どうせ涙をぬぐってやることもできないのだから、 私はせめて、 君を燃やす火になりたかった。

 予想通り、そこにしろボンはいた。
 はしごを上り、屋上に出たとたん、肌をさするような夜風に、少しぞくっとした。くろボンはわずかに顔をしかめる。先客がいた。想像した通りの後ろ姿が見え、安堵したのとは別に、染みるような、感傷にも似た気持ちが胸を刺す。
 すでに夜は深まり、冷えていた。ひっそりとした暗がりの空に、取り残されたような星々がある。レオ座のレグルス、デネボラ、アルギエバ。
 昼間の熱が嘘のように、辺りは静まり返っていた。さらさらと広がる砂漠のようだ。城下には、ぽつぽつと街灯が瞬くばかりで、あたたかくも、どこかうらぶれている。
 今は何時なのか、見当もつかない。時間という概念そのものがなくなってしまったかのような世界だった。

 気配を感じたのか、しろボンが振り向く。わずかな月明かりだけだったので、その表情も翳って見えた。あ、と声をあげたばかりで、それ以上は何も言わない。
「ここにいたか」
 言いながら、くろボンは隣に寄った。
 地球宮の、一番高いところ。居住空間とは離された、敷地の最奥に、この塔がある。
 ベルクフリートと言って、古くは監視塔として使われていたらしいが、今はもう過去の産物。ところどころタラップが朽ちていて、握ったら、ぼろっと崩れ落ちてしまいそうだった。誰も近寄らないようにと、入り口には鎖が巻かれ、錠が掛けてある。
 忘れ去られるように佇むその塔に、よくしろボンはひょいひょいと上り、見晴らしのいい屋上で、隠れて過ごしていたのだった。
 しかし、まさか、今でも──ついこの日中に、国王になったばかりだというのに、変わらずここにいるとは。
「見つかっちゃった」
 へへ、としろボンは小さく笑う。
「まだ、なんだかドキドキして。父上はお酒飲んで踊りだすし、老師はなんか拳法の型を見せてやる! って言って、腰痛めるし。こんボンさんは怖い話しかしないし。あおボンは潰れちゃったし、きいろボンは管巻いてたし、あかボンは介抱してたし、みどりボンはせっせと後片付けしてたし、みずいろボンはとっとと退散しちゃった。まだやってるのかな、宴会」
「どうだか」
 かくいう自分も、途中で宴席を抜け出した。グレイボン博士が、発明品を披露する、と酔っぱらい特有のノリで言い出したので、嫌な予感がして逃げてきたのだ。
 久しぶりに触れる地球宮。懐かしくて、歩き回っているうちに、ここに行き着いた。

「置いてきてよかったのか?」
「何が?」
「羽織と王冠だ」
 驚いた。出入口に、マントがきれいに畳まれてあって、その上に、王冠と杖が打ち捨てられているのを見たときは。
「だって、ここに上れなくなるもん。重いだろ」
 確かに。確かにそうなのだが、また別の理由があるように思えた。
「風邪ひくぞ」
 季節は冬に差しかかろうとしていた。まだ息こそ白く染まったりはしないが、空気が濡れたように冷たい。手足が徐々に冷えていくのを感じる。
 しろボンは、縁に体を預けながら、かにロンが横歩きするように、くろボンにぴったりとくっついた。
「こうすればあったかいよ」
「近い」
 咎めながらも、くろボンもしろボンをのけようとはしなかった。
 しろボンは前を向いたままだ。城下が静かに寝息を立てている。それを懐かしむような、愛おしむような、寂しむような目つきで見つめている。同じ感慨を、くろボン自身もその視線の主に感じた。落日の、水平線の彼方へ日が沈む、一瞬の侘しさに似ている。
 日が沈み、夜がくる。王子は消え、王が生まれる。
 ころんと丸い頭が目に入って、手を伸ばす。無意識だった。はっと気がついて、俺は何をしようとしているのか、と手が止まった。しろボンが気づいたらしく、こちらを向いて、ただ手を出して止まっているままのくろボンを見つめた。
 しろボンは、くろボンの手を取った。そして、突っ伏して、握った手を自分の頭に乗せて、撫でた。くろボンは、されるがままに、しろボンの頭を撫でた。疲れたらしく、やがてしろボンの手が止まってからも、なんとなく続けていた。
 お互いすき間もないくらいにくっついて、くろボンはしろボンの頭を撫で、しろボンはくろボンに撫でられて、ただそれだけで、何も言わなかった。
 街が眠る中、城が賑やかな中、ここには二人しかいない。まるで世界から切り離されたかのようだ。
 くっついた肌があたたかい。酒を飲んだからではあるまい。ただそこにいるという体温があたたかかった。

