「そういえば」くろボンが世間話をする体で、思い出したかのように漏らしたのは、あまりに衝撃が過ぎて鮮烈だった。「断頭台ではねられた人間というのは、頭と胴が切り離された後も、数秒ほど自由らしいな」
「おそろしいこと言うなよ」
心の底から寒気が這い上がってきて、自分の腕を抱いて震える。
先ほどからボンバーファイターのバーニアは落ち着いていた。つい先刻まで、メーターが振り切れんばかりのデッドヒートを繰り広げていたのというのに、今しろボンとくろボンは揃いも揃って空を見上げている。どす黒さを押し詰めた雲が空を覆っていくさまは、テーブルクロスにソースを零した光景に似ていた。重さを伴わず、可及的速やかに淡い空を濁らせてゆく。
続いて、ピリピリとした静電気。今は冬ではない。空気が乾燥している訳でもない。
気象予報士でないしろボンにも、これから嵐がくるのは一目瞭然だった。それも、きっとどでかい嵐だ。ビックバン級と断言してよい。くろボンが、さっきあんな言葉を呟いたのも、おおよそしろボンと同じ予感がしたからだろう。
この空気を、二人は知っている。
『あれ』は、確かに倒した。皆の力で、ブラックホールに押し込めたのだ。
だとして、例えばシュートの衝撃で、千切れた体のようなものが宇宙に残っていたとしたら、くろボンの言う通り、今がその『数秒』なのかもしれない。
金ちゃんの体をのっとった、あの黒い塊。思い出すと、寒気が這い上がってくるようだ。
……そうだ、金ちゃんは大丈夫なんだろうか。
閃いた時、しろボンはフットペダルを折れそうなくらい踏み込んでいた。後ろから、「待て」と慌てるくろボンの声がしたが、聞いちゃいられない。
目の前のモニターに砂嵐が現れ、耳障りなノイズと共に、画面が映し出された。どうやらグレイボン博士のようだ。電波状態が悪いのか、映像も音声も途切れ途切れに掠れている。
『おい、どこをほっつき歩いとる!』
「ハカセ!」
『こっちは大変じゃ! すぐ戻ってこい!』
「大丈夫なの? 大変って何が!」
しろボンが答えを聞ける前に、ぷつりと通信は途絶えてしまった。グレイ博士が短気なのはいつものことだけど、今のはそれとは違う気がした。
くろボンと追いかけっこなんてしてる場合じゃなかった!
心の中で自分にツッコミを入れると、床と隙間が無くなるくらいにペダルを押し付けていた。
ったく、なんでこれ以上速くならないんだよ!
景色が輪郭を認識できないくらいに過ぎ去っていく。戦闘機としては十分な速さではあったが、今のしろボンの鼓動の速さと比べたら、並べるのもおかしいくらい遅い。
遅れたらハカセのせいだからな!
しろボンはグレイ博士に向かって内心悪態をつく。
遅れたら……それは、あまり考えたくなかった。
感覚でいうと、そろそろ城下の筈だった。深い森の手前に金ちゃんもといゴールデンボン王の住まう王宮がある。あれだけの建物、もうこの辺りでははっきり見えるはずなのに。
なかなか気がつけなかったのは、そこに見慣れない物体が浮遊して留まっていたからだった。
黒い、点々のような丸い物体。それは、もう二度と見たくはないと思っていた、ダークフォートレスを、何万分、何千万分の一スケールに直したかのような、超小型の物体だった。それが、黴か灰のように大量にいるのである。
「げっ」
思わず声に出た。小型フォートレスが、中心からレーザーを撃ってきたのだ。
一撃を躱すも、相手の攻撃は緩まない。光線が次々しろボン目がけて投擲される。宙がえりをするように、追尾してくるレーザーを誘導する。味方の撃ったレーザーは、いくつか相手にそのまま命中した。
「やりぃ!」と指を鳴らしたいところだったが、そんな暇がある数ではない。やられたフォートレスの隙間を埋めるように、また新手のフォートレスがやってくる。
「ちょ、タンマ、タンマだってば!」
もちろん機械相手に聞き入れてもらえる訳も無い。降り出した雨のようにレーザーがしろボンに注がれて、こりゃやばいと低空へ身を返した。
いや、これもやばい。
眼下には色とりどりの屋根が見えた。いくつか流れ弾が当たったらしい場所から噴煙が上がっている。アリロンの行列のようにみえるそれは、逃げ出す人々の姿だ。かき消されて聞こえない悲鳴が、直接頭のなかへ響いてくるようだ。
下手に逃げれば、この人たちがやられてしまう。
しろボンは、たちどころに覚悟を決めた。こいつらを倒す。一体残らず、皆の前でこいつらを倒してみせたらヒーローじゃないか!
