──そこには、統治者の証である、深紅のマントだけが掛けられていた。
何かの冗談だろうと、きょろきょろ辺りを見回すと、玉座の影から、いつもの面々が笑いを押し殺しながら顔を見せた。
──しろボン、羽織ってみたらいいんじゃない。
言われて、かつて父王が身に着けていたマントを、慣れない手つきで肩に掛ける。
翻る香り。薄荷のようにすっとしている。
それは、このビーダ王国を治めていくという、責務の重さを感じさせる。鋭く、真っ直ぐな強さがあった。
──どうしたの、しろボン。怖い顔しちゃってさ。
──大丈夫。みんながいるんだから。
はっと顔を向けると、あかボン、あおボン、きいろボン、みどりボン、みずいろボン、この戦争で共に戦った仲間たち、こんボン司令やグレイボン博士もいる。
──そうだね。
オレは大きく頷いて、階段下にいるみんなの元へ駆けていった。
──お前、それ似合ってないで。
澄ましたポーズをとったオレを、後ろからきいろボンが叩く。
はずみで王冠と付け髭が飛んで、瞬間、どっと笑い声が沸く。
ああ、なんて楽しい時間なんだろう。
だけど、一人、誰かがいない。
耳の奥に入り込んでくる小鳥の鳴き声で、オレは今まで寝ていたことを知る。
うっすら目を開けると、白いもやが徐々に晴れていって、見慣れない天井が視界に現像されていった。
夢を、見ていたらしい。
奥ではさらに、包丁を叩く音がする。鍋の煮える音。窓ガラスを介して伝わってくる眩しさが、朝ですよ、と教えてくれる。
ゆっくりと起き上がって、頭を揺する。
若干寝ぼけているにしても、ここが自分の部屋でないことは明らかだった。
家具が違うし、配置も違うし、間取りも違う。白塗りの壁の色合いも違う。城はどちらかというと象牙や生成りの色に近かったが、こちらは白磁に近い。自分の部屋は、クローゼットやソファーなどの、あくまで自分の身の回りのものだけ、駒のようにぽつんぽつんと置かれていた。対して、こちらは書斎に置かれていそうなデスク、本棚、なのに、ゴミ袋や石鹸などの生活消耗品、果ては食器棚や冷蔵庫が目の届く範囲に詰められている。
そもそも、この布団の感触が、せんべいそのものだ。
おそらく何日も干されていないのだろうが、オレだったらそんなこと絶対に我慢ならない。
辺りを確かめながら目で追っている内に、台所に誰か立っているのに気がついた。
ここからではよく見えないので、まだ少し気だるい体をどうにか飛び起こして、ベッドから降り立った。
その音で、相手も気がついたらしい。不意に目が合った。
オレには、くろボンが同じ室内にいて料理をしているらしい、という事実を飲み込むのに時間が掛かったが、相手も目をぱちくりされて、それは大層な驚きようだった。
「……起きた、のか」
「……起きた、けど」
どちらからともなく、ふう、と息をつくと、くろボンは、「待ってろ、そろそろ出来るから」と、オレをそこにあるダイニングテーブルの椅子に着かせた。
間もなく運ばれてきたのは、瑞々しいご飯、年季の入ったたくあん、ししゃも三尾、ほうれん草に鰹ぶしをまぶしたおひたし、千切り大根に油揚げのおみおつけ。何かの本で読んだ、ありふれた一般家庭の朝食が、高水準のおいしそうな出来で並んでいる。
くろボンにこんな才能があったとは……まじまじと見つめていると、彼も向かいの席について手を合わせたので、慌ててオレも倣い同じことをする。
見た目に違わず味も上等なもので、しばしオレに、この状況の奇妙さを忘れさせたほどだ。
一息ついて、お茶を口に含んだところで、はっと思い出す。
「ところでさ、オレはなんでここにいるんだろう。そもそもここはどこなの?」
「……覚えてないのか?」
くろボンも湯呑みに口をつけながら、知ってて当然、何故知らないんだと、疑うような上目でこちらを見てくる。
とはいえ、こちらだって、まったく身に覚えはない。
その沈黙がオレの答えを代弁して、くろボンは、はぁ、と深くため息をついた。
「……ここは俺の家だ。しばらくお前が世話になるということになっただろう」
「そうだっけ?」
右上の虚空に記憶の風呂敷を広げながら、思い返してみる。
確かに、おぼろげに、あるようなないような……。
「お前が寝てしまって、起きないから。とりあえずここに皆で引っ張り込んだ」
「ああ!」
そうか! 思い出した!
