できもしない恋のよう

 まだ朝もやの晴れない時間帯。これからうんと高く昇っていくお天道様の輝きに、夜露がきらっと滴り落ちる。吾輩はあくびをかみ殺した。これも仕事だから仕方がない。
 客足はまばらだ。お客はお二人様二組。路地裏という立地もあってか、元々閑古鳥の鳴いている店だ。別段驚くとか、寂しがったりはしない。……のだが。
 この客の一組が、どうにもおかしい。
 どうやらアベック(という表現は古いか)らしいのだが、そわそわして落ち着きがない。初デート、というやつだろうか。一人は全体的に白い体色で、胴回りは群青、手袋と靴はピンクで固め、なかなかカラフルである。もう一人は木炭のように真っ黒、お城に敷かれている絨毯のような上等なマントを羽織っている。それだけなら普通のBビーダマンだ。確かに、吐く息が白むこの季節、いささか薄着な気はしても。
 ただ、彼らが「どこにでもいる普通のBビーダマンか」、と言われるとそうではない。
 特徴が酷似している。誰に? そりゃあ、この国の王子と、この国の親衛隊長にである。
 そういう吾輩は誰かって? 吾輩は店員である。
 この流行りそうで流行らないカフェテリアの店員である。
 出すドリンクとケーキは逸品なのに、ここへ辿り着く客の絶対数が少なく、噂で広がったりもしない。隠れ家的、というべきか。だから一定数のリピーターは存在して、客足は少ないけれども途絶えることもない、不思議な店だ。
 類は友を呼ぶ、とはいうもので、不思議な店には不思議な客が来る。この謎の二人組もそうだ。どうせ暇なので、吾輩は椅子に背中を預けながら、さっきから観察している。
 だって、どうして王子と隊長が朝っぱらからデートをしてるんだ?
 吾輩は見慣れない光景に知的好奇心をくすぐられて、先ほどから眺めている訳である。
 白い王子と、黒い隊長は、先ほどから向かい合って座っている。飲み物はそれぞれ、キャラメルミルク、エスプレッソ。真ん中にどどんとベーコンエッグのサンドイッチとチキンサラダの皿が置かれている。朝っぱらからデートなので、朝食もとってしまおうということなのだろう。何やら広報誌みたいなものを広げて、二人で覗き込んでいる。
 隊長の方が、エスプレッソをすすり、王子に話しかけた。
「ところで、本日はどちらに付き合えばよろしいのでしょう」
「くろボンと一緒ならどこでも」
 ぶふっ! と吹き出したのは隊長ではない。吾輩と、もう一組の客だ。
 何しろ人が少ないので、特別騒ぎ立てなくても話が聞こえる。その上目立つ二人組だ。会話が気になってしまうのが人情というものだ。
「……と、言いたいところだけれど……」王子は、可愛らしく頭を傾げて、思案を巡らす仕草をする。おおよそ思春期の女子を思わせる。見た目は少年、中身は乙女。吾輩は安堵した。あんな甘ったるいセリフ、朝から胸焼けがしてしまう。
「静かな公園がいいな」
「静かな公園、ですか」
「そう、だって二人きりになれるじゃない?」
 ね? とキラキラオーラを幻視するほど眩しい笑顔で、今度は反対側に頭を傾げた。吾輩たちはまた吹き出す。
「襲っちゃダメだよー」
「朝っぱらからそんなことしません」
 人差し指でバッテンを作って、隊長に念を押す王子。
 なんだろうか、しろボンという人物は、こんな女々しい人間なんだろうか?
 それに、隊長の返事もなかなかおかしい。「朝じゃなければ襲う」とでも言わんばかりだ。吾輩は半ば呆然、半ばハラハラと二人を見守る。
「ああ、でも遊園地も行きたいな。人がいっぱいいるところじゃなくてねえ、ちょっと寂れたくらいがいい。あっ、そうだこれね……」
 そう言って王子はテーブルに広げた雑誌をパラパラとめくる。
「移動遊園地! 来てるんだって! 行ってみたいなー」
 ねえおねがい、と、両手の平を合わせて、拝むポーズをする。
「人がいますよ」
「いいじゃん! みんなに仲がいいのを見せつけようよ!」
 冷静な隊長の返答に、王子は先程とは全く異なった主張をする。
 わざわざ見せつけようとしなくても、自然に目立っていることに気がつかないのだろうか?
