しろボンは死んだ。殺されたのだ。
だから義憤に駆られ、敵討ちに向かう。今のくろボンの行動を説明するならそうなるのだろう。だがそれは表面の端をつまんだだけのもので、そんな一言で説明できるような、簡単な胸中ではなかった。敵というなら、憤りというなら、それは自分に対してのものだった。
王国が代替わりしてはや一年。かつて、太陽系の中でもっとも素晴らしい惑星、と称された地球は、瘴気が淀み溜まった、人の世の地とは思えない亡霊の如き惑星となった。濁った空気は呼吸が辛うじて出来るくらい。太陽の日差しは厚い瓦斯の層で覆われ届かない。こんなところで人が暮らしていける訳もない。これではただ惑星の体を為した廃棄物ではないか。土星までを征服し、これから栄華を極めるかと思われた国は、今や大勢が反乱軍につき、滅びの時を迎えようとしている。
王国、もとい帝国が侵略戦争へと方策を打ち出した時、くろボンは興奮に胸が高鳴ったのは、紛れもない事実だった。これだけの軍事力を持っていながら、ただ平和の為と、安穏に慣れた国民達のお守りをするに留まる。莫迦なことを! 守備隊の力はこんなものではない。このような為に日々汗水を流し涙に耐えるのではない。その気になれば、この大陽系すら手中に収められる。支配者として、絶対無二の頂に立つことが出来るのだ──くろボンには、その自負があった。
事実守備隊とくろボンの力はそれだけのものがあった。最初こそ、各々惑星の先住民たちは必死になって抵抗をしてきたものだった。だが徐々に惑星を征服していくにつれ、ある者は諦め、ある者は恐れ、為されるがまま薙がれていくのみとなった。帝国軍の噂が広まり、人々の中から気力を奪い、諦念を与えたのだ。ほんの一握り立ち向かう勇気のあったものは、反乱軍へと加わっていく。
途中からは、それこそ文字通り雑草を刈るかのような、単純な作業となっていた。俺の望みはこのようなものであったか。くろボンの疑念は、日に日に深まりを見せていく。
それが決定的に確信となったのは、反乱軍との戦争の佳境、くろボンの故郷である冥王星がブラックホールと消えてしまった時だ。 敵味方問わず、どす黒い渦は全てを潰し呑み込んでいく。昔冥王星で暮らしていた頃、純粋な強さへの憧れをもっていた頃、その思い出。めしゃりと音を立ててひしゃげるのを、くろボンは確かに感じた。
自分が征服してきた数々の惑星の住人達はこのような気持ちであったのか。身を挟まれ、押し潰されて、それでもこんな奴に屈したくはないと、このような奴に自分の過ごしてきた日々を潰されてたまるかと悔しさに震え耐える──その時の目を、くろボンは敗者の遠吠えのようなものだと思っていた。ならば自分はなんだ、間違いなく敗者そのものではないか!