オレはぽんと手を叩く。
みんな──あおボン、あかボン、きいろボン、みどりボン、みずいろボン。いつもの面々も地球に来ていた。
それでどうしてだっけか、疲れちゃって、オレだけその場でうとうとして、寝ちゃったんだ。
みんなの呼ぶ声はなんとなく覚えている。だけどオレは睡魔に勝てなくて──。
「……うーん」
なんとなくは覚えているけど、夢のことのように、いまいち要領を得ない。
頭を抱えるオレを、くろボンは横目で一瞥しながら、窘めるように言った。
「……別に大したことじゃない。お前の寝坊癖など、今更始まったことではないしな」
うっ。そこを突かれると弱い。
けどそんな言い方をしなくたって──オレが反論しようとした時だった。背後で、電子的な鈴の音が鳴る。
振り返ると、デスクの上の端末に、着信があったようだった。
『くろボン!』
端末の画面に、着信主の様子を映したモニターが拡がる。
『そろそろ時間よ。珍しいじゃない、貴方がこんなにのんびりしているなんて──』
それは聞き覚えのある、懐かしい声だった。
「あかボン!」
『その声は……しろボン?』
オレは端末の方に近寄った。
高くて張りのある声、赤い体の色にタンポポ色のリボン、それは間違いなくあかボンだった。
画面の向こうではオレが映っているのだろう、あかボンもあっと驚いて、一際声を上げた。
『やだ! しろボンじゃない!』
「やだってなんだよ、やだって」
あかボンが紅潮させた頬を抑えるはしゃぎように、オレは実に冷ややかな声で拗ねてみせる。
『ごめんなさい。そういうことじゃないのよ。でも、びっくりしちゃって……そうね、貴方、くろボンの家にいたのよね。忘れていたわ』
あかボンが俯いてひどく申し訳なさそうにしているので、いやいや、そんな気にしないでよ……とフォローを入れておく。
うんうんとあかボンは頷いて、顔を上げた後、画面の後ろ側に声を掛ける。すると、画面がぎゅうぎゅう詰めになるくらいに、大挙して人が押し寄せてきた。
『今日は、みんなもいてね──』『しろボン!』『しろボンさーん!』
あかボンの言葉を遮って、きいろボン、あおボンが顔を出す。
『なんや、まだくろボンのとこに世話になっとったんか。寝坊助にも程があるで』
「うるさいなー……」
先ほど同じことをくろボンに言われたばかりだ。
「……あれっ、みんな、ってことは他にもいるの?」
『もちろんよ』
あかボンは画面から引いて、隠れた面々を紹介する。
『なんだ、元気そうじゃない』
けろっと言い放ったのはみずいろボンだ。『びっくりしたよ。いきなり地球のまん真ん中で、ころっと眠っちゃうんだから。死んじゃうかと──』
『まあまあ』
間に入ってきたのはみどりボン。
『よく眠れたようですね』そう言って、ニコリと微笑む。
「──もしかして」みんなの様子に、オレは一つの考えが思い浮かぶ。「みんなに、心配かけた?」
『もちろん!』
一斉に声が揃った。
『戦争の疲れが一気に来たんだろうけど──』「お前ら」
オレの背後から声がした。「さっきから、俺に用件があったんだろう」
そうだ。画面にかじりついて、くろボンの存在を忘れていた。
『そうそう。貴方、今日が打ち合わせだって、覚えているわよね?』
「まだ三十分以上ある」
『けれど、いつも一番最初に来るから、ちょっと心配になったのよ』
今度はオレが押しのけられて、与り知らない話が繰り広げられる。
「ねえ」
「二人分の食事が必要になったからな」
「ちょっと」
『それは仕方ないわね。別に無理してこなくてもいいのよ?』
「あのさ」
「十五分あれば間に合う」
「ねえってば」
『まあ、貴方が遅刻するなんて思ってはないけど……』
「聞いてよ!!」
オレが声を張り上げると、くろボンも、画面の向こうのあかボンあおボンきいろボン達も、一斉にこちらを向いて、さっきまであんなにさえずっていたスズメロンすら黙るくらいに、しらーっとした沈黙が訪れた。
「一体何の話なのさ!」
『何って、ねえ……』
誰かに助けを求めるように、みんながみんな、視線を泳がせる。
『……サプライズパーティ?』
疑問形で、あおボンが一本指を立てて、ぽつりと口にした。
……サプライズパーティ?