 第一、こんな一幕を大衆の前で繰り広げられたとしたら、遊園地の客もひっくり転げるのではないだろうか。
 どうにも王子と隊長では、王子の方が押しが強いらしい。それもそうか。立場も上なのだから。吾輩にはさながらアベックもといカップルのように映ったのでそう表現したが、もしかしたら隊長の方は、命令で仕方なく従っているだけなのかもしれない。
 吾輩が自分用の抹茶ラテをすすってそんな推測をしていると、すぐにその考えは打ち砕かれた。
「ああ」身を乗り出している王子に目を合わせて、隊長は何か気がついたように声を上げる。「クリームが」
 え? ときょとんとする王子を尻目に、その頬に顔を近づけた。息の降りかかりそうなほど近い距離。ちゅーか! ちゅーするのか! 王子の顔がみるみる赤くなっていくのがわかる。王子はぎゅっと目を瞑った。朝っぱらから! なんてやつだ! さっきは『朝には襲わない』とか言ったくせに!
 しかし、隊長は皆の予想に反して、懐から取り出した純白のハンカチで、丁寧に王子の頬のクリームを拭き取った。
「へ?」
 王子はキツネにつままれたようなぽかんとした顔をする。吾輩もする。誰もがちゅーだと思ったのに。
 いや、吾輩はほっとした。何せ、一国の王子と隊長が、人前で、そんな……。
 だが、隊長は拭き取ったクリームをじっと見つめると、ちろりとそれを舐めた。
「ひぇ!」
 王子から変な声があがる。吾輩もあがる。これは、とてつもなくやらしい!
「舐めるの!?」
「だって、勿体なかったから」
 そういう問題じゃない! そう思うのは吾輩だけだろうか。
 当の隊長はけろりとして、再びエスプレッソを片手に雑誌のページをめくり始めた。
 なんということだ。王子と隊長がデキている!
 吾輩たちは先程から咳が止まないというのに、当人たちは、二人の世界に入り込んでいるからか、まるで気がつく様子もない。
 駄目だ。このままでは吾輩の精神衛生がよろしくない。ガールズトークというやつは、男には少々刺激が強すぎるようだ。さっきから肌が粟だって止まない。
 見れば二人のコップは空になっている。吾輩もそろそろ仕事をするとしよう。
 吾輩はふと路地の先を見つめた。大通りが霞の向こうに見える。彼女らと同じく、めいめい好きな格好に変装した行列が、一定方向へ流れていく。今日は反対側の国立庭園で仮装大会が開かれると聞いた。
 たかが仮装やろ? と吾輩は思っていたが、これがどうして侮れないと知った。この二人なんて、どっからどう見てもしろボン王子とくろボン隊長にしか見えない。吾輩だって最初見間違えたほどだ。
 吾輩が二人の傍によると、彼女たちはまだ喋り足りないようで、キャラメルマキアートとカフェモカを注文してきた。ただでさえ甘い話に、甘い飲み物を注ぐというのか。いやはや、女性というものは恐ろしい。
 かしこまりました、と頭を下げて、吾輩は彼女たちの空のコップを下げた。さりげなく視線を落とすと、開かれたページには、お決まりの眉間にしわ寄せた仏頂面と、何とも締まりのない底抜けにほころんだ顔とが映っていた。紙の端っこをつまみ、王子と隊長姿の二人は、それぞれにため息をつく。
「あー……、どうにかして恋人になれないものかしら……」
 ないない。吾輩は店の奥に引っ込んで、陰からテーブル席を見やった。
 しばらく「大勢の中から見つけてくれて、そこから二人の仲が縮まって……」とか「遅刻寸前で走っているところに曲がり角でぶつかって……」とか大いに夢見がちな妄想を繰り広げていたが、吾輩は腹の震えを抑えるのに必死だった。
 彼女らに告げたい。しろボンもくろボンも顔見知りの身として言わせてもらうと、まず可能性はないと。偶像として好きなのであればいいのだが、本気で好きなのだとしたらやめておけと。せっかくの青春、無駄に費やしてしまってはあまりに可哀想だ。もっと別のことに熱意を注いだ方がいい。
 何故って、さっきから、彼女たちの後ろの席で、ゴホゴホ咳き込んでいる二人こそが、当のしろボンとくろボンだからである。