しろボンは覚悟をたちどころに決めた。
強い風雨が窓を鳴らし、ただでさえ暗い夜空にあってもうもうと雲は立ち込める。その中を一閃、光の亀裂が空を裂く。遅れて轟音。雷だ。光と音の間隔があまりなかったから、近くに落ちたのだろうことはわかった。堅固な城内にあっても響き渡る雷鳴に、びくっと肩を震わせて、大きく深呼吸。オレは、この扉を叩かなくてはならない、と。
夜中の城内は薄暗く、外がこの天気であるから月明かりなども望めず、いつもより更に暗がりであった。ただそのおかげで静けさは全くなかった。ならば声も漏れないか。こうして隊長の自室の前に居ても、誰にも気づかれないか。それはかえって都合がいい。
問題は、彼が起きているかということだった。扉を前にして突っ立ってどのくらい経ったことだろう。自分の部屋を出てくる時は、確か暁九つ、あるいは八つくらい。早くから活動をする親衛隊の隊長であれば、当然休んでいる可能性は高い。それでも──期待せずにはいられない。彼ならこの扉を開けてくれると。
胸元を押えて、もう一度深く息を吸い、吐く。そして扉を強く見つめる。内側からのみ掛けられる錠前と、少し太めの取っ手があるのみで、あとは至って質素な分厚い木の扉。足元にわずかな隙間があるが、光の漏れている様子はない。耳を押し付けてみても、普段から彼は物静かであるから、起きているのかいないのか、わかりはしない。だからこの扉を叩くしかないのだ。万が一鍵が開いているかもしれないが、了解もなしに入って、後々もめては困るから、あえてそこは確かめない。
曲げた人差し指の脇に親指を添えて、こん、と軽く一つ。だが外の嵐にかき消されて自分でも聞こえない。今度は少し強めに、こんっ、と。音の跳ね返りは軽やかだが、やはり気づいてもらえるには弱いか。声を出そうかと思ったのだけど、もし近くの部屋の兵士たちが、隊長の部屋から王子の声が聞こえたなどと、変に噂を立てられてしまっては困る。
しばし待てど、反応はない。汗の垂れてくる感覚がする。緊張から膝が少し笑ってきて、しきりに息を呑み込む。開いたらどうしよう、起きていてほしいんだけど、開いたらどうしよう──。
轟轟とした雷雨が少し収まったところで、しろボンはふう、とため息をつく。やっぱり寝ているのか。冷静になって考えてみれば、そもそもくろボンがしろボンの望みを受け入れてくれるのか。理解してくれようがくれまいが、どちらにしろ怒られるに決まっている。おっかないのは雷だけで十分だ。
がっくりと肩を落とし踵を返そうとしたところで、扉の向こうでかすかな音がした。足音だ。起きている、くろボンは起きている! とにかく胸が高鳴り煩しいほど、反対に体は金縛りにあったかのように動けなくなってしまった。ガチャリ、鍵の外れる甲高い音。金属の摩擦音。視線がその向こうを期待して剥がせない。取っ手がわずかに重みで動いて、ゆっくりと、その扉は開けていく──。
その時だ。また、焼き付くほど眩む光。同時に、地を抉る轟音。
わあ、と声ごと体もひっくり返って、どさっと石畳に倒れこむ。瞼の裏から閃光が離れた時には、目の前にはくろボンがいた。しかも、自分が覆いかぶさる格好で。いやいやいや! 偶然にも程がある! だが、これはかえって好都合ではないか。なにせくろボンは逃げられない格好にあるのだから。
眼下のくろボンは、暗がりでも分かるほどに、眉間に深い皺を寄せさらには目尻を吊り上げて、明らかに不機嫌であることは疑いようがなかった。その証拠に、しろボンの足の間で、くろボンの膝が折られたまま止まっている。やばい、このままでは蹴られる。いたみでしんでしまう。何か言わなくては。そう思っても、うまく言葉が出てこない。
「……何のつもりだ」
ただでさえ低い彼の声がさらに低く、この闇の中で切り裂くように鋭く響いた。眼差しが怖い。雷よりよっぽどだ。だが自分も覚悟を決めたのだ、目を逸らしてはならない。くしゃっと掌に敷かれた彼のマントを握りしめ、出来るだけ、一言一句を噛みしめるように言った。
「いっしょに、ねてください」「は?」
すべて言い終わるか終らないかの内のくろボンの返答。あ、蹴られる。
「いやいや最後まで聞いて! お願いだから!」
何とかくろボンの膝を当たる寸前で止めることが出来、これは慎重に言葉を選ばなくては、と冷や汗もそのままに本日何度目かの深呼吸。一度目を閉じて、先ほどよりさらにきつくなったくろボンの眼差しをなんとか据え、またもゆっくりと言葉を継ぐ。