オレも、あおボンの言葉を頭の中で繰り返す。
あれだっけ、仕掛け人が一般の人に紛れ込んで、ダンス踊ったりするやつ。それは違うか。
「サプライズ、ってなんの」
『それじゃ、サプライズにならんやんけ』
オレの質問の前に、きいろボンの冷静な突っ込みが入る。
しばらく奇妙な間が空いて、画面の向こうの五人は、井戸端会議よろしく、こっちの二人を他所にひそひそ話を始める。
『……どうする?』『もういいんじゃない、今日』『これじゃ、打ち合わせも何もないからなあ』『ここは一つ──』
「なあに、またオレの知らない話?」
オレは画面に顔を近づけて、これでもかとふくれっ面をしてみせる。そのまま、傍目に何食わぬ顔して佇んでいるくろボンにも視線を張る。
みんなが仲がいいのはいいことだけど、オレだけのけ者にするなんて!
それにさらに、お世辞にも人づきあいがいいとは言えないくろボンさえ一枚噛んでいるなんて!
「どうせオレはー、間抜けでおっちょこちょいでー、意気地なしの寝坊助ですよーだ」
『そんなに拗ねないでください』
みどりボンが両手の平をこちらに見せて、降参の意のようにしてみせる。
『今からやりましょう、サプライズパーティ。しろボン王子も入れて。皆でそちらに伺います。いいよな、くろボン』
「……ああ」
くろボンは乗り気でないような、曖昧な同意を示した。
『もうそれってただのパーティだよね』
みずいろボンの的確な指摘が響き渡った。
準備の時間もあるからと、およそ一時ほど経った後に、先ほどのメンバーが現れた。
「ごめんくださーい」あおボンは地図と反対の手でおずおずとドアノブを回し、
「お邪魔します」みどりボンは礼儀正しく、帽子をとってお辞儀をし、
「よっ! しろボン!」ときいろボンは皆をかき分け、
「お前ら、チャイムくらい鳴らせ」くろボンが咎めると、
「あ、これ、飾っといてね。それにしても殺風景なのね。持ってきてよかったわ」あかボンは、不織布で包まれたピンクのガーベラ? のプリザーなんちゃらフラワー? をぽんとくろボンに手渡して、
「ほんと、僕んちのトイレみたい」と、みずいろボンは天井を見上げながらつぶやく。
みんな相変わらずのようで安心した。
平屋の一軒家は、さすがに七人集まるなると、それだけで満杯だ。
めいめい持ち寄ったものがあるらしく、あおボンは有名なお菓子屋さんのクッキー缶数種類、みどりボンは緑茶から紅茶に至るまでの飲み物全般、きいろボンはおかきやせんべい、それにクラッカー、あかボンはさっきのお花に手作りのサンドウィッチ他もろもろの軽食、みずいろボンなんかは、どうみても高級そうなティーセット一式人数分、それに上等なテーブルクロスやスプーンフォークなんかも準備して、簡素な部屋をあっという間に高級カフェテリアに変身させてしまった。
あとはくろボン宅の冷蔵庫から、適当に軽い食事を繕えば、立派なパーティ会場だ。
オレはその魔法が掛かっていくさまを、あんぐりと口を開けてただ見ているしかなかった。
「……な、なになに? いったい、何のパーティなのさ!」
ただ一人、蚊帳の外のオレは、まったく事態が飲み込めない。
「お祝いよ。……覚えてないの?」
あかボンが、さも当然であるように答えてから、ちょっと声を潜めて伺ってくる。
何かこのやりとり、さっきもした気がする。
オレがこくこく頷くと、「仕方ないのかしらね」と、少し頭を傾いで目を瞑った。
「あれからどのくらいになるかしら。出来れば、しろボン自身で思い出して欲しいのだけど……」
薄く目を開いたあかボンが、遠くへ思いを巡らすように、何もない窓の外に視線をやる。
あれから……?
