もう少し傍ですれ違えたら

 夏も半ば、太陽は弾けんばかりに熱気の光線を降らせ、地で反射して陽炎を舞い上がらせる。周りではクマゼミロンがノイズのような大合唱、時たま網戸を風が揺すれば、その音だけで涼しい気がする。まさに、夏真っ盛り。

「たっだいまー!」
 しろボンは、吹っ飛ばすかと思うほどに勢いよくドアを開けた。
 まだ時刻は朝八時、閉めきった部屋もそれほど暑くはなっていない。旅行鞄を投げだし、目ざとく新調されたベッドを見つけると、そのままプールの飛び込み台よろしく布団にのしかかった。おそらく昨日あたり干されたのであろう、お日様の匂いが鼻をくすぐる。何日も部屋を空けていたのに、この用意の良さはさすがとしか言いようがない。

 しかし、いくら布団がやわらかく誘ってくるからといって、せっかく解放されたというのに、このまま寝てしまうのではもったいない。
 しろボンはすぐに放り投げた旅行鞄の中をまさぐり、虫取りカゴを取り出すと、同じく持って来ていた虫取り網を手に取り、そのまま炎天下の中に飛び出していった。

 部屋の滞在時間は、わずか一分足らず。まさに夏の嵐のような一時であった。

***

 くろボンは、久しぶりの自宅へ帰ってきていた。
 夜番の引継ぎが少々長引いて、家に到着したのは午前九時頃。一人で暮らしているので、当然ながら家には誰もいないし、ましてや朝ごはんを用意して待ってくれている訳もない。

 久しぶりの我が家は、男所帯らしく物があちらこちらで散らばっている。今日の天気は真夏の装いとなるというので、どうにか足元のものを避けながら、窓を開けることに成功した。

 ここからは、地球宮の本殿が見える。
 しろボンは、ふたご星の火星と水星へ国王の名代として赴いて、今朝地球へ到着した。今頃何をしているのだろうか。世間ではお盆前であるから、殊勝にも墓参り……ではないだろう、どうせ近くの山にでも入って、虫取りにでも精を出しているに違いない。
 くろボンとしては、こんな暑い中、訓練でもなければ進んで外には出たくはない。

 ふと木椅子の上に無造作に置かれた、エアロバティック・マニューバの本が目についた。いつの間に読んだのだろうか、どこまで読んだのだろうか……。
 気にはなったが、帰路で大分汗をかいてしまったから、まずは水でも浴びた後、ゆっくり見ることにしよう。

***

 再び夏の嵐、もといしろボンが部屋に戻ったのは、朝十時半を回ったころだった。
 虫取りは大収穫で、ルリタテハロン、オニヤンマロン、ナナフシロンやハナムグリロンを見つけた。青虫ロン芋虫ロンはそっとしておいた。途中、スズメバチロンに出くわしたのはちょっとした冒険だ。残念ながら、クワガタロンやカブトムシロンには出会えなかった。

 気がついたらあちこちが虫刺されで腫れていたので、水で冷やして痒みを鎮める。そうだ、今度は川へ行こうか。そしたら涼しいし、言うことは無い。

 しろボンは採集の成果を丁寧に棚に並べた。窓から入ってくる風が、火照った体を冷やして心地いい。
 あまりに夢中になっていたので、ウェルダンにでも焼くような日差しすら気がつかなかったくらいだ。明日はしろボンでなくて、くろ焦げボンになってしまいそうだ。

「あーでも、くろボンは、虫になんか興味なんかないんだろうけど」
 思わず呟いてしまう。
 今度は立てかけてある釣竿を手に飛び出した。ドアが勢いよく閉まったので、思わず振り向いたが、また駆け出した。

***

 気がついたら眠ってしまっていたらしい。
 時計を見るとちょうど昼時の午後十二時半。そろそろお腹も空く頃だろうと、椅子で寝た為に固くなった体を伸ばしながら、のろのろと台所へと向かった。

 普段、くろボンは城の食堂で済ませるので、こうして食事の支度をするのも久しぶりだ。台所に立つこと自体珍しい。客でも来なかったら、お湯すら沸かさないだろう。
 片方のヒーターの様子に目を配りながら、もう片方のヒーターでフライパンを回す。頃合いになったところでスイッチを切り、器にざっくりと取り分ける。

 頂き物のそうめんの余りと、貰い物の唐辛子、傷みやすい葉野菜に、適当に貝ソースやら果実油やらで味を調えた、くろボン特製余り物炒めペペロンチーノ風。
 料理をしたら少し煙たくなってしまったので、窓を更に大きく開ける。

 そういや、昼からはどうしようか、全く考えていなかった。せっかくの休み、家で寝ているだけというのも、自堕落な気がして仕方ない。どこかへ出かけようか、出来れば暑くないところへ。
 もっともしろボンだったら、食べてからも昼寝と言い出しそうだけれど。

***

「ぶぇっくしょん!!」
 自分のくしゃみで目が覚めた。
 夏風邪か、でも『夏風邪はバカしかひかない』というから、それを認めればしろボンはバカということになってしまう。きっと、誰かがバカにしている……いや、噂しているに違いない。

 呆けた頭で辺りを見回す。
 木立の深い山の奥。先ほど川釣りをしていた場所から、上流に上ったところに泉を見つけた。木々の葉は太陽をも覆い隠し、深緑のドームを形作っている。城下の賑わいも聞こえず、ただ揺蕩う泉のせせらぎだけが流れている。まるでここは、季節からも隔離された、別世界のようだった。
 昼寝をするにはここがいい、と狙いをつけて、一番大きな樹の下でもたれかかって、しばらく眠っていたのをようやく理解する。

