りりしく去ってちょっと泣く(没)

「雨乞いの儀式でも練習しておく?」
 冗談とも判断しかねるオレの発言に、怒ったり、呆れたりする人はいない。いや、いなくなってしまった。今やくろボンは、何も言うことはない。
 マッチ棒のように、人が整然と座する大会議室。その中心にオレはいた。かすむくらいの端っこのところに、くろボンがいる。
 オレは今、書類と首っ引きになりながら、話半分に議員の話を聞いている。
 気温上昇にともなう燃料消費量の低下。取引減による外交関係の維持。予想される水不足への対策。少し前のオレなら、天岩戸にこもって居眠りしそうな話だけれど、驚くなかれ、今その議題を回しているのが、自分だったりする。
「南西部っていったら、みかんが美味しいとこだろ。水不足で、食べられなくなるのは嫌だなあ……。ダムだっておいそれと作ったり壊したり出来ないし」
「差し当たっては、貯水量の観察と気象動向に注意を払いましょう」
「あっちの方の河とか調べた方がいいかもね」
「仰るとおりに」
 そんな定例会議を終えて、オレは二言三言以上も口を出したというのに、かつてこの場の主役だったくろボンは、遂に一言も発しなかった。
 別に、今に始まったことじゃないけれど。

 静寂の響く廊下を歩く。いつもならくろボンはオレの横、あるいは一歩前に出るくらい並んでいたというのに、今や影を縮こまらせて、オレの背丈より後ろに、何も言わずについてくる。方向が一緒だから仕方ないにしても、唯一の音源である足音までもがきっちりと重なってくるのだから、何だか付きまとわれている心持ちになって、ふわふわと落ち着かない。
 何か、ある? そう思って、少し目を細めて後ろを伺うけれど、思うだけで、絶対に言わない。オレがくろボンを気にする素振りは、絶対に見せてはいけないのだ。
 そんなことしたら、せっかくの計画が台無しだ。
 何だかこちらに気づいた気配がしたので、慌てて紙に視線を落とす。今日の会議の資料だ。親衛隊の事は申し訳程度に載っている。
 戦争なんてものからすっかり切り離された今では、親衛隊も名前ばかりのものに過ぎず、年々規模は縮小されている。予算の縮小に伴って、くろボンが利かせる幅もすっかり狭くなっていった。
 だって、ボンバーファイターが上手く操れるからって、何の役にも立てないじゃないか。
 それは、『微分積分が何の役に立つの?』という質問に似ている気がしたが、それだって数学は、パズルのようなおもしろさがあり、何物にも代えがたい。
 でも、ボンバーファイターは、空を飛ぶなら飛行機があるし、宇宙へ出るなら宇宙船があるし、他にもいくらでも代わりがある。その辺を飛ぶにはいささか大型で、騒音問題とかで揉めそうだし。駆ることそのものが純粋に楽しいのだとしても、別に『エースパイロット』など求められていない。
 元は災害救助を目的とした機体だから、ある程度の配備は必要だとしてもだ。天災はほとんどない。余程ビーダ王国が恵まれているだけかもしれないけど。別にボンバーファイターである必要はないし、だからくろボンである必要もない。
 オレは頭の中に浮かぶもやもやを振り払いながら、努めて平静を装って声をかけた。

「くろボンは、会議を聞いてた?」
「ええ、まあ」
 声に張りが無い。
 彼はいつも面倒なことは適当にごまかすことがあるが、これはそういったものではなく、ただ単純に覇気といったものが抜けた感じだ。
「だったらさあ、この紙なんだけど」
 オレはくろボンの方を見ずに、歩みだけ進めた。
「今は木だって貴重じゃない? 裏紙でも再生紙でもないし、毎回使うのはもったいないと思うんだけどなあ。プロジェクターだって使えるじゃない。知らせるのは掲示板とか回覧とかするなりすれば……」
 だけどちょっとだけ反応が気になって、体は前に向けたまま、顔は少し横を向いて、目だけくろボンに合わせた。
 そこに、かつて感じた凛々しさはない。
 ちょうどいる鉢植えの、香りの抜けた沈丁花。
「そうですね」
 くろボンは、五十音を読んでいるかのように、小さく無機質に答えた。