なんだろう。オレは何か大切なことを忘れているんじゃないのか……。
そう思って、オレは自分の手を広げて、記憶を遡りながら指を折る。
「あっ!」
突然大きな声をあげてしまったので、周りのみんなが一同、一斉に注目する。
「あ、いや……」恥ずかしさに縮こまりながら、それでもすぐに興奮を取り戻して、あかボンにせっついた。
「オレたち七人が出会った日! ……かな?」
先ほどのあおボンよろしく、片指を立ててみる。自信の無さに比例して、言葉が段々尻すぼみになった。
……反応が、ない。
突き刺さる視線が、冷や汗を促して、たらりと垂れる。オレの作り笑顔が、むなしい。
「……まあ、合ってるな」
もったりとした空気を払ったのは、くろボンの一言だった。
止まった時計が、ぎくしゃくとして、再び動き出したかのようだ。
「なんや、お前、忘れとったんか?」きいろボンがばしん! とオレの背中を強くたたいた。いきなりだったもんで、オレは前につんのめんてしまう。
「痛いなー! 何すんだよ!」
「お前のせいで、辛気臭くなってしもうたわ」
「……ごめん」
それについては、謝るしかない。
「まあまあ」いつも間を取り持つのはみどりボンだ。「過ぎたことなんだから、気を取り直して、明るくいきましょう」
「紅茶冷めちゃうよー」空気を読んでいないようで、ちょうどいいタイミングに入ってくれるのがみずいろボン。
見れば、みずいろボンの言葉の通り、テーブルの上はすっかりセッティングが整っている。
音頭はオレが取ることになった。
ごほん、といかにもな咳払いをする。
「──それでは、皆様が一堂に集まりましたことを記念して──」
「しろボンが起きたことも記念しましてー」「もう!」
きいろボンの茶々を、オレは肘で追いやる。
「乾杯!」
七つのカップが揺れる。
そこから先は、あっという間だった。
まずみどりボンの持ってきたお茶が、驚くほどなめらかでおいしいかった。淹れたのはボクだからね! というみずいろボンのアピールも忘れない。あおボンがとっておきだというクッキーは、サクッとしながらすぐに溶けて、ついつい手が伸びてしまう。
いつからかトランプカードが始まった。大富豪のゲームで、みずいろボンが最下位になるという大番狂わせもあった。きいろボンは勝負師だ。しかしあっけなくあかボンに敗れ去ってしまう。ババ抜きなんかは、あおボンがすぐ顔に出てしまうのでわかりやすかった。
恐ろしかったのがみどりボンで、大富豪も、ババ抜きも、七並べも神経衰弱も、しれっと一番に抜けてしまうことだった。人は見かけによらないと言うが、穏やかな顔で、その手札の裏にはスペードを握っていて、ポーカーなどをやらせたらフルハウスやクワッズを当たり前に決めてきた。
本当に、楽しかった。
朝からずっと、笑い声が絶えなかった。
その中でふと、オレは今朝の夢を思い出す。あれは、正夢だったんじゃないかと。
今、この楽しい時が、ふっと消えてしまいそうで怖い。
その中に、誰かがいないことを、オレは忘れようとしていた。
「それじゃあ、そろそろ帰るわね」
もうとっくに日が暮れて、月が煌々と照っている、亥の刻八時半過ぎ。
最終的にみんなで夕ご飯も共にして、いよいよお別れとなった。
手を振ったり挙げたりして、一人、また一人と部屋を出ていく。わかってはいたけれど、みんなが家に帰らなくてはならないのは。その背中を消えていくのを見るのは、つらい。
「お邪魔しました」「またねー」「早起きせーよ」「また今度」
狭い玄関のスペースで口々に挨拶をしてから、みんながドアの向こう側へ消えていく。オレもその後に続いた。
「え?」
何故か、みんながぎょっとして、オレを視線で固めた。
注目を浴びるのは、本日何回目のことだろう。
「え? って……」
何か、変なことをしただろうか。
「……お前、どこ行くねん」
「どこって、お城しかないじゃない」
何をそんなに驚いているのだろう。
だってここは、くろボンの家なのに。
「いやいや……」だけどきいろボンは頭を振る。
「悪いことは言わへんから、もうちょっと世話になってき。まあこんなところ、居心地が悪いのはわかるけどな……」
悪かったな、と後ろで不機嫌そうな声がする。
「でも……父上に許可もらわなきゃ」
助けを求めるように振り向くと、張り付いているようでわずかにしかめた顔の、くろボンと目が合った。
いつも眉間にしわを寄せているから、心の内なんて読めたためしがないが、なんだろう、今は、怒っているというより、どこか寂しそうな眼差しに感じた。
そんなくろボンと、同じく寂しそうに視線を向けるきいろボンたちに挟まれて、オレは交互に見比べるしか出来なかった。
しばらくそのまま膠着状態が続いた後に、くろボンが大きく息をつきながら頷いた。
「……いいだろう。オレが後で送っていくから、どうするかはお前がその後で決めろ」
