見出され失われた人(没01)

 退職願、とえらく達筆に書かれている。
 くろボンは手渡された文面を読んで、思わず顔をしかめた。
 この文章をくれたのは、入隊してまもない新人隊員である。
 ボンバーファイターのパイロットは今もって憧れの職業にランクインしていて、華やかな世界だと誤解されがちだが、ただでさえ軍事部門が年々縮小されている上に、狭き門、苦労して入隊しても希望通りの部署に配属されるとも限らず、幸運にもパイロット候補生として配属されたとして、そこから先は泥の中を這いずり回るような厳しい訓練が待っている。大体は、夢を叶えるよりも先に敗れてしまう者が多い。要は、辞めてしまうのだ。
 莫迦なことを。くろボンは心の内で吐き捨てる。
 入隊、配属までは運の要素がある。だがそこを過ぎてしまえば、己の努力でどうとでもできるのに。
 これを寄越した彼は、将来有望なパイロット候補生だった。いや、『候補生』と呼ぶのすら似合わないほどの、才覚を持っていた。天才と称されたくろボンでさえ、彼の卓越した飛行操縦技術には、恐れおののくくらいだったからだ。
 ただ、唯一の欠点と言えば──我慢が足りない。横着。面倒くさがり。
 類まれなる才覚を持ち合わせている故、何をやらせてもそつなくこなせるものだから、一つのことに集中して取り組めないのだ。
 彼がこの退職願を寄越したのも、軽い気持ちであったに違いない。
 その『一身上の都合』に、いかほどの気持ちが込められているのか。想像するに、どうせ、『飽きたから』くらいでしかないだろう。
 これが『退職届』ではなく、『退職願』であるだけ、まだ希望があるということか。
 性格面はともかく、あれだけの才能、埋もれさせるのは勿体ない。
 執務室でいかにも隊長面した重厚なソファーに体を預けながら、その退職届を読んでいたくろボンは、さらに、渡された文章にもう一枚、便箋があるのに気がついた。

くろボン隊長殿

この度の退職について、ご迷惑をお掛けいたしますこと、心よりお詫び申し上げます。
くろボン隊長には、私の入隊時より心に掛けて頂き、感謝の言葉もありません。

思えば、私がくろボン隊長と出会いましたのは、先の戦争が始まる少し前ばかりのことでした。
それまでの私はといえば、正直、天狗となっておりました。私に勝てるものなど存在しないと、固く信じていたのです。
それを大空を駆るくろボン隊長のボンバーファイターを一目見た瞬間、私がいかに驕っていたかを思い知らされました。
今でもくろボン隊長は私の憧れで、その気持ちは出会ったその日から微塵も変わってはおりません。

くろボン隊長にご指導賜ったことが、昨日のことのように思い出されます。
己の未熟を曝け出すのはお恥ずかしい限りですが、私は、自分でも認めるほど忍耐強くありませんでした。
言い訳となってしまうのは承知で申し上げますが、私が入隊致しましたきっかけを辿りますならば、先のくろボン隊長との出会いに他ならず、まさしく気持ちが『地に足が着かない』、遥かな空へと向いておりましたので、基礎体力を培うためのロードワークも、認識をすり合わせるための打ち合わせも、重要であることは頭でわかっているにも関わらず、私にはとても退屈なものに感じられ、辛抱が出来なかったのです。
そんな私に根気よく指導くださったこと、心より感謝申し上げます。

よく隊の訓練を抜け出しては、隊長に連れ戻されたことなど、数えきれません。
許可も得ず勝手にボンバーファイターを駆りだして、隊長が追いかけてこられた時には、肝を冷やす思いが致しました。
一方その私はといえば、隊長のお手を煩わせているにも関わらず、かつて雲の上の人であったくろボンという人が、私の為に面倒を見てくれているという事実が、この上なく心地よかったものであるのを、否定できませんでした。
それまで私の中のくろボン隊長の印象は、自信に満ち溢れた立ち姿は凛として、悠然と事の成り行きを見守り、颯爽とスカーフをなびかせて歩く、美人に使う例えではありますが、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』を男性として体現するのならば、恐らくくろボン隊長をおいて他にないと、私は断言致します。
しかし私とは年齢も近いせいか、よく問題を起こしては呼び出される私に、まるで弟か友人を窘めるような、厳しくも温かいものであるように感じておりました。
それは私の一方的な思い違いであるのかもしれませんが、少なくとも私にはそう感じられました。

いつの日か、私が訓練中、ボンバーファイターで脱柵を試みた時です。
飛行コースを熟知している隊長は、私の後にすぐに追いついて参りました。
その追いつく追い越すかのデッドヒートさえ、不謹慎ながら、私には楽しいものでありました。
宇宙一のパイロットと勝負をしている高揚感に、胸が高鳴ったのを覚えております。
硝子の向こうに拡がる景色が、機体の速さに追いつけず、筆を伸ばしたようににじみ掠れて通り過ぎて行く。エンジン音でかき消されるはずの風の音が、耳の奥から聞こえてくる気さえしました。
斜め上を見れば、上空の冷たさに満ちた空が果て無く拡がっており、燦然と輝く太陽に向かって、吸い込まれていくような心地が致しました。
どこまでも飛んでゆける、そんな錯覚を覚えました。
結局私は隊長に捕まることとなり、厳しい叱責を覚悟していたのですが、隊長はそんな私を簡単に叱った後、ぽんと頭の上に手を置いて、そのまま去ってしまわれました。
ああ、これがくろボンという人なのだと、私は初めて理解した気が致しました。