 元気がないのは、オレのせいである。
 よく、お年寄りが生きがいを見つけて若返るというけれど、この場合は、若者が生きがいを無くして老け込んでいる。
 オレは必死に勉強をした。くろボンを貶める、そのためだけに。
 まずは興味のあるボンバーファイターの構造。その歴史。人物。当時の政治情勢。世論、気風。そこから生み出された芸術、文学。王子として必要な軍事学、おなかが空けば栄養学。その他、倫理学哲学もろもろ。
 急にオレが勉強熱心になったので、周りの人たちは大いに喜んでくれた。──ただ一人、くろボンを除いては。
 にわかにオレが博学であると噂されはじめた頃には、くろボンは口も利かなくなってしまった。もともと寡黙であったことを差し引いても。
 そもそも彼が言ったんじゃないか。「王子らしくしろ」って。だからオレは、その王子らしい教養というやつを身に着けるために、死に物狂いで頑張った。それなのに、意気消沈している。オレを恨むとしたら、お門違い。自業自得だ。
 今のオレだって、『王子らしい』威厳があるとは言い難い。それ以上に、くろボンは『隊長らしく』なくなってしまった。
 きっと、くろボンは居場所を無くしてしまったんだ。
 くろボンだって頭は良かった。けれど、それ故に妬みも多かった。今まで実力で黙らせてきたけれど、脅かす存在、つまりオレが出てきてしまった。もとより、王子と隊長だったら、立場はオレの方が上になる。
 なあんだ、隊長と言ったって、大したことないじゃないか──そんな声すら聞こえてくる。
 もちろん、くろボンが隊長になったのは、彼自身の努力のたまものだ。異例の若さで勝ち取った椅子は、それを裏付けるものである。くろボンの絶対の自信は、そこにあったのだろう。
 それがどうだろう? 今まで自分より遥か下に見ていたヤツが、あっという間に追い越して、先に、行ってしまったとしたら。周りから揶揄され、後ろ指を差される。周りに何を言われようが、揺るぎない強さがくろボンにはあったけど、それは、自分が上だと思っていたからであって──同じ年で、何かと比べられて、くろボンは、どんな気持ちだろう。
 隊長になったばかりの頃の、凛とした空気とか、はっきりと通る声とか、今は懐かしい。

(もう、くろボンがいなくても、平気になっちゃったな……)
 部屋の前で別れを告げて、小さく一礼をして去っていくくろボンの背中に、落ちゆく葉っぱのような寂しさを感じていた。
 全ては、計画通りだ。上手くいきすぎて、寂しい。

 セレスとパラスがやってきたのは、その日の午後の事だ。
 彼らは良くも悪くも根っからのくろボン信者で、彼抜きにしてオレのところに来るのは滅多にない。
 だから、用件は自ずと想像できた。
「くろボン隊長の、お加減がよろしくないようで」
「そう? 健康診断じゃ、基準からはみ出しているのは無かったんでしょ?」
 オレは彼らに目を合わせず、無関心を装って、手元の本を読み進めるフリをする。
「いえ、そういう訳ではなく……」
 なんだかもごもごとしてて要領を得ない。
「落ち込んでる、って意味?」
 オレが言うと、二人がはっと息を飲むのを感じた。
 どうやら、この二人もそういう風に思っているらしい。
 よろしくない事象の筈なのに、オレが勘づいていたのに驚いたのか、はたまた嬉しいとでもいうのだろうか、ぱっと顔が紅潮し、饒舌になる。
「そうなんですよ。最初はため息が多くなったな、と思って。時々遠くを見てたりとか。でもね、懐かしむように窓の外を見るとか、のとは違うんですよ。まるで外に何かいるかのように、はっと振り返って。ある時は、もう、何もない空間を見るような、そんな感じで。声をかけたって、ニ三度じゃ気づいてくれないですよ」
「そうそう。その内、書類のサインも、気に入らないと言っては何度も直されまして。部屋を出るときなんか、同じところをぐるぐる回って、鍵は掛けたかって、何度も気にされて。大丈夫ですよ、って申し上げても、見てくるって言って自分で行かれるんです」
「何というかね、隊長になりたての頃は、見た目よりも大人というか、そんな風に見えてたんですけどね。今じゃ、年相応を通り越して、違う意味で老けて見えるというか。声は萎んでいくし、歩幅も小さくなるし」
「働きすぎかと思ったんですけど、あの方は、私たちから進言してもお休みになられないんです。だから、私たちからお願い申し上げるのは、まことに恐縮ではあるのですが……」
「くろボンに休め、って言うの?」
 二人はそろって頷いた。
 オレは読んでいた本をたたみ、ちょっと頭を傾いで考える仕草をして、口を開いた。
「……だけど、それは逆効果な気がする」
「何故ですか?」
「命令で言うのは簡単だけど。そういう、上から縛るのって、今のくろボンにあまり良くないんじゃないかな。そうすると、『自分は必要とされてないんだ』、って思っちゃいそう。だからと言って、自主的に休んではくれないんだよね。……うーん……」
 オレは頭を抱えるフリをする。
 大体、この相談の答えは決まっていた。
「オレにできることなんて、何もないよ」
 そう告げた時、明らかな落胆を見せて、「そうですか」、とセレスが小さく呟いた。
 こんな忠臣がいるなんて、くろボンも羨ましいじゃないか。
 そう、オレに出来ることなんて、くろボンを罷免する他何もない。
 それを言ったら、この二人は、オレに殴り掛かってくるかな。