計算が不得意なしろボンでさえ、この数を相手にすることはいかに無謀か、天性の勘でわかっていた。
痛いのは嫌だ。だから、同じ思いを皆がするのは嫌だ。
フォートレスが埋め尽くす一帯の外側へ出る。フォートレスの注目は一斉にしろボンに集まった。
今だ!
渾身の力を込めて、丹田からビービーダマを放った。惑星の庇護を受けたそれは、ユニットを通してエネルギーを増幅され、渦を巻いて空を貫いてゆく。
遠くで雷の落ちたような音が、後から聞こえてきた。一瞬視界を光に覆われ、次に視力を取り戻した時には、目の前のフォートレス群は跡形もなく消えていた。
しろボンは荒くなった息を大きく吐き出した。
プラネットエネルギー。そもそも、惑星自体多くの生き物を育ているのだ。そのエネルギーを一つの身で扱うということは、滝つぼに紙コップを置いてくるようなものだ。何せ、疲れる。気がつけば大量の脂汗が浮いていた。
くろボンに追い掛け回されてから今まで、休憩なしで動きっぱなしだ。本来自分は、昼寝を好むごくごく一般的市民だ。時間外労働手当ては出るのだろうか。出なかったら金ちゃんに請求しよう。
喉が渇いて、ボンバーファイターって機内サービスないよな、とグレイ博士に見えない文句をつけながら、操縦席の中で軽く視線を動かす。そして正面に戻した時には、そのカラカラの喉から、言葉が自然に漏れていた。
「ウソだろ……」
それきり言葉が出てこなかった。
さっき、綺麗に一掃した筈の小型ダークフォートレス群。それが全く同じ布陣で、目の前に敷かれていたからである。
なんだって!
状況を理解する前に、レーザーは降り注がれた。反射的にそれらを躱していくが、ただでさえ疲れた頭に考える暇を生み出してはくれない。
上手く捩じって、翻って、敵のレーザーを誘導するものの、いくつかそれで倒せても、その隙間をまた別のフォートレスが埋める。失敗すれば被害は街の人たちに及ぶ。一体どれだけいるんだよ! どんなミッションなんだよ! インポッシブルか! と、悪態をつきながら、戦況も興奮もヒートアップしてゆく。
いっそのこと、これがゲームであったら楽なのに。けれど、本当にゲームオーバーになってしまったら洒落で済むはずもない。第一こんなゲーム、まず処理落ちする。
倒した分だけ敵が補充される、という親切設計な訳もなく、しろボンがまごまごしている間に、どんどん新手がやってくる。薄気味悪い一つ目。せめて愛嬌が欲しい、なんて文句を言える暇もない。
「こんのぉ……!」
野郎、と叫びながらビーダマを放った。一発目に比べると勢いが弱い。集中がかき乱されたせいだろうか。全員を倒すに至らず、発射後のタイムラグに、レーザーを避けそこなってしまう。しまった。
脚部に当たったレーザーでバランスを崩し、そのまま雪崩れるように落ちてゆく。地面が割れるのではないかというほどの強い衝撃。幸か不幸か、そこは広場のまん真ん中で、人は去った後だったので、誰も巻き添えにしなかったことは、強運だと思うしかない。
けれど、その運も、残量はここで尽きそうだ。
強かに打った背中が、ひりひりとして痛い。折れたんじゃないだろうか。いや動くから、折れたらもっと痛いのか。死ぬ時ってもっと痛いんだろうな。嫌だ。嫌だよ。
口惜しさと、本当のところ恐怖から、勝手に嗚咽が漏れていた。鼻水が重力に沿って頬を伝う。ぼやけた視界の硝子を、黒い塊がびっしりと埋めている。
どうしてこんなことになったんだよ。
いつだか、勇気があるって褒められたけど、こんな怖い思いをしたくないから、頑張ってただけなんだ。
黒い塊の中心が、一斉に光る。胸を早鐘が打ち付ける。
おれは一回宇宙を救ったんだ。
その英雄がこんな形で終わるなんて聞いてないよ!