しかしなおくろボンは帝国へ留まった。皇帝の所業は頓狂を超えて、狂気の沙汰としか言いようがない。軍の面々も、一人、また一人と次第に皇帝から離れていく。それが今回、故郷を消されてなお皇帝に仕える隊長を見て、遂にはくろボン自身も皆から愛想を尽かされたのだった。もうこの地球に残るのは、皇帝と、くろボンと、自動警備ロボットくらいだ。
だが、それでいい。それなら誰も巻き込まれずに済む。敵討ちなら反乱軍に加わっても出来ただろうに、敢えてしなかったのは、己の手で皇帝を討ってやると固く決めたからだった。くろボンとてもう目は覚めている。眼前に据えるのは、魔の化身、そしてしろボンを追いやった張本人──。
ぎい、と重い扉が何の抵抗もなく開いた時、その王が坐するべき謁見の間の中心に、奴を捉えた。澱の様な空気が鼻につく。光り輝いていたその体の色は、その澱が染みついたかのように限りなく暗い。目つきはもはや常人のものとは思えない。きつく吊り上がり、濁り、視線が定まらないどころか存在しないのではないか、そう思えるほどに。見た目だけは君主を気取るかのようなマントと杖が実に腹立たしく、このような奴を皇帝として恭しく対していた自分を呪わしく思う。
「やあ、いらっしゃい」
こちらに気づいた皇帝は、緩慢な動作で振り向いた。油が切れたからくり人形のような、その動きに一切の人間味も感じない。
「君も裏切るのかな。この皇帝を疑っているというのかな」
言葉にいささかの哀れも読み取れなかった。むしろ喜んでいるようにさえ見える。張り付いた顔の目尻だけわずかに上がる様が、こちらの無謀を嘲り笑うかのようで忌々しい。
別れとは、常に突然だ。しろボンの時もそうだった。
鉈が振り下ろされるように、それまでの日常を断ち切ってしまう。
だから、最後にしろボンと交わした言葉も覚えていない。おそらく他愛もない会話であったと思う。日常が断たれるほんの少し前、しろボンとくろボンは一緒にいたからだ。惑星直列を前にして、にわかに宙は騒がしかった。いわゆる天体ショーというものを見に行こうと誘われたのである。くろボンは護衛という名目でついていった。確かに星空は綺麗であったし、束の間仕事であるということも忘れたほどだ。きっとそれがいけなかったのだ。
ある時、空気を震わす轟音がした。遠くでもなかったから、様子を見に行こうとなった。しろボンとしては興味本位であっただろうが、くろボンとしても治安の観点から状況を確かめておきたかった。まだ平穏とした夜の城内を駆け下りて、町外れの森へと向かう。そこではぐれてしまった。確かに後ろをついていった筈なのに。夜ですら光るあの白色を見失うなんて、神隠しか何か不思議な力が働いたとしか思えない。目の前にいた筈のしろボンが闇に消えた時、奇妙な違和感を覚えつつも、どうせあいつのことだから、勝手に抜け道でも見つけて行ってしまったに違いない──そう決めつけて、大して慌てもせず、歩みを緩めさえして、辺りに呼びかけながら探し回った。
突然、木々が開けた場所に出る。それは郊外の荒野の入り口でもあった。そこにしろボンはいた。
正しくは、『かつてしろボンだった別の何か』だった。
そして、今目の前にいるのは、自らの父である王を弑して、新しく皇帝へと成り代わった、しろボンの残骸だった。
くろボンは思い出す。その時、鉈が振り下ろされていたことに。
「裏切る? 確かにそうだろうな。だが、俺はお前のことを、一度たりとも信じて疑ったことはない」
毅然としてくろボンは言い放つ。
「俺が知っているのは、間抜けで、のんびりとして、調子だけは良くて、お世辞にも賢いとは言えない。とても一国の施政など担えるような奴ではない。このように大陽系を統べる手腕など、持っている筈がない」
「それは過去の事だ。今、君の知っている彼はいない」
「俺はずっとお前を信じている。今でも信じているさ! そのお前が、『俺の知っている王子はいない』と言うのなら、俺はお前を諌めなければなるまい!」
掠れるほど声を張り上げる。ひどく静かな王宮に、威勢だけが空しく響き渡る。きっとこの声は、しろボンには届かない。わかっていて、叫ばずにはいられない。
愚かな、と皇帝は呟く。確かに己は莫迦者だ。『強くなりたい』という曖昧で漠然とした野心が、ひいてはこの事態を引き起こしたというのに、この状況にあって震えが止まらない。恐怖からではない。人知で測れぬ存在を前に、己の力がどれだけ通ずるというのだろうか。久しく忘れていた、命を盾にした沸き立つような興奮。この期に及んで、強さへの執着を捨てきれやしない!
さよなら、くろボン。
皇帝はしろボンの声で、そう言った気がした。わからない。その時はもう飛び出していて、鼓動の高鳴りで耳すら聞こえなくなっていたから。
俺の知っているしろボンは死んだ。俺に殺された。