「でも……」
「お前たちは、さっさと帰った」
何か言いたそうなみんなを、くろボンは手で追い払う仕草を見せて、名残なんて惜しむ暇などなく帰してしまった。
「ちょっと、それはないんじゃない?」
「どうせ、あいつらとはまた会うのだろうし……」
オレは抗議の声を上げたが、くろボンは言葉に含みを持たせたまま、そこで切った。
そう、朝から感じている、この違和感。
オレだけみんなから取り残されている感覚。
さっきまであんなに賑やかだった空間が、突如雷が降る前の空みたいなピリピリした空気が流れて、オレはそのまま黙るしかなかった。
そろそろだな、とくろボンが腰を上げたのは、普段だったら寝ている筈の、午後十時も過ぎた頃だった。
さすがにこの時間は空気が冷えている。外気に思わず身震いすると、くろボンが羽織るものを貸してくれた。
扉を開けると、目の前にはただっ広いだけの平野が伸びていた。すっかり夜も更けているだけに、何にも遮られることもない空は、漆黒に白々とした星を煌めかせていた。
オレがぽかんと仰いでいると、「行くぞ」と急かす声がした。
まったく。情緒もへったくれもない。
オレはくろボンのマントがひらめくのを追っていく。
そうして急かす割に、くろボンの足取りはやけにゆっくりで、オレの方が早足になってしまうくらいだった。
この時間が終わるのが惜しいのだろうか。それなら、わかる。
遠回りをしているのかなんなのか、くろボンの通ったのは、オレが全く知らない道だった。近くに建物はおろか、街灯も畑も見つけられない。本当に何にもない平野だった。よくよく考えたら、ここが地球かどうかもわからなかった。くろボンの家があるというのなら、彼のふるさとなのかもしれない。
そうなると、宇宙船に乗っていくのだろうか。こんな時間に運航しているのかな──。
そんなことを考えていると、ようやく何か塊のようなものが見えてきて、それが焼き焦げた樹木だと分かった。なんとなく、この並びには見覚えがある。だとすると、ここはやっぱり地球のようだ。
「どうして……この森、いつの間に……」
「ちょっと前に、火事になっただろう」
確かめるように、くろボンが振り向く。
ええっと……あったような、なかったような、自信がない。
でも道理で、辺り一面何も見当たらない訳だ。
この森は、地球宮の裏手にあたる。それこそお城何個分、なんて広さの森がこれだけ焼けたら、地球宮も大変な騒ぎになっていたと思うのだが。
……あれ?
オレは、一つおかしいことに気がついた。
そう、お城は?
いくら距離があるといっても、あれだけの建物、全く見えないなんておかしい。
それに、灯り。人の気配。寝静まる時間と言えど、兵士たちが巡回に来ている筈だから、全く見えないのはおかしいのだ。
嫌な、予感がする。
背筋を這い上がって、染みのように、じわじわと広がっていく。
くろボンが、足を止めた。目の前の建物を見て、オレは「あっ」と声を上げる。
それは、紛れもなく地球宮だった。
けれど、オレの記憶とは全く違った。
ところどころ壁が朽ちて欠け、蔦が這いよって、とても廃墟にしか見えなかったからだ。
「入るぞ」
もはや裏口なのか表門なのかもわからない、錆びた門構えを押すと、ぎい、と軋む音が気味悪く響く。
くろボンは、予め用意しておいたらしいランプに火をつけ、辺りを照らしながら進んでいく。すっと闇の幕に吸い込まれるように消える後姿が、もう二度と戻ってこないように感じた。
「待って」
オレは自分の声が震えているのがわかった。
かつんかつんと、オレとくろボンの足音だけが反響する。
どうして、誰もいないんだろう。どうして、こんなに静かなんだろう。
よく見知っている筈の地球宮が、別の知らない魔の遺跡に変わってしまったかのようだ。
冷たく、きりきりと押さえつけられるような空気。耐えられなくて、オレは声を絞った。
「オレさ、夢を見たんだ」
くろボンはわずかにこちらを振り向くような動作を見せたが、しなかった。
「王国に、突然悪いヤツが現れてさ。オレは仲間を集めて、悪いヤツを追いつめる。よくあるじゃない、ロボットもので、究極合体! って。オレはその最強ロボに乗り込んで、必殺技の、ガンを構えるんだけど」
頭の中で思い描いた通りに、オレは空で握って見せる。
「その悪いヤツ、ってのが、父上になっちゃって。いや、元から父上だったのかもしれないけど。とにかくオレはびっくりして、ガンの引き金が引けなくて、目の前が真っ暗になっちゃって──」
一つ一つ辿って、思い出してみる。
操縦桿を握る手。いくら強く掴んでも、もっと強く握らなくてはいけない気がした。手の隙間から汗が滴って、滑り落ちる。レバーが小刻みに震える。息をいくら飲み込んでも足りない。
撃て! 撃て! 撃て!