ああ、こんなことなら、もっとたこ焼きたらふく食べておくんだった。
コロコロの読みつくしや積みゲーの完クリもしておくんだった。
きれいなおねーちゃんに囲まれておいしいもの食べてタイやヒラメの舞いおどりなんて見てみたかった。
あおボン、あかボン、みずいろボン、きいろボン、みどりボン、オレンジボン……こんボンのおっちゃんはこんな時に何してるんだろう。みんな無事なのかな。
金ちゃんやグレイ博士は大丈夫かな。
くろボン……。
しろボンは、目を瞑った。
その一瞬に、流星群を見た。
はっと瞬き程の速さで目を開けると、それは見間違いではなかった。ビーダマの流星群が、空から落ちてくる。それは正確に敵を射抜くと、間を風のように縫い、こちらに降りてくる。
ハデスボンバーファイターだった。
やられた分だけ補充される敵を、さらに正確無比なショットで、縁日の射的かと思うほど呆気なく倒してゆく。取りこぼしはなく、流れ弾も発生しない。稀代のエースパイロットここにあり、くろボンの実力を目の前に、しろボンは映画か何かを見ているような心地になって、ぽかんと見ているしかなかった。
敵の補充が緩やかになったタイミングで、上空からハデスコスモがこちらを見やった。コクピットの中は見えない筈なのに、くろボンと目が合った気がした。
思った瞬間、中心が白く光り、ビーダマがしろボンの右脇をかすめた。
「何すんだよ!」
慌てて身を起こして抗議する。くろボンはふんと鳴らして、さしてしろボンを気にもせず吐き捨てる。
「その様子じゃ大丈夫そうだな」声が低く、鋭くなる。「……気を引き締めろ。死ぬぞ」
「ちょっと休憩してただけだろ」
とはいえしろボンの胸中は、安堵に満ち満ちていた。天の助け、とはこのことだろうか。強張った四肢から力が抜けていくのがわかる。くろボンの視線を追うようにして、前方に視線を移した。
状況は殆ど変わりなかった。黒いフォートレスが雨雲のようにひしめきあっている。しかし心なしか、数が僅かに減ったようにも見えた。
いける、この数なら。
しろボンは再び操縦桿の手に力を込めた。
ましてや、くろボンがいるのだから。
「博士からの伝言だ」
「ハカセ?」
くろボンが突然告げる。
「他の星でも似たようなことが起きているらしい。けれどここほどではない。皆はそっちを片付け次第向かう手筈になっているから、それまで持ちこたえろと」
くろボンはしろボンの方など目もくれないで、きつく敵の集団を睨みつけながら言う。
「そうだハカセ! ハカセは無事なの?」
「あそこには一人、勇士がいるだろう」
勇士……?
「金ちゃん!」
まさかゴールデンボン王自らが前線に出て戦っているのだろうか。
「あっちは任せておけば問題ない。陛下はお前以上に武芸に秀でたお方だからな。もっとも、お前以下を見つける方が難しいか」
「うっさいなー」
一応反論を試みるものの、涙と鼻水の跡がくっきり残るこの顔では、全くもって説得力がない。
「死んでから後悔は出来ない」
その言葉が、ずしりと重みを持ってしろボンにのしかかる。
わかっているさ。それはさっき、身をもって知ったから。
ハデスのバーニアが微かに出力を上げた。敵が少しでも動こうものなら、それを越す速さで撃墜させるだろう。何か合図があれば飛び出す、徒競走の前のピストルを待つ状態だ。
気がつけば、くろボンのハデスとしろボンのガイアは、ガラス越しにもお互いの表情が見えそうなほどにくっついていた。普段顔を合わせると一言二言で喧嘩になるというのに、今はお互い距離を取ろうともしない。
「……ねえ、くろボン」「なんだ」
「くろボンは、どんな子がタイプ?」
はあ? くろボンは眉間の皺を一層深くし、目を小さく見開いた。「何を言っているんだ」と、腹の底から不快そうな声が返ってくる。
「さっきさ、思ったんだよ。くろボンと、そういう話したことないなーって」
『さっき』とは、くろボンが現れる前、今にも死を感じた一時である。
「こんボンのおっちゃんのとこさ、きれいなおねーさんがいっぱいいるからさ。これが終わったら一緒に行かない?」
まるでコーヒーでも飲みに行くかのようなセリフである。
けれど不思議と、そう軽く言ってしまうことで、絶望的な状況も、まったくそうは感じなくなってしまった。
くろボンはこちらに一瞥をくれる。
「……そういうのは、死ぬ人間のすることだぞ」
「だっておれ主人公だもーん英雄だもーん」
そう、おれはヒーローなんだ。
さっきだって、死ぬかと思ったのに、こうして救出イベントが入ってくれた。
主人公というものは、敵を倒すまで、何度でもコンティニューができる仕組みだ。
だけど、どうせなら、ノーコンティニューで倒したいよね。
くろボンは小さくため息をつくと、視線を逸らし、「考えとく」と独り言のように呟いた。
「さあ、イッツアショータイム!」
しろボンとくろボンは、敵の渦へ身を躍らせた。