そのようにくろボン隊長にご迷惑を掛けておきながら、この度職を辞するに至った経緯は、ひとえに、己の未熟さ、精神的な幼さに他なりません。
私には、くろボン隊長の期待にお応えするだけの、力量はありませんでした。
くろボン隊長こそ紛うことなきエースパイロットであり、きっとそれは、私がいかに努力しようとも、到底引き継げぬ重き栄誉であります。
その重圧に、私は耐え切れませんでした。

願わくば、いついつまでも、くろボン隊長が、私だけでなく、皆にとってのエースパイロットでありますように。
今まで、大変ありがとうございました。
さようなら。

 最後は隊員のサインが走り書きされている。
 読み終わると、くろボンは無意識に紙を握りつぶしていた。
 どういうことだ、これは。
 あいつはそんなことを思っていたのか──。
 真意を確かめなくてはいけない。衝動に駆られて、一拍間を置いた後、跳ね上がるように席を立ち、普段なら絶対走らない廊下を全速力で抜けて、格納庫に辿りつく。
 隊長といえど、ボンバーファイターを勝手に持ち出すことは許されない。承認書類を作り上げる必要があったが、その暇すら惜しい。
 愛機に飛び乗って、驚く警護の兵士たちに適当な理由をでっち上げ、シャッターを上げさせる。
 彼のいる場所。いくつも思い当たるが、多すぎるために的を絞りづらかった。
 だが、この文章を寄越したとすれば、考え得るのは一つだ。
 バーニアの出力を最大限にして、今日だけは勘弁してもらおう、騒音お構いなしにすっ飛んでゆく。

 城下を抜け、山脈を越え、しばらく飛行していると、地平線の向こうがチカチカと輝きだして、やがて陸が眼下へ沈んでゆき、冴えた青を湛えた海が見えた。海鳥が囲むように舞っている。地上を通ってゆくには不便な場所で、その為人には荒らされず、この時期になると真っ赤な花が太陽へ微笑むように咲き誇っている。初めてこの場所を見つけた時は、地上の楽園というのがあるならば、こんな場所かと思ったものだ。
 そこに一つ、棒のようなものが立っている。
 ──やはり、いた。
 高度を徐々に落とし、出来るだけ静かに機体を立ててゆく。着陸の振動で、雑草が舞い上がり、木々が大きくしなる。花びらもいくつか散り、視界に鮮烈な赤を残す。
 案の定気づかれたが、後ろは塞いだ。すぐ目の前は崖の為、逃げ道は海しかない。
 ハッチを開け、機体から飛び降りる。追いかけてくるとは思っていなかったのだろう、相手がたじろぐように後ずさりした。くろボンはお構いなしに距離を縮めてゆく。
 さあ、この手紙の意味を聞かせてもらおうか。
 握りつぶした手の中の紙を差し出して、そう口を開きかけた時だった。
 くろボンは確かに聞いた。

「げっ」

 ……やはりか。
 くろボンは嘆息した。
 万が一、万万が一、心からこういった気持ちでこの文章を書いたのだとしたら、もしかしたら自決してしまうかもしれないと思ったのだが、予想通りフェイクであったらしい。その一万分の一の可能性を恐れて、ここまで飛んできたというのに。
 安堵はしたが、それ以上にやるせなさと脱力感が全身にのしかかる。
「どういうつもりだ、しろボン」
 くろボンはくしゃくしゃの紙を広げてみせる。
 そもそもしろボンにこんな殊勝な文章が書ける訳がないとはわかっていた。おおよそあおボンにでも頼んだのだろう。
 まさか訓練を逃れるために、こういった手を用いてくるとは予想できなかったのだ。
 しろボンはしどろもどろに言葉を発しながら、くろボンの向こう側に陣取るボンバーファイターと、己の後ろに煌めく大海を交互に見比べている。言い訳を考えているか、逃げ道を考えているのだろう。
 そんなに俺が嫌いなのか。
 当りが厳しいのもわかっている。それはお前の才能を見込んでこそ、なんて、勝手な言い分であるのもわかっている。それを説得するだけの言葉を尽くそうとしても、本来そういったことが不得手な自分には、上手く伝えられそうにない。
 けれど、お前なら、決してへこたれることはないと思っていた。
 それこそ勝手な期待、恨み言か──口から零れ落ちそうなのを腹に落として、くろボンは瞑った目を開けた。

「──俺はお前を責めるつもりはない。防衛隊に居るも去るも、お前の自由だ」
 しろボンとしては意外だったのか、きょとんとして、「え? あ、うん」と曖昧に頷く。
「だから、こんな文章を残して、どこかへ行くな。死ぬかと思っただろう」
「そんな怖いこと書いてあった?」
 しろボンはくろボンの手にある紙を取り、黒い文字の群れを目で追う。
「お前がだ」
 しろボンが顔を上げる。
 そこにはいつものお調子者の表情はなく、緊張に強張った、真摯な表情だった。
「お前が死んでしまうのかと思った」
「ごめん」
 茶化してくれれば怒りをぶつけられたのに、しろボンがそれをしなかったので、くろボンは自分の頬が変に引き上がるのを自覚して、慌てて海へと視線を逸らした。

没理由:
ちょっと回りくどい感が否めない