「なんだこれは」「わからない」
俺は絶句した。隣のしろボンもかぶりを振る。
二人の眼前にそびえるは、派手派手しい電飾に囲まれ、いかにも趣味の悪い看板。
『S〇Xしないと出られない部屋』、とある。
……頭が痛い。手を当てながら、これまでの経緯を振り返ってみる。
俺はグレイボン博士の工房を訪ねた。本来隊長自ら訪う必要は無かったのだが、この頃にわかに「新型ボンバーファイター」の開発が噂されていた。彼は研究室にこもりきりらしい。それが気になったのだ。別件でデータを送っているが反応がなく、様子見も兼ねて、直接訪ねたのだった。
それを出迎えたのがしろボンだった。
「博士はもうちょっとしたら来るから、それまで待ってて」とこの部屋に通された。
見た目は普通の一般家屋。白い梨地の壁紙に、綺麗に目のそろったフローリング。そこに点在するいくつかの家具。タンス、テーブル机。ベッドはダブルサイズだからタチが悪い。あえて窓が無いのが、おあつらえ向きと言うべきか。ごく普通の部屋のようでいて、入ったら出られない牢獄のようでもある。
何の気なしに部屋を見まわしていたが、ふと、視界に引っかかった。この、低俗極まりない看板。
ハメられた。瞬時に悟り、今に至る。
「ねえ、このエスなんとかって、どういう意味?」
隣から、しろボンが俺の顔を覗き込んでくる。
「それはお前、セ……」
言いかけて、口をつぐんだ。今にも言葉がこぼれそうだ。危ない。よく考えろ。
こいつが聞いてくるということは、何だかわかっていない、ということだ。そこで『〇〇〇』と言おうものなら、天下の防衛隊長の名に傷がつく。まっ昼間から、下ネタを口走るなどと。あってはならない。
しろボンはきょとんとして、頭をかしげる。「セ?」
「……いや、ここから早く出よう」
俺は続きを待っているしろボンを無視し、踵を返した。
どういった意図でこんな部屋を作り、俺たちを迎え入れたのかは知らない。だが、こんなくだらないお遊びに付き合っている暇などはない。
振り返って、再び俺は絶句した。ドアが、ない。
確かにこっちから来たはずだ。壁に近寄る。ドアがあったと記憶してる場所は、まっさらで、その痕跡がない。綺麗に壁と一体化してしまったようだ。触っても、叩いても、うんともすんとも言わない。
「ええ!! 何これ!!」
同じく気づいたしろボンが、こちらに寄ってくる。ぺたぺたと、手のひらを壁に貼り付けるが、やはり何ともない。
どういうことだ。頭の中で、言いようのない不安が渦を巻いている。これは……まさか、本当に。〇〇〇しないと……。
俺は横目にしろボンを見た。
こいつと……?
「ん? どしたのくろボン」
知らず意識が飛んでいたらしい。しろボンの声に呼び戻され、はっとする。
いいや何でもない、と答えるが、何でもないわけがない。何でもありすぎる。
しろボンは俺の動揺などどうでもいいようで、ふうんと鷹揚に頷き、「それよりさ」と続けた。
「さっき言いかけた、『セ』って何?」
本当に、無知であるかのように、尋ねてきた。俺は息がつまる。
これをどう説明したらいいものか。まっとうな知識ではあるはずなのだが、一歩間違えば、猥談となりかねない。普段、身なりの整った女性を見れば、すぐに鼻の下を伸ばすくせに、どうしてこれは知らないのか!
「くろボン何か知ってるんでしょ? オレ早くここから出たいよー。おなか空いたよー」
そう言ってしろボンは体をゆらゆら、軟体生物のようにゆする。
ええい、人の気も知らんくせに。
俺は一呼吸ついて、自らを落ち着かせたあと、ゆっくりと、言葉を選びながら尋ねた。
「……お前、赤ん坊はどうやって出来るのか知っているか?」
「え? コウノトリロンが運んでくれるんでしょ?」
しろボンはぱちくりと目を見開いた。やっぱりか。俺は肩を落とした。
今時そんな迷信、信じている奴がいたとは。コイツは無類の阿呆だから、可能性はあるとは思っていたが。「違うの?」とさえ聞いてくるのだから、始末に悪い。
俺は気力をふり絞り、顔を上げた。
「もしコウノトリロンが運んでくるのなら、何故男女が必要なんだ?」
「えええ? 一人で育てるのは大変だからじゃないの?」
いや、確かにそうだ。そうなのだが。
「お前は街で妊婦さんを見掛けたことがないのか?」
「あるよ?」
「じゃあコウノトリロンが赤ん坊を運んでくる必要がないだろう?」
「だーかーら、コウノトリロンがキャベツを運んできて、それを食べたら赤ちゃんボンが出来るんでしょ?」
しろボンは少々苛立ちを含ませて返す。
「もし男が食べたらどうなるんだ?」
「あっ……」
ここで持論のおかしさに気づいたらしい。しろボンは一瞬言葉を失い、
「女の人になっちゃう……とか?」
どこまでもとんちんかんな答えを出した。お前はクマノミロンか。
俺は自分の気が遠くなっていくのを感じた。一体どうしろと言うんだ。いくら防衛隊長であっても、学校の教師とは違う。この、初等学校の知識すら危ういこいつに、どう説明をし、納得させた上で、その……。思い描くのもはばかられる、あれやそれやを行えというのか。
まったく、誰だ、こんな部屋を作った奴は!!