「オレだって悩んだんです。悩んだけど、どうしても我慢できないからここまで来たんです。それでも、怒られるのはわかってたから、ずっと部屋の前で立って、まだ悩んでたんです。そうして考えて考えた上でノックしたんです。それだけはわかってください」
「無理だ」
くろボンの脚が動く。
「いやいやいや! 早いって!」
もうこうなっては致し方ない、なんとか動きを封じなくては。力づくに持ち込むのは不本意ではあるが、そうでもしないと話は聞いてくれそうもない。体勢の利を生かし、素早くショートレンジラリアットで固め、身じろぎすら許せないほど、きつく地面に張り付けることに成功した。隣で咳き込むのを聞きながら、ああこれ、事が済んだら蹴られるだけじゃすまないなぁと静かに悟る。
「お前、なんの……」
「いやね、だからね! くろボンだって、扉を開けたでしょう! 夜は泥ボンが入ってくるかもしれないんだよ! それなのに、相手を誰かも確かめもしないで、簡単に扉を開けちゃ駄目じゃない!」
「それは……どうせ、お前だろうと思ったさ、そんな馬鹿な奴は。だから、一つ、放り出してやろうと……」
窓も扉も風と声にわななく。
「だったらなおさら、オレとわかっていて開けたなら、それなりの事は覚悟してたんでしょう!」
くろボンの返答はない。
抵抗の意思はないとみて、しろボンは腕を緩めた。くろボンはゆっくりと身を起こし、体についた埃を払う。
「……それで? 俺に何をしろと?」
しろボンもゆっくりと起き上がり、無言でちょんちょん、とくろボンを手招きした。そのまま部屋を出る。くろボンがついてきてくれているのは、繋がる足音でわかる。
「昨夜、きいろボンにLD借りたんだけど」
唐突に、未だ嵐に震える窓辺を歩きながら、しろボンが話し始める。
「絶対に夜一人で見ろ、って言うから、見たんだ。そしたらもう、寝られなくなっちゃって、いてもたってもいられなくなって」
「それで俺のところに来たのか」
「そう」
まもなくして、しろボンの自室についた。王子の部屋らしく特別に誂えた数々の調度品が並んでいるが、高級品と言われても、当の自分にはぴんとこなかった。嬉しいのは、体いっぱい広げてもなお余る、ふかふかのベッドくらいだ。そのベッドは、窓際で嵐に照らされながら、敷布や掛け布団もくしゃくしゃにされて置かれている。
「そのLDがさあ……、ものすごく、大人向けというか……アブないやつで」
「危ない……?」
しろボンはベッドに腰掛けた。
「ほらこっちに来てよ。触って」
そうしてくろボンの腕を無理やりに掴んだ。
「お城の住人が次々に行方不明になって、首はねられたり、吊るされたり、もう本当怖いやつ。それが嵐の夜なんだ。それで外も嵐でしょ? 震えが止まらなくなって。ほら、ちゃんと触ってよ、ベッド! 濡れてるでしょう? 話の中で、城の噴水に引きずり込まれるシーンがあるんだ。もう、オレ、いつ連れ込まれるかと……」
何故かくろボンはするっと滑った。何かおかしいことを言っただろうか。
「確認するが、そんなことの為に俺を呼んだのか……?」
「そうだけど?」
だって、くろボンは隊長だし、何より強いから、雨が降ろうが槍が降ろうがお化けが降ろうが、やっつけてくれるに違いない。違うの? 聞き返して、くろボンは今まで見たことのない、本当にこちらを心配してくれているかのような、かわいそうな目を向けて、お前な……とだけ小さく呟いた。
「一つ言っていいか?」
「何?」
「それは、窓が開いているからだ」
くろボンはベッドに膝を載せると、ほんの少しばかり開いていた隙間をぴっちりと埋めて、鍵を掛ける。しろボンは、しばらく開いた口を閉じることが出来なかった。そうだ、忘れていた。昼間暖かかったから、少し風に当たりたくて開けたんだった。きちんと閉めたつもりだったのに。確かに窓も開いていたのでは、ベッドも湿るというものだろう。音も大きく響くし、恐怖心を駆り立てるのには十分だ。
「そんなことの為に俺を起こして地面に倒して振り回したのか」
あ、やばい。今度こそ危ない。先ほどくろボンの部屋で押し倒した時よりも、明らかに静かで、明らかに目つきが鋭くて、明らかに怒っている。陽炎めいて迸る怒気に気圧される。思わず逃げ場をまさぐるが、ここは窓際、逃げ場は嵐の中のみ。
「いやほらだって! 敷布団の下! 濡れてる!」
「汗だろ!」
「そっか!」
まもなくして、外の豪雨は収まりを見せ、城の中で雷鳴が轟いたのは言うまでもない。
