ひとつの光とたくさんの影

 まぶたを差す光がまぶしくて、目を開けた。
 ようやく太陽が上り始めた時間帯。朝方の河川敷は、ジョギングするしろボン、犬ロンの散歩をするしろボンが行き交っていた。ビーダシティの中心部と、市街地を隔てる大きな川。河原は野球場がすっぽり入るほどの広さがある。ビーダシティへ買い出しに来ていた俺たちは、何の気なしに川沿いを歩いていた。
 そこへ、弾んだ野球のボールが、足元へ転がってくる。
「すみませーん、取ってくださーい」
 声のした方を見ると、グラブをはめた三人組が、こちらに手を振っている。キャッチボールをしていたのだろう。
「あ、あおボンじゃん」
 ジャックしろボンは拾ったボールを投げ返すと、斜面を下りて行った。本人としては軽く投げたのだろうが、放たれたボールは唸りを上げて、三人組のうちの一人、黄色い男しろボンのグラブへ、えぐるように収まった。
「あれ、ジャック。二人で来ていたですか」
 あおボンしろボンも、ジャックしろボンと俺を認めて目を丸くする。そこへ、黄色い男しろボンが割り込んできた。
「なんや、知り合いか」
「はい。グランパのお師匠さんのお孫さんです」
 あおボンしろボンは一度黄色い男しろボンへ振り返り、斜面を下りた俺と、向かいからリボンを揺らして駆けてきた赤い女子しろボンが、一同集まったのを見計らって、それぞれ紹介した。
「ジャック、くろボン、こちらがボクの友だちの、きいろボンとあかボンです。きいろボン、あかボン、この二人がジャックとくろボンです。双子なんですよ」
 きいろボンしろボンあかボンしろボンは、俺ら二人を見比べて、「へえー」「見分けがつかないわね」と口々に漏らした。「実は、ボクもときどきわからなくなるんです」と、あおボンしろボンは恥ずかしそうに頭をかいた。
「それより、お前」
 黄色い男しろボン――こいつがきいろボンしろボンの方だろう――が、俺に向かって指を差す。
「いいボールを放るやんけ。どや、ワイといっちょ勝負や!」
 それは俺ではなくてしろボンなのだが。ジャックしろボンは気にした風でもなく、「うん、いいよー」とマウンドに駆けて行った。「なんや、違ったんか」と、きいろボンしろボンも頭をかいて、立てかけておいた白木のバットを手に取り、バッターボックスへ歩いていく。あかボンしろボンは脇に退いて、傍観を決め込むらしい。
 俺はキャッチャーミットを探して、一言断りを入れた後で、きいろボンしろボンの後ろに腰を下ろした。あいつのボールはコンクリすら砕く。しかもあっちこっちに飛ぶもんで、きちんと取ってやらないと、この一帯がぺんぺん草すら生えない不毛の地となってしまう。
 ジャックしろボンが、ボールをグラブの中におさめ、振りかぶった。ワインドアップ。「さあ来いや!」ときいろボンしろボンもヘッドを立てる、その様子を視界に入れながら、ぼんやりと別のことを考えていた。
 三人で野球とは、半端だな。ピッチャー、バッター、キャッチャー、あとは内野手か外野手。俺たちが来なかったら、人出が足りないではないか。キャッチボールしようにも、一人余る。キャッチャーは不要なのかもしれないが、それにしたって、あと一人くらい、いた方がいい気がする。
 いや、誰かいたはずなのか――?
 気づいたときには、ジャックしろボンが体をねじり、ボールを手から放していた。直球。早い。インコース。きいろボンしろボンは、慌ててバットを振る。
 振り遅れたバットは、ボールの下をかすめる。跳ね返り、俺の側頭部に直撃した。
 頭が揺れる。視界が揺れる。暗くなり、音が遠くなっていく……。