頭の中では警報がけたたましく響くのに、上手く体に伝わってくれない。溢れかえった命令は、大きくとぐろのような渦を巻く。
とうとう飲み込んだ息がもれた時、引き金の指がカチャリと動いて、それで。
「ねえ、あれは夢だったのかな」
くろボンは答えない。
「オレは、引き金を引いたのかな」
前の足音が、止んだ。
はっと焦点を目の前にずらすと、重く大きな扉がそびえていた。暗がりの中にも、あちらこちらに傷を抱えているのがわかる。
オレには見覚えがあった。
かつて荘厳な佇まいで据えられていた扉は面影をかすかに残すのみであり、今は小さな明りに照らされて不気味に立ち尽くしている。
──謁見の間。
生唾を飲む。感覚がはっきりと伝わって、気持ち悪い。
この扉の向こうに、全ての答えがあるのだと確信した。
くろボンはこちらの眼を見据え、オレが竦みながらもじっと見返すと、覚悟ありと受け取ったのだろう、振り返って、重厚なる扉に手を掛け、押し開いてみせた。
ここには、何度となく入ったことがある。
二階分はある高い天井。両手を広げて何人分の横幅だろうか。呼びかけたらやまびこが返ってくるんじゃないかというくらい広い。掃除が大変だろうと思ったものだ。
左右の壁に規則正しく倣っている大きな窓は、昼間ならば外の光を存分に取り入れてこの広間を燦々と輝かせただろうに、しかし夜半の今時分となっては、ぼんやりと亡霊のような明るさを湛えているだけに過ぎない。
そして、足元に視線を移す。
深紅のカーペット。自分の足元から、一直線に伸びている。
「どこかの星の昔話に、こんなのがある」
足元の先を目で追いながら、くろボンが語りだすのが耳に入った。
「神は、災いの櫃をもたらした。決して開けるなと聞かせていたにも関わらず、人はその櫃を開けてしまう。好奇心旺盛なのか、あるいは愚かなのか……」
足音が鳴った。くろボンが進みだしたようだ。
「ありとあらゆる災いが飛び出して、これはいけない、と蓋を閉めたが、結果、世界には災いが溢れることとなってしまった」
オレの視線が、玉座の前の、段差に辿りつく。
「だが、救いもあった。全部が全部、箱の中身が飛び出す前に、蓋を閉めることが出来た。残された箱の中身はわからないが、それが絶望なら、世界はまだどん底ではないということだ。希望だとしたら、まだ箱の中に可能性が残っているということだ──」
くろボンは、言葉を切った。
カーペットを追っていた視線が、くろボンと繋がる。
そう、その先は玉座。王が坐するべきところ。
「どうあれ、お前は生き残った。俺も、あおボン、あかボン、きいろボン、みどりボン、みずいろボン。シャインボンバーフォートレスに乗った七人は生き残った。さっきの昔話に例えて言うなら、これが救いと言うべきか」
鼓動が鳴る。
一度鳴ったら止まない。加速してゆく。周りに聞こえるんじゃないかというくらい、大きく鳴り響いて、同じ振動で体を震えさせる。
オレの視線の先、くろボンの話の先。
「お前が引き金を引けたかどうか、教えてやろうか」
ゆっくりと顔を向ける。汗が伝うのがわかった。
謁見の間の最奥中央。
オレの記憶の中では、いつも、父上が、穏やかに微笑んで、その席に着いていた。
そこには──。
しいて言うならくろしろ要素が薄い。話としては気に入ってるのだけども。
