──そういえば、このドアを叩く音が、いつの間にか日常になっている。
時間はまちまちだ。もしかしたら法則性があるのかもしれないが、面倒なので探る気はない。ただ、一つだけ言えることは、このノックの音は、必ず自分の居る時にだけ、聞こえるということだ。
……ああそうか、居なければ聞こえるはずもないから、そんなの法則でもなんでもないか。
とにかく、今日も規則正しい響きを持って三回、入口の方から聞こえてきて、向こうにいる影を想像しながら、木製の扉をじっと見つめる。
どうぞ、そう返事をしようとする前に彼は入ってきた。
「まだ何も、言ってないんだけど」
「どうせ居るんだろう?」
「ノックの意味がないじゃない」
まるで当たり前のように、人の自室にずかずかと踏み入れた彼は、左腕に木綿紙の束を抱えている。そして人の机にどかっと降ろした後、軽く息を吹いて埃をはらう。あまり使われていないと知られるのが癪で、しろボンは寝転んだベッドから体を起こす。
「なにそれ。そんなに溜め込んでるの? 仕事。というか、自分の部屋でやってよ」
「執務室だと外から訪ねてくるからな。ここだと邪魔が入る心配もない」
王子の部屋を隠れ蓑に使うなんて、不逞も甚だしい。オレにとっては、くろボンが邪魔してるんだけど! そう言ってやりたかったが、飲み込んだ。
くろボンはこちらに目もくれず、そのまま椅子に腰かけ、ペンを走らせ始めた。
しろボンは腹立たしくなってきて、手元の携帯機の側面にある音量調節ボタンを、これでもかと連打する。すると、部屋の中にヒロイックなクラシック調のBGMが零れてきた。大音量とは言えないが、少なくともくろボンの耳には届く。
これが有名な音楽家のものだったなら、アルファだかオメガだかのよくわからない効果が期待できるのかもしれないが、多分それはない。ただ耳を騒がしているだけだ。
ちらっとくろボンの背中を見て様子を伺う。彼はぴくりと反応し、少しこちらに振り向くような仕草を見せたが、また顔を戻してペンを走らせ始めた。効果はありそうだ。
そうだ、勝手に人の部屋に来ておいて、ケーキの一つや二つや三つでも、持ってこないのが悪いんだ。そしたらこっちも、コーヒーくらい用意したのに。
しろボンは心の内でほくそえんで、再び携帯機に目を落とした。
だが、なんだか今度はくろボンのペンの音が気になりだして、全然ゲームに集中できないことに気がついた。
音量は、こちらのゲームBGMの方が大きい。ペンの音なんて些細なものだ。
だけど、だからこそなのか、コツコツッと、紙越しに机を叩く音がちくちくと刺さってきて、まるで夜中に耳元を蚊が徘徊するかのような、そんな拭いきれない不快感が耳に残るのだ。
我慢比べだ。そう言い聞かせるけれども、ペンの音が積もりに積もってくる。
先に音をあげたのはしろボンだった。
「あのさ、なんでオレの部屋なの? 他に部屋あるじゃない」
「ある程度の環境音がないと、集中できん」
「オレも環境音だってこと?」
あきれた! 部屋の主人すらBGM扱いとは!
「それには別の理由があるが……書類を溜めるのと同じだな」
「どういうことだよ」
まったくもって、天才様の言うことは理解できない。
そうこうしている内にくろボンは手を止めて、やっと解放されるかと思いきや、今度はこちらへ来て画面を覗きこんできた。
「仕事」「終わった」
しろボンが視線を移せば、机の上に積まれた書類は、最初部屋に来た時と、反対側に積まれてある。
「音楽を聴いて思い出した、部下たちもやってるな。流行ってるのか?」
「そりゃあ、くろボン以外なら全員知ってるくらいの大流行り」
しろボンは頭の上から話しかけるくろボンを手で払いながら、顔は向けないよう携帯機をじっと離さない。
ゲームはクライマックス直前だ。ラスボス前の、恒例の過去ボスぶっちぎり連戦。ラスボスは簡単だが、この連戦がきついのなんの……ということでレベル上げの真っ最中。取り立てて、注目するところもない。
仕事が片付いたのなら意味はない。しろボンは、音量を下げるボタンを何度も押した。今度は部屋の中が静まり返る。
「……あのさ、くろボンって他に友達いないの?」
切り出したのはまたもやしろボンだった。
「いるが?」
しかしあっさりと即答される。
皮肉のつもりだったのに、なんら堪えている様子はない。
くろボンの返答が、胸を押しつぶししてきて、自分でも、ふてくされていくのがわかった。
だがくろボンは、まるで意にも介さないように言う。
「俺に他の友人がいたところで、お前と時間を過ごさない理由にはならないだろう?」
「そうだけど……わざわざ、オレなんかに付き合ってくれなくたって」
考えてみれば、一国の親衛隊長で、部下からも国王である父からも信頼が厚く、顔は『くろボン顔』と新たに分類が出来るほど整っているし、実家は有数の名家、三年でエースの称号を得た男、そんなのを世の女性がほっておくわけもなく、かといって本人は嫌味なところがないから男性からの人気も高い……並べてもため息をつきたくなるくらいだ。
だからこそ、こんな部屋に引きこもっている、鷹が生んだ鳶のような、王子とは名ばかりの自分を訪ねてくる理由がまるでわからない。
「付き合ってもらっているのはこっちの方だ」
「え?」
しろボンは初めてくろボンの方を振り向いた。
「そうだろ。勝手に人の部屋に入ってきて、勝手に仕事を始めて、勝手に遊んでいるのを邪魔する。それを追い出さないのは、何かしら思うところがあるんだろう?」
「……勝手にやってる、って自覚はあったんだ……」
しろボンが小さく呟く。もしかしたら聞こえたかもしれない。
「そういう勝手を、好きにやっても放っておいて、気が向いたら相手をする。そういうのが友人だと思うがな」
くろボンの顔がわずかに緩んだように見えた。
悔しいけれど、非の打ち所がない。比べれば自分の小ささが嫌になるけれど、それ以上に、自分なんかに優しく声をかけてくれる存在であることが、嬉しくて、ちょっと手が震えてしまう。
「……だけどオレ、くろボンと友達なんて、言ったことないよ」
それでも悪態をついてしまうのが悪い癖。
「言っただろう?」
だがくろボンには見破られているようだった。
「お前は最初、『他に友達はいないのか』、そう聞いた。つまり、俺、『くろボンとはすでに友人である』、そういう前提が成り立つな」
「……」
もっともすぎて二の句が継げない。無意識のうちに発した言葉だったが、そんなのすら覚えられていたなんて。
「……くろボンって、そういう頭のいいところ、嫌い」
「俺だって、お前の皮肉に何度傷ついたか」
「ウソだろー! 絶対、嘘!」
少しばかり拗ねていたのがすっかり吹き飛んでしまって、とんと興味がなくなってしまったゲームをやめ、電源を切る。ベッドから降りると、段々隅っこに寄せられていたサイドテーブルを引っ張り出し、椅子を整える。
「うーん……やっぱり、くろボンは友達じゃないな」
わざとらしく考え込む仕草をし、横目でくろボンに視線を配る。
「親友とでも言うのか?」
「ううん、悪友」
「それは光栄だ」
くろボンもわざとらしく会釈をこぼした。
本当はズバリ当てられたなんて言えなかった。
とりあえず、冷蔵庫からとっておきの、タルトタタンでも持ってきて、振る舞ってあげようと思う。