「くろボンお兄ちゃん?」
 はっと我に返る。声のした方をたどると、俺の左手を、みかボンしろボンが握っていた。なんでもない、と答えると、みかボンしろボンは顔をほころばせた。そうか、一緒に出かけていたんだったか。「お兄ちゃんといっしょにおでかけたのしいなー!」と歌いながら、つないだ手をぶんぶんと振り回される。
 たどり着いたのは港町だった。潮の香りとそよ風が気持ちいい。レンガ造りの倉庫がいくつも建っている。商船と思しき帆船がずらっと並び、人足しろボンたちが積み荷を下ろしている。波止場に沿って市が立ち、交易品やら新鮮な魚介類やらが売られている。あちらこちらで、活気のある声が飛び交う。みかボンしろボンは目を輝かせ、「すごいすごい!」とはしゃぐので、落ち着かせるのに苦労した。
 港の中心部の端っこに、待合室があった。チケットを買い求めようと、扉を開くが、すでに中はしろボンでごった返していた。果たして買えるだろうか、少々不安になる。
 みかボンしろボン、ここで待ってろと、空いている席に座らせた。すると、向かいに座っていた少年しろボンたち二人が、話しかけてきた。
「おやおや。これはかわいいお嬢さん」
「みかボン!」
「そうか、みかボンちゃんというのか」
 二人のうち体の大きいしろボンが、みかボンしろボンを見て、目を細めた。「思い出すな、お前にも、あんなかわいい頃があったものだ」
「昔の話はやめてくださいよ、兄さん。誰だってあのような時があるものです」今度はメガネをかけた小さいしろボンが、たしなめるように言った。どうやらこの二人は兄弟らしい。
「お二人はどちらへ?」
「あろえにあ!」
 みかボンしろボンが手を挙げた。
「なんと、我々と一緒ではないか」
 しろボンが目を丸くする。兄弟二人で顔を見合わせて、示し合わせたように、小さく頷いた。
「どうだろう。この通り、船は乗客がいっぱいで、きみたちは、あぶれてしまうかもしれない。ぼくたちには自家用機があるから、一緒に行くというのは」
 しろボンの方から提案を受けた。周囲をぐるっと見まわすと、行列が蛇ロンのようにうねり、チケットを買うだけでも、相当時間がかかりそうだ。
 海路のつもりが空路とは。みかボンしろボンに、お舟でなくて、お空でいいか? と尋ねると、うん! と元気よく頷いた。
「ならばこちらへ。休憩するかい? そうでないなら、すぐに出よう」
 しろボンの案内で、待合室を出る。陽がさんさんと照った真昼間。海面が、きらきらと反射する。港の外れにヘリポートがあり、執事と思われる老人しろボンが待っていた。
「どうぞ、こちらへ」
 翼竜と見まがうような、大きな機体。正面から見ると、何かの動物のようだ。細長い首、鋭い爪、大きく広げた翼。みかボンしろボンは、大興奮で跳ね回っている。後部には大きなエンジンが詰まれ、側部はどこかで見たような意匠が施されていた。
 ――王家の紋章?
 これはアロエニア王国の紋章だ。となると、しろボンら兄弟は王子なのか。
 王子、王国、紋章。
 脳裏をそれらの言葉がかすめたとき、なにか奇妙な既視感に襲われた。
 何かを知っている、いや、何かを忘れている……?
「お兄ちゃん、早く」
 気がつくと、すでにみかボンしろボンが乗り込んでいた。考えるのをやめ、俺も後へ続く。
 ドアが閉められたとき、視界は暗転した。