 ふと、しろボンが身じろぎした。顔を向けると、犬ロンのように背を伸ばしていた。そこから、顔を伏せて、はあーっと、長い、深いため息が出る。
 つらい、くるしい、重い。万感こもごも到る、そんな風に感じられた。
 どうした、なんて聞けなかった。なんとなくわかったからだ。
 重圧。水の中でおぼれるように、もがけばもがくほど、沈んでいく。上手くて足が動かない。息が苦しい。誰か、誰か。そんな声が聞こえる。
 こいつでも重荷を感じることがあるのか。明るく笑い飛ばすかと思ったのに。
「どこかへ行くか?」
「え?」
 しろボンが顔を上げる。
「どこかって、どこ」
「さあ……どこでも。ネレイドでもいいし、土星で修行しなおしてもいいだろう。太陽神殿でもいい」
 あるいは、ここではない、こいつを王と呼ばないどこか。
 そんな場所があるのかは知らないが。
「くろボンって、冥王星で生まれたんだっけ」
「そうだが」
「じゃあ、冥王星行ってみたいな」
「何にもないぞ」
「けど、くろボンがいるじゃん」
 視線が重なる。月明かりが、ぼんやりとしろボンを浮かび上がらせる。
 隣にいるのに、こうして肌もくっついているのに、その姿はまるで夢幻のようで、息をのむ。
 頭に置いた手が、強く握り返された。
 何も言えないでいると、破顔一笑、けたけたと笑った。
「なーんてね!」
 しろボンはくろボンの手を、どこかへ置くようにしてどかした。
 まるで冗談、とも言いたげに、しろボンは笑っていた。しばらく、収まらないという風に笑っていた。ぜんまい仕掛けのおもちゃのように、どこか大げさで、ぎこちなかった。
 波が引くと、また元のように、縁に腕を敷いて、頭を乗せた。今度はくろボンの手を取らなかった。
「オレはどこにも行かないよ」
 言う顔は、はにかむようでいて、どこか愁いを帯びていた。
 どこにも行かない、のではなくて、『どこにも行けない』と言っているように聞こえた。
 やる前からあきらめるなど。やってみなければわからないではないか。昔のしろボンが言いそうな言葉が浮かんだ。
 けれど、くろボンには、それがとても無責任に感じて、今この場で言い出すことが出来なかった。

「オレがどこかに行くんじゃなくてさ、くろボンがいてくれたらいいじゃん」
 ねえ、としろボンが小さく微笑む。けれどくろボンには答えることが出来ない。
 それは出来ない。
 ずっとこいつの隣にいることなど。
 表情がこわばるのが、自分でもわかった。言葉が出てこない。ただかすかに息をするだけ。しろボンがこちらに目を向けているのが、どこまでも深く、吸い込まれそうだ。逸らすように、そっぽをむいた。
「俺がいたところで、何の役にも立たないぞ」
 外壁の縁に手を置き、先ほどのしろボンと同じように、はるか遠くを見つめる。
「戦うだけしか能がない人間だからな」
 横でしろボンが、目を丸くした。何度も何度も瞬きする。やや間があって、ぷっと吹き出したかと思うと、いきなり笑い出した。
「あはははは!!!」
 くろボンは振り向いた。何かおかしいことを言っただろうか。虚を衝かれた。
 先ほど、どこか行こうと言ったときの、何かごまかすような笑いでなく、本当におかしいといった、我慢しきれないような笑い声だった。
 戸惑うくろボンをよそに、ひとしきり笑い終えた後、しろボンは目じりを拭った。
「だってさ、くろボン、本当に自分が役に立たないって思ってる?」
「ええ……まあ」
「くろボンってさ、めちゃくちゃ頭いいのにさ。計算めちゃくちゃ早いし、文字きれいだし、オレが知らないようなこといっぱい知ってるし。星座の名前もくわしいよね。ちなみに何? あれ」
 しろボンが一つの星を指さす。
「ポラリス。北極星」
「ほら」
 何故かしろボンが得意げになるのを、くろボンは冷めた面持ちで見る。
「あれは有名だ。わかったところで、別に賢くもなんともない」
「まあ、それが、オレにはすごかったりするんだよ」
 しろボンはまた、かすかな笑みを漏らした。
「天気も当てちゃうしね。地図も頭に入ってるし、座標を聞いて、すぐに答えちゃうし。その上めちゃくちゃ器用で、ボンバーファイターの修理も自分で出来ちゃうんだろ? ごはんもおいしいしさ。あの時のケーキ、すごかった。天気予報のお兄さんでも手紙代わりに書く人でも、修理屋でも料理人でも何でもなれるじゃない」
「俺はただ中途半端なだけだ」
 くろボンは呆れて、はあとため息をついた。
 別に星座を知っているのは、方角を知るためだ。気象を読むのは、機体を駆るのに、天候条件が影響するからだ。地形を覚えているのは言わずもがな。多少の修理は出来るし、料理は出来るし、書類も書けるかもしれない。
 けれどそれは、必要だったから得た知識だ。つまり、『戦うために』得たものだ。至極当然、当たり前のもの。
 その他は、手慰みに得た技術だ。上には上がいるし、それで食べていけるものではない。

