のせいだってんなら、水をがぶがぶ飲んで、外に出した方がいいだろう。
「待っててね、今持ってくるから!」
 オレはくろボンを置いて、部屋を出た。

 階段を下り、お城の共有部に出る。そこから厨房、勝手口へ。裏手には井戸がある。コップを拝借しようと思ったけれど、果たしてコップ一杯で足りるだろうか。あの様子じゃ、いっぱいお水が必要だ。
 考えて、水差しの方を拝借した。これでも足りないかもしれないけど。ポンプで水をくみ上げ、水差しへと移す。
 ついでに帰り道、用具室に寄って、バケツも持ってこうとした。ちょっと雑巾くさい気がするけれど、大丈夫だろうか。念のため、水でじゃぶじゃぶ洗っておいた。くんくんと匂いをかぐ。まあ、くろボンのお酒の匂いに比べたら、大したことないか。
 こんな夜中、水差しとバケツを手に、廊下を駆けていく。
「くろボン!」
 持ってきたよ……と、息を切らせて部屋に飛び込んだ。が、くろボンの姿はない。
「……え!?」
 だって、さっきまで、ベッドで横たわっていたはずなのに。一人で歩けもしないくせに、一体どこへ?
 ふとんに手を置く。まだあったかい。
 そう遠くへは行ってない。オレは水差しをテーブルに置き、バケツをすっころがして、また部屋を出る。
 夜の廊下は薄暗かった。すでに城内は橙色の明かりに切り替わっていて、お月様も反対方向を向いている。まして、『くろボン』というくらいだから、体はまっ黒。見つけにくいことこの上ない。きょろきょろ見まわしてみたけれど、石畳が映るだけで、人影らしきものはない。
 なんだよ、人の部屋を尋ねておいて、勝手にいなくなるなんて! 心配なのも相まって、ぷりぷりと怒りたくもなる。
 ふと、何か物音がした気がした。出所を探るが、何も見えない。もしかしたら、風の音? あっちに何かあったっけ……?
 ……トイレか!
 オレは駆け出していた。塔の端っこ、一番奥の奥。近づくたびに、ごっほごほ咳き込む音と、びしゃびしゃという水の音が聞こえる。あとちょっと、くろボンのうめき声。弱々しいけど確かに響く。
「くろボン!」
 トイレは開けっ放し。駆け込むと、くろボンがへたり込んでいた。オレを認めると、小さく頭を振った。頭を抑える仕草をする。何やら言っていることはわからないが、どうやら、うるさい、ということらしい。
 口の端ではよだれらしきものが垂れて光っているし、目もうつろでまさしく死んだ魚。しかも、なんか、目じりに涙たまってるし。潤んでるし。
 オレは頭の中でアラームが鳴るのを感じた。これはヤバい。何がとは言わないけど、ヤバい。
 だってあのくろボンがだよ? 直立不動の仁王立ちで、整った顔で眉間にしわ寄せて、いっつも不機嫌そうで無愛想で俺に近づくなオーラほとばしってるくろボンがだよ? 今、目の前にいるのは、あひる座りして力なくて、涙目で頬染めて息荒くしている。動揺するなと言うのがムリと言うもの。
 オレの心の中は、嵐も嵐、大時化だ。なんとか凪ぐのを待っていると、くろボンが、何か訴えようとしているのに気がついた。が、空気が漏れるばかりで、何も声にならない。何? と聞き返そうとして、またくろボンが口を開きかけるが、突如口元を抑えてトイレに向き直る。
 オレは目をつむり、耳をふさいだ。大変お見苦しい場面が繰り広げられております。
 そろそろ収まったかな、と思い、片目を開ける。くろボンの背中がびくびくと跳ねている。あーね。あー。オレはまた両目をつむる。悟りを開くって、こんな気分なんだろうか。知らないけど。
 もういいだろう、と片目を開け、続いて両の目を開いた。くろボンの肩は上下しているが、えずいている様子はない。とりあえずは落ち着いたようだ。
 オレは隣に腰を下ろして、背中をさすってやった。普段のくろボンにこんなことしたら、銀河の果てまでぶっ飛ばされそうだけど。くろボンが悪いんだもんね、女の子みたいに泣いちゃってさ。案の定、にらんではくるけど、全然迫力ないし。むしろかわいいくらいだ。
「まず、洗面所で口をゆすいでおいで。はいこれ、ハンカチね。終わったら呼んで」
 くろボンは、焦点の定まらない目で、それでもオレの方を見て、わずかに頷く。素直なのはいいことだ。
 しばらく、オレは廊下で待っていた。結構時間が経っても来なかったので、もうひと波訪れたんだろう。ガチャ、と音がして振り向くと、くろボンが、それこそ徘徊する死人のような体で、トイレから出てきた。
「大丈夫? 誰か呼ぶ?」
 くろボンは、ゆるゆると頭を振る。
「知られ、たくない」
 そのまま、壁づたいにオレを通り越してく。え、ちょっ、待っ、オレが引き留めるよりも早く、すぐに崩れ落ちた。
「もー、なんだって無茶するんだよ」
 くろボンはもう返事をする気力もないようで、オレに黙って引き揚げられた。ただようお米の匂いと、ちょっとすっぱい匂い。くっついた肌は、じっとり汗ばんでいて暑い。息も熱い。顔も熱い。耳元で呼吸音がする。息を吐く音、吸う音。鼓動さえ聞こえそうな気がする。