 ノックの音がして、弾けるように振り向いた。
「暇か?」
 その音の主は、扉の無い入り口の前で、片足に体重をかけて立っていた。見知った顔を前に、つい渋い表情が出てしまう。コーヒーなら勝手に飲んでくれ、投げやりにそう言うと、ベストボンしろボンは「冷たいな」と言いながらも、勝手知ったる他人の部屋、しれっとコーヒーメーカーに手をやる。
 人の部屋にやってきては、様子を伺うふりをしながら、勝手にコーヒーを飲んでいく。キャリアのやることとは思えない。
 コポコポコポ……と、ボトルからカップにコーヒーが注がれる。立ちのぼる重厚な香り。ベストボンしろボンも満足そうに鼻を鳴らす。
 飲んだら帰れ。そう言って俺は顔を背けた。おや、とベストボンしろボンは意外そうに声を上げる。
「みんなお前を心配しているのだぞ。デビルスリンガーを討ち果たし、燃え尽き症候群になっているのでは、と」
 確かに、体から空気が抜けたみたいに、気力が湧いてこないのは事実だ。だがそれは、仇敵を討ち果たしたからではない。違う。そんなのではない。何かが違う……。
「そこでこれだ」
 ベストボンしろボンは、後ろから、封筒を差し出した。上等な練色の紙に、ミオソティスだろうか、小さな花模様があしらわれている。
 なんだこれは。振り向くと、ベストボンしろボンはうっとりした様子でカップに口付けていた。
「ボーダーランドの、記念式典の招待状だ」
 訝しみながら、封筒の中を開けた。これまた同じ意匠の上等な紙一枚と、写真が入っていた。
 頭上に冠を頂き、豊かな髭をたくわえた、恰幅のいい初老の男性しろボン。同じく冠を頂き、黄色いリボンを結わえた、俺と同じ頃の女子しろボン。装いは上流階級のそれで、おそらく彼らがボーダーランドの王族なのだろう。ボーダーランドと言えば、宇宙随一の王国だが、話に聞いても、その内情までは詳しくなかった。
 ――王国。宇宙随一の。
 またもや頭に何か引っかかる。
「ビーダキャリバーを知っているか? ボーダーランドに代々伝わる宝剣。一振りで星をも砕き、過去銀河が大厄災に見舞われたときには、勇士たちの刃となって、悪を討ち滅ぼしたという、伝説の剣だ。それが今回、特別にお披露目されるらしい」
 ――勇士たち。
 聞き覚えがある。ビーダキャリバーこそ見たことはなかったが、宇宙空間で、得体のしれない黒い塊に、剣を振り下ろす様が頭に浮かんだ。
 いや、違う。剣じゃない。あれは銃だった――。
「おい」
 ベストボンしろボンに声をかけられて、はっとする。無意識のうちに、写真をきつく握りすぎて、少し擦り破れてしまった。
「そんなにこの姫君がお気に召したかな?」
 ベストボンしろボンは、もう一口カップに口を付けて、意地の悪そうな笑みを浮かべる。俺は否定も肯定も出来なかった。確かに、気になる。
 ……王子は、いるのか?
「王子? それは聞いたことがないな。……っと」
 ベストボンしろボンが手を滑らす。カップが床に落ちて、ガシャ、と音を上げる。中のコーヒーが飛び散って、目を奪われる。

「……ねーねー、聞いてる? くろボンってばー」
 気がつくと、俺は椅子に腰かけていた。向かい側には、人影しろボンが座っていて、聞き覚えのある声で、俺に呼び掛けている。
 二人を挟むテーブルには、食事が並んでいた。純白のクロスが引かれ、その上に、炙りチキンを挟んだサンドイッチと、クリームソーダが置かれている。人影しろボンはすでに食べてしまったのか、ひとり分しか残っていない。
 ここはどこだ、と周囲を見渡す。なんてことはない、俺の家だ。地球宮から歩くこと数十分。いつもは城に詰めているので、帰ってくるのは久しぶりだ。その割には、物はなく、綺麗に片付けていた。窓からは柔らかい日差しが差し込み、部屋の中を照らしている。なんてことはない、いつもの風景。
「せっかくさあ、天気がいいから、どこか行こうよ」
 人影しろボンが、身を乗り出す。俺としては、あまり気が進まなかった。
「すまない、疲れてるんだ」
「ちぇー」
 人影しろボンは、ぷくっと頬をふくらませる。が、すぐに、空気をしぼませ、
「仕方ないもんね」
 と、一人ごちるように、小さく笑った。
 何か、心に引っかかる。小骨が突き刺さって抜けないように。
 俺はこの声を知っている。だけど、何故姿が見えないのだろう。いや、色や形は見えるのだ。白い頭部、群青の体、桜色の手足。ヒトの形をしているけれど、それが誰だか、頭が認識してくれない。
「じゃあ、休んだ方がいいよ」
 そうさせてもらう。俺は引き揚げて、寝室の方へ向かった。確かに、一度休んだ方がいいかもしれない。
 気だるい。頭が思い。めまいがする。手足が、自由に動かない。肌が、擦れるようにひりひりする。どうしてこんなに疲れているんだ。
 やっとの思いで、ベッドに倒れ込んだ。布団に体が沈む。飲み込まれるように、沈んでいく。
 まぶたが、意志とは関係なしに落ちてくる。狭まる視界の中で、ぼんやりと考える。
 俺は今まで、何をしていたんだ?
 そうか、夜勤明けか。今まで戦っていたんだ。月面で、あいつと戦って、助けられて、決戦の場に割り込んで……。
「あいつ」とは誰だ? 決戦とは?
 自分の指が映る。そう、指。鉤のように曲がっている。引き金。指をかけて……あいつは……。

 その引き金を、引けなかった。

 そうか。そういうことか。忘れていた場面がよみがえる。
 どす黒い光の束。エネルギーの奔流。シャインボンバーフォートレスは、たちまち飲み込まれ……。
 そこで俺の意識は途切れた。