 しかし、何故──くろボンは、ふと思った。何故、こんなにも、自らを否定するのだろう。
 しろボンは、心底そう思って、褒めてくれているのに。何故それを受け入れられないのだろう。
 その理由は、薄々気づいてはいた。
 怖い。
 俺は隣にいてはいけないのだ。争いを起こすだけの存在だから。もし俺が役に立つ存在なのだとしたら、傍にいなくてはいけなくなる。
 幸せを享受していいはずなど、あるわけがない。
 希望を見出してはいけない。諦めさせてくれ。

 くろボンはうつむいた。しかし、しろボンは気にする風でもなく、続ける。
「それにね」
 なおも視線を外すくろボンを、見つめるようにして。
「それを言うんだったら、オレだって同じじゃない」
 またぞろしろボンは笑い出した。
「オレだって、王子のくせに、寝坊するし、約束すっぽかすし、勉強あまりできないし。さっきだって、北極星もよくわかってなかったしね。おっちょこちょいで、ヒーター消し忘れてぼや騒ぎ起こすし、窓閉め忘れてオバケだ! って騒ぐし。勝手にお城抜け出しちゃうしねえ」
 あったな、そんなこと。昔の話が思い出される。というか、自覚していたのなら、もう少し何とかしてほしいものだったが。
 まあ、それも今となっては──。
「けどさ、もしそんなオレでもさ、一緒にいて、くろボンが楽しいって思ってくれたんだったら。オレが全然役に立たなくなって、楽しかったんなら」
 しろボンの笑いが止まる。はっとする。
 くろボンは、ゆっくり、そっと、しろボンを見た。

「くろボンが、本当に役に立たなくても。戦うことしかできなくても、戦えなくなっちゃっても。オレは、幸せだと思うんだ」
 目を見つめた。やさしかった。その中には、くろボンと、過去過ごした日々が、讃えられているようだった。暗い夜の中で、ただ一つの光のように、道しるべのように、静かに明かりが灯されていた。

 年賀状の代わりに、くろボンがやってきたこと。
 しろボンが家出したこと。それを雨の中探しに行ったこと。
 しろボンにスカーフをやって、それが小さな子供の手当に使われたこと。
 盆休みに、お互い入れ違いとなって、くろボンの部屋で過ごしたこと。
 くろボンが書いたという手紙をなぞり、返事を出してきたこと。
 命がけで戦ったり、逃がしたり、助けられたり。影武者騒ぎ、暗殺未遂なんてこともあった。
 かと思えば、酒に酔っただらしない姿を晒したり、シミュレーションゲームなんてものに興じたり。何も言わずに過ごしたり、一緒に過ごしたり。知らないところで噂されたり。
 決して仲が良かったとは言い難いけれど、それでも結構な時間をともに過ごした。
 そのせいで、夢に見たりして、目覚めた後で、どきりとしたものだ。いつぞやは、女装して城に忍び込む、なんて世界も垣間見たりした。
 さて、果たして──それらすべて、今では懐かしいばかりの思い出を、否定することが出来るだろうか?
 もしそんな、一見どうでもいい、くだらない、何でもないような日々が、大切だったというのなら。
 しろボンの言葉が思い起こされる。
 とんでもない王子とでも、過ごした日々が楽しかったというのなら、たとえ、自分がどんなに役立たずで、世間から必要ない存在だとしても。
 その続きを、くろボンは、考えることをためらった。