「……はあ」
 なんとか部屋に戻ってきて、くろボンを寝っ転がした。くろボンは、だらんと糸の切れた人形のように、ベッドで転がる。もぞもぞと動かすと、腕で顔を隠すようにした。荒い息。体がふくらんだりしぼんだりしている。
 オレは、ベッドの前で腰を下ろし、その様子をじっくりと見る。
「ねえ、くろボン。あ、返事しなくていいから、聞いてね」
 くろボンがわずかに反応した。
「きっとさ、くろボンのことだから、カッコ悪いとこ見せたくなくて、オレんとこ来たんだろうけど。もっとみんなに見せてもいいと思うよ? だってさ、あのくろボンが、いっつもカッコいいのに、こんな弱っちい姿見ちゃったらさ、みんな助けたくなるし、もっと好きになっちゃうよ」
 くろボンが、ねめつけるような目を向けた。否定の意らしい。いじっぱりめ。
「バレ、わけに、は」
 バレるわけには。そう言いたそうだ。オレは二ヒヒと笑う。
「もうオレにはバッチリバレてるよ?」
「あー……くそ」
 くろボンが、顔を隠したままそっぽを向いた。

 おそらくだけど、歓迎会でお酒を飲んで、フラフラになっちゃって、けれど、隊員の手前、カッコつけたかったんだろう。詰所に戻れば隊員がいるし、家に戻るには遠い。人がいなくて休める場所、それで王族の私室、オレの部屋まで、這ってきたのかな。まさか、ここまでなるとは思っていたなかったんだろうけど。オレも、くろボンのこんな姿、見るとは思わなかった。

「おーい、くろボン、ちょっとだけ起きて」
 頭をぺちぺちと叩きながら、水差しを構えた。くろボンがのっそり振り返り、ぼんやりとこちらを見る。
「口開けて。はいあーん」
 ただの水だけれども。口を動かすのもおっくうらしく、飲み込めない水がだらだらと、口の端から肩から腕から敷布団にまでたどっていく。まあいいよ、明日干してもらうから。
「はい。じゃあ今日は、ゆっくりとお休み。水はここ置いとくから」
 脇机に水差しを置き、カーテンを閉めた。バケツもベッドのそばに置いておく。明かりを消すと、ぱっと部屋が黒く塗りつぶされる。暗がりで少しだけくろボンの顔が見えたが、特に何を言うでもなく、そのまま後ろへ寝返ってしまった。

***

 まぶたの裏に光が差してきて、意識がだんだんはっきりしてくる。遠くで鳥のさえずりが聞こえる。朝か。見慣れない天井だ。
 違和感を覚えつつ、体を起こすと、やっぱり自分の部屋だった。パサッ、と何かが落ちる音がする。マント。見覚えがある。くろボンのだ。マントを拾い上げて、ベッドを見る。
 そうか、ゆうべ、くろボンが来たんだ。オレ、ソファーで寝たんだっけ。
 くろボンはオレより先に寝たはずだ。ということは、掛けてくれたんだ。くろボン、あんなにしんどそうだったのに。掛けてくれたってことは、夜中起きたってことで、ってことは、まだ辛かっただろうに、わざわざ気をつかってくれたんだ。