 念願が叶うまで、あともう少しだ。

 それは、意外に早くやってきた。
 数日後の恒例の会議の帰り、くろボンの方から、「お時間を頂けませんか」ときたものだ。
 すぐに承諾しては怪しまれるから、忙しいんだけど、と一旦は断っておいて、様子を見たら、「お手間は取らせませんので」と食い下がってきた。そこで、渋々承諾してみせた。
 オレに撥ねつけられて、諦めなかったのは久しぶりだ。
 いつの間にか、敬語が当たり前になってから、それ以来かもしれない。
 オレは約束通り、人気の少ない中庭の奥の物陰で、くろボンを待っていた。
 くろボンは部屋に取りに行くものがあるらしい。『それらしきもの』をきゅっと握りしめて、くろボンは重そうな足取りでやってきた。
「お呼び立てして申し訳ございません」
 くろボンは深々と詫びる。
「別にいいよ」
 ちょっと前だったら、遅刻していたのはオレの方だったのに。
 寝坊して、断りもなしに部屋を破られて、腕ひっつかまれて引きずり出されて。そんなことなんて、始めから無かったかのようだ。
 くろボンが、ちらりと自分の握りしめた拳を見やって、何度もためらって、ようやく差し出された『それ』は、想像していた通りのものだった。
 透きとおった絹のような上品さの木綿紙で、だし巻き卵のように包まれた『それ』。
 ──退任届。
 つまり、くろボン自ら、親衛隊長を退きたいというのだ。
 オレは震える手でそれを受け取る。喜びが溢れてしまうのではないか、と怯えながら。
 ようやく、この時が来たのだ、と。
 オレの努力も、この為にしてきた。

 くろボンより賢く。くろボンより優しく。くろボンより明るく。
 それは食べ物の好き嫌いなどから五桁の暗算をこなす能力まで、細かいことから大きなことまで、彼に一点も劣らないことだけを目指してきた。
 そうすれば、彼は辞めてくれるだろう。そう目論んで。
「こういうのはまず父上に申し上げるべきじゃないの?」
「……陛下には、お伝えしてあります。王子に断りを入れてから、と仰られましたので」
 オレははらりと包みをはがし、ざっと中身に目を通すけれど、それが別れを告げる遺書のようなものだと認識するに留まり、後はよく読まなかった。
「……わかった。受け取る」
 くろボンの顔には、先ほどより深い翳りが見えた。
 彼の眉はいつも吊り上がっていたけれど、今は萎びてしまったようだ。少しだけ、風邪をひいたように頬が赤い。
 くろボンがもし泣くのだとしたら……こんな顔になるのだろうか。
 その表情を直視したら良心が軋んで痛むので、定規で引いたように歪な文字を追い、オレは続けた。
「これ、日付は来月末になってるけど、別に明日からでもいいよ。来なくても」
 内心悟られないように軽やかに告げる。
「は」
「くろボンの仕事は、セレスかパラスかが把握してるでしょう。予算や運用などの立案はセレスがやればいいし、実際の兵士たちの統率はパラスが執れる。オレもちょっとは知ってるし。あと細かいところは何とかなるでしょう。くろボンがいなくても」
 最後の言葉はわざとらしいほどにはっきりと告げた。
 彼が震えるのが、空気を通して伝わってくる気がした。
「そう、ですか」
 清明節の風にさえ、かき消されそうな声。
「永い間、お世話になりました」
 彼が頭を下げるのが、ちらりと視界の隙間に入った。くしゃっと芝生を踏む音がして、引き返したのだ、と確信した時、ようやくオレは紙から顔を上げる。
 陽の光が消しゴムになって彼を消してゆくようだ。
 この城、いや、この中庭を出てしまえば、彼はもう、隊長でも何でもない。

 もう、オレに関わることもないのだ。文句を言われることもない。
 稽古でむきになって、畏れ多くも王子に打ち傷をいくつも負わせたりとかしない。会議に出たての頃、単語の意味が分からないオレに、偉そうに高説を垂れたりもしない。
 もうくろボンに教えてもらうことなんて一つもないし、守ってもらうこともない。
 くろボンは感情の機微に疎かったから、オレの思惑なんててんで気づいてないだろうけど、隠し通すのに、どれだけ必死だったことか。それは、くろボンを越す為の努力より、遥かに難しいことだった。
 その苦労も、これで終わるのだ。

 ほっとした。自然と笑い出しそうだった。嬉しくて、泣きそうになってしまった。これでようやく解放される──。
 オレは深く息をついた。
 やっとくろボンは、オレからおさらば出来る。自由になれる。ゆっくり休める。もう頑張らなくていいんだ。
「オレはただ、くろボンに元気でいて欲しかったんだよ」

 くろボンの足が止まった。弾かれたように振り向く。時間が止まったかのように固まって。両目を見開いて。
 最後の最後でしくじった。
 オレがそう思って口を押さえた時には、勝手に目から雫が落ちていた。
 マントのはためく音がする。

没理由:
思惑があったとはいえ、しろボンがちょっと嫌な奴で、くろボンが湿っぽすぎる