 否定しろ。頭の中で声がする。
 傍にいてはいけない。幸せになってはいけない。
 けれど、どうしても。

「──は」
 思わず笑った。漏れてしまった。肩が震える。
「ははははは!!!」
 止まらない。笑いがこみあげてくる。くろボンの与り知らぬところ、心の底奥深く、背筋を通って、湧き上がってくる。
 まったく。こいつといると、おかしいことだらけだ。
 こんなに笑ったのはいつぶりだろう。もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。それくらい、おかしかった。
 いきなりくろボンが笑い出したので、その壊れた様子に、しろボンはいささか引いていた。気がついて、未だ収集つかぬ感情を、くろボンはひとまず飲み込んだ。
「ど、どしたの?」
 しろボンが気づかわしげに聞いてくる。
「──諦めた」
「諦めたって、何を?」
 くろボンは、しろボンを見据えた。
「いよいよ、縁が切れて、せいせいするのかと思っていた」
 遥か彼方、遠い地の、王子の身をあれこれと案じる。そんな自分が莫迦らしく、未練がましくて、嫌だった。すでに腐りかけているくせに、こよりのようにねじれてる縁を、断ち切ろうとした。
 そんなことは、諦める。
 認める。確かにしろボンといた日々は、楽しかった。……というと少々語弊はあるが、他に適当な言葉は見つからない。苛立ったり腹立たしかったり、必ずしも愉快ではなかった。けれど、満ち足りていた。何物にも代えがたい。おそらくは、幸せだった。
 そのことを認めるし、これからもたらされるだろう幸せも受け入れてやる。虚勢を張るのを諦める。そんなものはなんら、こいつの前では意味がない。
「降参だ。俺は、お前に負けてばかりいる」
 なんのこと? としろボンは不思議そうな顔をしていた。
 まあ、わかってくれてもくれなくても、どちらでもよかった。わかってくれたなら、説明の手間が省けるが、そうでなくても、こいつらしいなと思えて、なんだか満足してしまう。

「あ」
 しろボンが声を上げ、何かに気づいた様子で、ぱっと顔を横に向けた。つられて、くろボンも同じ方向を見る。
 城下の、さらにその向こう。悠然と腰を下ろした山々の向こうが、にわかに、朱く帯を引いている。
 雲が、通り道を明け渡すように、脇に引いていく。そこから、ぬっと、金色の頭が、顔を出す。ゆっくり、焦らすように、しかし確かに。
「ええ? 本当に!?」
 日の出だった。いつの間にそんな時間が経っていたのだろう。しろボンは辺りをきょろきょろ見まわしている。
 徐々に、空の端っこが、橙に染められていく。夜空を燃やしていくかのようだった。固唾をのんで見守る。しろボンも、事実を受け入れたらしく、せわしい動きをやめ、同じように地平線を見つめる。
 魔法がかかる。あるいは逆に、魔法が解けていくのを見ているかのようだった。段々と、雲や山や建物が、輪郭を光に縁取られて、強く光る。
 くろボンはつとしろボンを見た。
 柄にもなく、朝がきたら霧消してしまうのではないかという、錯覚にとらわれた。朝露が水蒸気となって、空に還るみたいに。
 しろボンは、そのままでそこにいた。光を受け、輪郭をまばゆく、しかし確かなものとして、そこにいた。あたたかさと明るさを、瞳に灯したままで。

 そのしろボンが、不意に顔をしかめたかと思うと、ふわあっと、口に手を当て、あくびをした。それもそうか。昼間に戴冠式、そのあとに少し休憩を挟んだが、夕方には会食、夜には招宴。そのまま夜を明かしてしまった。
「寝るか?」
 くろボンは尋ねたが、しろボンは頭を振る。
 寝ないといけないだろう。たしなめると、しろボンはぼんやりとした様子のまま、くろボンの腕を取り、そのまま巻き込んで、外壁の縁に身を預けた。少し引っ張ってみたが、しろボンの懐に差し入れた格好の手は、挟まれて、抜けそうにない。
「寝たら、くろボンどっか行っちゃいそうだもの」
 と言ったそばから、すうすう寝息を立てはじめた。
 身を近づけて、その寝顔を確かめてみた。やわらかい光に撫でられるように、朝日に照らされていく。しろボンの表情が、おだやかで、安心しきった赤子のようで、くろボンは、苦笑混じりにため息をついた。
「もっともだな」
 いつかまた、離れることもあるかもしれない。けれど、きっとまた、腐れ縁とか運命とかそういう言い訳をして、また舞い戻ってしまうのだろう。
 目の前には燃えさしのような空が広がっている。くろボンも目を閉じる。炎のように、まぶたの裏を光が差す。
 しろボンの体に包まれた腕があたたかい。そのままずっと、眠ってしまえそうな気がした。
 もちろん、寝ても覚めても、そこに二人でいた。


どうせ涙をぬぐってやることもできないのだから、
私はせめて、
君を燃やす火になりたかった。