「ねー、それがこの部屋とどんな関係があるんだよ?」
しろボンが尋ねてくる。何一つわかっていないようなのが、この上なく腹立たしい。
その怒りのまま、壁に一発ビーダマを見舞ってやった。
「わ!?」
しろボンが慌ててのけぞる。激しい爆発音が反響し、白い光が視界を覆う。
仮にも俺は防衛隊長だ。並大抵の壁なら、壊すとまではいかなくても、ヒビくらいは入れられる。
はず、なのだが──もやが晴れた先にあったのは、傷ひとつない壁だった。忌々しいほどに艶めいている。
そう、こういったふざけたことをする奴は、相反して性能が高いものだ。無慈悲な現実を前に、うなだれざるを得なかった。
「まーまー元気出して? はい、これジュース」
「……すまん」
しろボンにペットボトルを手渡され、受け取った。……いや、待て。はたと止まる。
「これ、どこから持ってきた」
「どこって、冷蔵庫から」
しろボンは部屋の隅を指さす。ちょうど一人か二人用の、白い冷蔵庫が、ちょこんと置かれている。無駄に至れり尽くせりだな。感心する。悪い意味で。
素直に飲んでいいものだろうか。俺はペットボトルを見つめ、逡巡した。
なにせ、ここは『〇〇〇しなきゃ出られない部屋』だ。そのための環境が整えられているはず。普通に喉を潤すものが入っているだろうか。エナジードリンク、マムシロンの酒、メッコール、ポーションのまがい物。見た目は無色透明で、ごくありふれたミネラルウォーターにも思えるが……。ラベルがないのが妙におそろしい。
「おいしろボン、これを飲むのは待……」
「ごちそうさまでしたー!」
俺が止めるのよりも早く、しろボンはすでに平らげていた。快活一番、手を合わせて、高らかに声を上げる。見ると、ペットボトルはすでに空、テーブルには、新たに持ち出したのか、プリンかゼリーのカップを散らかしている。
遅かった……!
「ん? どしたのくろボン」
しろボンが口の端を拭いながら聞いてくる。呆れて答える気も起きない。どこまでお気楽なんだこいつは。
確かに、閉じ込められたからと言って、すぐ死ぬ心配はないのかもしれない。空調は整っているし、備蓄も十分にあるのだろう。
おそろしいのは、そこまで『〇〇〇』のお膳立てをしてくれているところだ。その執念には、おぞましいものを感じる。気が狂っているとしか思えない。
そもそも、何をもって『〇〇〇』と判断するんだ?
Aか? Bか? Cか? HIJKというやつか。男同士で、Jはないのだが……。同性が一緒に入る可能性は考えられなかったのか。
どういった意図で作られたんだ? 何が目的なんだ? 本当に『〇〇〇』だけなのか。他に出る方法は?
