刹那はこんなにうつくしいのに

 落ちる──。まるで柔らかい糸が絡みついたように、腕、足、首、体そのもの、ハデスコスモ全体が、月の引力に手繰り寄せられる。己の身に起きた事態を理解した時、「死」という単語一つが、鮮烈に頭に焼き付いた。

 最終決戦を前に、くろボンの気持ちは高揚していたのは確かだった。戦艦ひとつを制御不能へ陥れた、あのビーダマ。それがさんざ自分が見下し馬鹿にした筈の、『元』王子によるものだと知った時、体を底から焦がすような口惜しさが沸きあがるのを感じた。同時に、そいつを撃ち落としたならば、自分の力は宇宙において絶対となるのだと、超えるべき壁が表れたことに身震いもした。
 それがどうだ。地球を眼下に据えた月面でしろボンと対峙し、一歩も譲らぬ攻防を繰り広げたまではいい。お互いが出方を疑い距離を取り、わずかな反応でもあればその懐に飛び込まんとし、ビーダマを放つも掠るまで。持久戦にならないことはわかっていた。勝負は一撃で決まる。瞬き程でも隙を見せれば、その一瞬を相手はけして逃さない。久しく無かった強敵との戦い、緊張感。目の前の勝負に気を取られるばかりで、おろそかになっていたのだろうか。こんな決着のつき方など、想像だにしえなかった。
 機体がゆっくり重みをもって倒れてゆく。体がふわっと浮き上がり、一度、また一度と角度を増して傾いてゆく。フットペダルを幾度踏んでも反応はなく、やがて体全体が硬直し、息をするのも止まる。
 緩慢に落ちてゆく動きの中で、自然に天を仰いだ視線に強烈な光の数々が入った。普段眺める空よりも、烈しくて、大きい輝きであるのに、不思議と綺麗だとは思わなかった。何もせずとも美しくある筈の銀河が、戦闘のビーダマの応酬で汚しているようにすら見えて、くろボンは自然と鼻を鳴らして笑っていた。

 ──俺のしてきたことは、こんなに下らないことだったのだろうか。
 このまま落ちて、地べたに打ち付けられて、力と地位と権威の象徴であった機体は自分もろとも大破する。いくら強くなったところで等しく死ぬ瞬間は訪れるというのに。この戦争で自分は強くなったか? 問えば自信を持って答えられなかった。そして今、手にしたものが離れていく。
 幼い頃守備隊の演習を見てパイロットに憧れた記憶。いつか自分もなってやるんだと、真似事で練習に励んだ記憶。広報誌を眺めては、澄んだ空に尾を引くボンバーファイターが眩くて、くしゃくしゃになるまでとっておいたこと。入隊試験を一番で合格したこと。
 今の立場になってから、色々とままならない現実も知った。それでも褪せなかった思い出を、自ら握りつぶしていたのだ。小さく丸められたそれらは簡単に指の間から漏れていく。自分が死に吸い寄せられるように。

 そうだ、最初は。
 思い返していたところで、右上部が大きく揺れた。はっとして見上げると、ガイアコスモがあった。彼の左手は、自分の右手をしっかりと握っている。助けられた。理解したのは優しく着陸してからだった。コクピット越しの表情は柔らかく穏やかで、ひどくくろボンの身に染みる。はにかんでいるようにさえ見えた。

 命のやりとりをしていた筈なのに、何故そんなことが出来るのか。
 ひとしきり呪いの言葉を吐いた後、彼は応援に立ち去ってしまった。未だ淀み続けるこの感情が、以前の口惜しさというのなら少し違う気がした。一人残され、『あの瞬間』に感じたものの正体を探ろうと、しばらく反芻し続ける。
 ……俺は英雄になりかった。
 そして、くろボンの手を掴んだしろボンは、確かに思い描いていた英雄だったのだ。