 くろボンの姿はすでになかった。オレが眠っている間に目が覚めて、親衛隊の仕事に……ってことはなかった。
 ゆうべオレが見たまんま、くろボンがベッドで横たわっていた。
 水差しの位置は動いていたが、バケツはきれいなままだった。マントをかけられているということは、夜中にトイレでリバースしてたんだろうか。

 時計を見る。朝7時過ぎ。詳しいスケジュールは知らないけれど、そろそろ出勤しないとダメなんじゃない?
 オレはくろボンに近寄った。
「おはよう。くろボン、マントありがとう。気分はどう?」
 返事はなく、ただ頭だけが横に振られた。ダメらしい。いわゆる二日酔いというやつか。
 掛け布団を顔が隠れるまで被り、てっぺんしか見えない。
「いいよ、そのまま寝てなよ。隊には、迷子のおじいちゃんを送っていったとかなんとか言っとくから」
 掛け布団が、縦に動いた気がした。多分、頷いている。
「また水持ってくるから。あとタオルも。果物だったら食べられるかな? とにかく、元気になるまで休んで。動けるようになったら、勝手に出ていいから。部屋には誰も寄らないよう言っとくね」
 何か、幽霊のような声がする。本当にオバケだったら怖いけど、まだ朝だし、きっと声の主はくろボンだろう。
 オレは部屋を後にする。抜け殻のようなくろボンを残して。放っておくのは心配だったけれど、面倒も見なくてはならない。まだまだじっと見ていたかったけれど、おそらく見られているのはいやだろう。そんな、後ろ髪引かれる思いだった。

 ──ここから先は、セレスとパラスに聞いた話。
 適当にウソをでっちあげて、くろボンが休む理由を伝えに行くと、セレスとパラスは、にわかに目を見張った。
「そうか、隊長はご無事でしたか」
「ご無事って?」
 オレがパラスに聞いたのを、セレスが引き継いで答える。
「いえ、昨夜隊で歓迎会があったのですがね。隊長は普段酒の類を飲まれないのですが、酔っぱらった隊員たちが、隊長の酔う姿を見たいと言うものでね。一人が、悪ふざけをしたのですよ。お酒を、水で薄く割って、ちょっとずつ、隊長のコップに混ぜたと言うのです」
「そいつはシメときましたがね。聞くと、結構な量のようなんですよ。隊長はあまりしゃべらないお人だから、こういう酒の席となると、合間合間で水を飲んでね。一升瓶半分か三分の二ってとこですかねえ」
 一升瓶、というのがピンとこなくて、斜め上の空間に目を寄せる。食堂だったかな、飾られてるのは見たことがある。両手でないと持てないくらい、大きかったような。その半分か……。
 オレがイマイチわかっていないのに気づいたのか、パラスが付け加えた。
「普通の人なら、一合か二合ってとこじゃないですか。王子はご覧になったことありますか? こんなちっちゃな瓶」
 そう言って、指でわっかを作って振る仕草を見せた。ああ、なるほど。オレは納得する。
「で、くろボンはどのくらい飲んだの?」
「単純計算で、三倍くらいになりましょうか」
 セレスが答えた。「人によっては、中毒症状がひどくて、命にかかわる恐れもあります」
 命。くろボン、死ぬかもしれなかったんだ。それを聞いて、ぞっとした。
 昨晩の様子を思い返す。
 死ななくてよかったけど、死んでほしくないけど、あのくろボンは、もう一度見てみたい。隊員が、ついお酒盛っちゃうのも、ちょっとはわかる気がする。くろボンも、気がゆるんだのかな。同じ隊員だと思って、油断したのかな。
「それでは、隊長のお加減は、問題ないのですね」
 2人が聞いてきたので、オレは「ああうん、ケロッとしてる」と答えておいた。