手掛かりは、この、悪趣味な看板。『S〇X』。
振り仰いだが、天井は高い。窓もない。壁も厚い。ビーダマで傷ひとつつかない。
途方に暮れた。やるしかないのか。本番とはいかなくても、その真似事くらいは。
「……」
俺は、無言のまましろボンに視線をやった。
しろボンはベッドに大の字で眠りこけていた。名前を呼びかけて、やめる。眠り薬か何かを仕込まれているのかと勘ぐったが、どうやらそうではないらしい。ただ、満腹になったから、寝る。その証拠に、規則正しく、いびきすらかいている。まったく、なんて暢気なやつだ。
しばらく頭を抱えていたが、ふと、ある考えがよぎった。
……むしろ、これは好都合かもしれない。寝ている間に、万事とっとと済ませてしまえばいい、と。
情操教育がまるでなっていないこいつに、一からことの仕組みを説明するのは、骨が折れすぎる。全身骨折もいいところだ。何より、俺が恥ずかしい。
さらに、同性同士である以上、どちらが上でどちらが下か、という問題もある。俺は組み敷かれるのはご免だ。
まったく成功するビジョンが見えないが、やるしかない。奴が寝ている間の、どさくさに紛れて。
俺は決意を固めて、歩を進める。
そういえば、と俺はタンスを漁った。あった、タオルだ。こいつを少々拝借して、しろボンの顔にかぶせる。つまるところ、目隠しだ。軽く頭を浮かせて、後ろできつくしばる。視線が合ったらたまったもんじゃない。
「え? くろボン?」
さすがに起きたらしいが、俺は無言を貫く。ここにいるのはくろボンじゃない、名もなき透明人間だ。もう一枚のタオルで、さらにしろボンの両手を縛る。
これは儀式、これは儀式だ。この部屋から出るための。そう自分に言い聞かせる。
あたりを隅々まで見まわした。おそらく、監視カメラの類はあるのだろう。ある程度目星はついていたが、壊すわけにもいかなかった。推察するに、その映像を持って、判定がなされるのだ。部屋から出ていいかどうかを。 人の情事を覗き見るなど、悪趣味にもほどがある。
映像が残るということは、出回る可能性もある。万が一そうなったら、俺は職を解かれるだろう。あるいは、一部始終が映っているのなら、事情を理解してもらえるか?
……いや、それよりも。
俺が、こいつに手を出すという、既成事実が形となる。それがとてつもなくおろそしい。
このまま助けが来るのを待つか? やめておいたほうがいいいのではないのか。別の脱出口を探すべきではないのか。決めたはずなのに、ここまできて、不安に駆られる。頭の中を、ぐるぐると考えが巡る。
「くろボーン、もしもーし、なんなのこれ!」
しろボンは今、ひざを挟んで押さえつけている。「痛いんですけど!」
はあ、と深いため息が出た。あまり長く暴れられると、タオルが解けかねない。可及的速やかに済まさなければならないのに、いまいち踏ん切りがつかない。
……試しに、試しにだ。映像でそれっぽく見えるよう、紛らわしい素振りをしてみたら……。
俺は手を伸ばして、しろボンの頬に触れた。
「冷たッ!」
先ほどまでペットボトルを触っていたから、にわかに冷えていたらしい。しろボンの体が、ぴくっと跳ねる。代わりに、俺の手のひらに、あたたかさが感じられる。
なんという罪悪感、良心の呵責か。背中を伝って、汗が滴り落ちてくる。空調は整っているはずなのに、にわかに熱くなってくる。心拍数があがるのがわかる。落ち着け、と無意識のうちに深く呼吸し、息が荒い。
ためらって、けれどそのまま、ゆっくりと顔を下ろした。出来るだけ、時間を引き延ばすように、ゆっくりと。
「え?」
気配を感じたのだろうか。しろボンが戸惑う声を上げる。身じろぎするが、より一層強く押さえつける。
息が肌に触れる。俺の息もかかっているだろう。目をつむった。いくら目隠しをさせてるとしても、直視できなかった。顔から熱を帯びて、熱い。
肘をベッドにつける。ベッドがきしむ。体重を預ける。体が沈む。もうまもなく、ゼロ距離。
少しだけ、目を開けた。瞬間、視線が重なった。見開く。しろボンの顔が、そこにある。不安と、驚きに満ちた目が。
先ほど、跳ね上がった時に、タオルが少しずれたのだ。しろボンの目には、俺の顔がまっすぐに据えられていた。
「うわあああああ!!!」
しまった、俺がそう思ったのと同時に、しろボンが飛びあがる。
陸に揚げられた魚のように、体全体を勢いよく跳ねさせると、ベッドから落ちた。そのまま混乱した様子で、壁へ一直線。派手に衝突した後、動きが止まった。
「おい……大丈夫か?」
俺は呆然としていた。しながらも、必死に言い訳を考えていた。見られてしまった。あれはどう見ても、秘め事の類だ。どう取り繕ったらいいだろうか。
「これは、部屋から出るための儀式で……」
俺が後ろからしろボンに声を投げる。聞いているのかいないのか、亡霊のように、しろボンがよろよろと起き上がる。瞬間、ドアが開いた。
『は?』
思わず二人の声が重なる。
『ブラボーブラボー。おめでとう! コングラチュレーション!!』
機械音で、どこからともなく声が聞こえてきた。
『キミたちは条件をクリアしたゾ☆』
やけに弾んだ口調なのが腹立つ。
俺としろボンは辺りを見まわしたが、声の主らしき人物は見当たらない。壁にスピーカーが埋め込まれていて、聞こえてくるという仕組みなのだろう。ひとしきり探した後、二人で顔を見合わせた。
どうして開いたのだろう。条件を満たしたとはどういうことか。
あれで? 頬に触っただけで? 顔を近づけただけで。企図そのものはえげつないのに、判断基準がプラトニックすぎて、違和感しかない。
お互いぽかんと呆けていると、ドアの向こうから、今度は拍手が聞こえてきた。
「おお、おお! 実験大成功じゃ!」
「ハカセ!」
工房の主、グレイボン博士。手をたたきながら、ゆっくりこちらへ歩み寄ってくる。
「よくやったぞ、しろボン。誰でもいいから知り合いが来たら、ここに通してくれと。きちんと役目を果たしてくれたようじゃな!」
「確かに、言われたけど。なんなのさー、これ」
しろボンはぶーぶー言いながら、部屋の中をつんつんと示す。
どうやら、これはグレイボン博士の発案らしい。それもそうだ。ここは彼の工房なのだから。よくよく考えればわかることだ。
しろボンは、手伝わされはしたが、これがどういうものなのか、知らされてはいなかったのか。
俺は力任せに壁を殴った。
「お……おや? くろボン?」
ここで初めて俺に気がついたらしい。素手で殴ったとて、大した音はしなかったが、残響がこだまするようだった。目に見えて、博士がうろたえ始める。
「しろボン、くろボン連れてきちゃったの?」「いやだって、知り合いだろ」「しかしいくら何でも……」
「どういうことか!」
もう一度壁を殴って言葉を遮る。
「説明していただけますか?」
「ハ、ハイ……」
その後、グレイボン博士の言うところは、こういうことだった。
「いやあ、巷では、『〇〇しないと出られない部屋』が流行っていると聞いてな!」
得意げに言うが、流行ってはいない。
「そこは天才科学者、時代の最先端、いや一周先を行かなくては! ってことで、ワシもプライベートルームを改造して、作ってみたのじゃよ!! それがこれじゃー!!」
ぱんぱかぱーん、と、自分でファンファーレを鳴らしながら、大仰にこの部屋を手で示す。
「どう? どう? 褒めてくれてもいい……」
「そんなことを聞きたいんじゃない!」
俺が断じると、グレイボン博士はしゅんと委縮した。
「なんだ、これは。この、セ……『エスオーエックスしないと出られない部屋』というのは!!」
未だ気味悪く光る看板を指さした。さすがにあの単語を言うのははばかられたので、ごにょごにょと言葉を濁す。
「そ、そんな怒らなくても……」博士は目を潤ませる。「黙って閉じ込めたのは、申し訳なかったけども。しろボンと一緒なら、すぐに出られる仕組みだったんじゃよぅ」
「え? オレ?」
しろボンは自分を指さした。
「オレ、くろボンと一緒に出口探したけど、見つからなかったよ?」
「じゃあ、誤作動か、ずり落ちていたのかもしれんな」
「何が?」
「くつした」
「へ?」
「へ?」
一同、呆ける。時計の針の音が聞こえるような、空気の静寂。
俺はある考えに行き当たった。
先ほど、叫んだ時の、わずかな違和感。
エスオーエックス、すなわち、sox。
……なるほど。合点がいった。
「なんでくつしたなの?」
「思いついたのが、たまたまくつしたの日だったからじゃ」
「へえー」
二人は暢気にだべっている。他人事のようにそれを眺めながら、そういうことか、と小さく呟く。
「ご理解いただけたかな?」
「ええ。とても」
俺は大きく頷いた。
「しろボン、ちょっと」「何?」
しろボンを手招きして、手にカードを握らせてやった。
「悪いが、これで何か菓子でも買ってきてくれ。グレイボン博士と、長い話がある」
「え? このカード使っていいの?!」
しろボンは目を輝かせた。
そうかもしれない、何と言っても、一握りの人間しか持つことが許されない、最高峰のクレジットカードなのだから。黒光りする、選ばれし者のカード。惜しげもなく、しろボンに預けた。
「好きなだけ買って構わないぞ」
「やったー!!!」
聞くや否や、諸手をあげて、しろボンは工房を出ていった。
──もっとも、帰ってくる家など無くなるんだけどな。
しろボンを見送って、姿が消えたあと、俺は博士に向き直った。
「グレイボン博士」
「なんじゃな?」
博士は実ににこやかに返す。こちらが何を思うか気づかないまま。
「八つ当たりしてもよろしいか?」
「へ?」
腹に溜めていた力を、一気に開放する。例の、『〇〇〇しないと出られない』看板に向かって。
閃光、爆音。極太の火柱が、城下で目撃された。その真実は、誰も知らない。
該当するお題の範囲が広すぎる、そもそも書き直すお題を間違えていた、話題がアレすぎる、そもそも紋章編である必要がない