 ここは、城から見えるだろうか。
 たまにはここに来たいが、くろボンにはすぐ見つけられそうな気がする。

***

「あら、お出かけですか?」
 くろボンは玄関に鍵を差し込んだところで声を掛けられた。
 いかにも話好きそうな中年の女性だ。相手に悪意はないとは言えど、こんなところで話し掛けられるのは決まりが悪くて、ええまぁ、と曖昧に返事をする。

「お気を付けなさいね、たまにだけどね、この辺、怪しい人が出るっていうから……。そうそう、戸締りはしっかりね」
 おば……女性の話はさらに続いた。
「いつだったかしら? 半年くらい前? 年が明ける前だったかしら? その時も出たんでしょう? あなたの家よ。夜遅くなるって言っていたのに、昼間から泥ボンよ。あの時はあなたがとっちめたって言っていたけど、この頃も、実は怪しい人影がうろうろしてるって……季節がら、幽霊かもしれないわね。幽霊と泥ボンどっちが怖いのかしら」

 何か話がおかしな方へ広がっている気がする。
 このまま長々と話されてはたまらない。すみません、ちょっと……と心にもない申し訳なさを演じつつ、何とか場を切り上げることが出来た。

 少なくとも、最近の不審者については、俺だ。滅多に家に帰らないし、不規則な交代だから、帰る時間もまちまちになる。さらに、生まれ持って全身黒の見た目。
 そんなに怪しく見えるのだろうか……。

***

 しろボンは、商店街まで来ていた。
 適当なベンチに腰を下ろし、西日のオレンジの差す建物を何の気なしに見ていた。ベンチはもう長いこと使われているようで、少し身じろぎすれば木の軋む音がする。
 まだ日は長い。冬ならとうに真っ暗であろうが、今はまだ、気持ち青空にオレンジの筋が滲むくらいで、当分は暮れそうにない。まだ遠くではアブラゼミロンが鳴いているし、足元の石畳は鉄板のように熱いままだ。

 そろそろ夕食の時間帯を控えていた。
 小通りを買い物客が通り過ぎていく。一人で歩いている人もいたし、手をつないで歩いていく親子もいた。つるばみ色の買い物かごをぶら下げ、柔らかに微笑む母親らしき女性と、ぴょんぴょんと飛び跳ねている、いかにも活発そうな小さな男の子。何となく目で追っていた。どうやら、今夜のおかずについて尋ねているようだ。

 ──タマネギ、ニンジン、ピーマンはなしね。ジャガイモ。今夜はカレーかな。明日の朝ごはん用の牛乳?
 買い物かごを覗いて、思い出すような仕草で頭をあげる。しろボン自身も、一度誰かと買い物に出かけ、『おゆはん当てクイズ』をやってみたかったことを思い出す。
 城での食事に不足がある訳ではない。運んでくるうちに少々冷めてしまうのが難点だが、それは仕方がない。味は文句のつけようがないほどおいしいし、栄養のバランスだって取れているのだろう。

 それでも物足りなさを感じてしまうのは、何故か。
 大好きな人がすぐそばにいて、大好きだと思ってくれている自分の為に、気持ちを込めて作ってくれる。そういった実感が欲しいのかもしれない。

「くろボン、来てくれないかなぁ……」
 しろボンはそのまましばらく親子連れの少年を羨ましく眺めていた。どうやら彼の夕飯当てクイズは外れたらしい。

***

 時計を見れば、午後七時前。夕飯にはまあまあの時間だ。
 そろそろいいか、とくろボンは冷蔵庫から鍋を取り出した。買い物で仕入れた材料をつぎ込んだだけ、至って普通のクリームシチュー。さすがにいくら楽だと言っても、暑い夏に熱いシチューを出すのは気が引けたので、ちょっと手を加える。
 軽くかき混ぜ、これまた冷やした器によそう。二枚目の皿を手にしたところで、はた、と止まって振り返る。
(俺は何をしているんだ……)
 お玉杓子を降ろし、一つよそった冷製シチューをテーブルに持ってゆく。

「すっごー!」
 ただのシチューを冷やしただけだというのに、しろボンはわざとらしいほどに大きく目を開く。
 自分の分もよそい、すべてのおかずが揃ったところで、席についた。

「いただきます」「いただきます」
 手を合わせるや否や、しろボンはその冷製シチューをジュースか何かのようにごくごくと飲み、昼間の残りのヤマメを唐辛子で味付けした唐揚げにかぶりつく。よくもまぁ食欲旺盛だなと関心こそすれ、不思議と行儀悪くは感じない。
「くろボンて、料理うまいよねえ。昼間のそうめんもおいしかったし」
「それはどうも」
 評価もなかなかのようだ。作った身としてはとりあえず安堵した。

「それより……」
 くろボンは窓際に目をやる。
「あれ、持って帰るんだろうな」
 視線が指し示した先には、朝方しろボンが捕ってきた昆虫たちがいた。人の部屋は散らかしていったくせに、自分のものは綺麗に並べているのには、いささかの不満を禁じ得ない。
「置いてっちゃ駄目?」
 しろボンがおねだりするような上目づかいでこちらを見てくる。
「構わんが……」水槽や空き容器の中で生を謳歌している昆虫たちを見て、彼らの行く末を思い描く。
「干からびるぞ」「持って帰ります」
 急に落ち着いた声になり、はっきりと言い告げた後、しろボンは再び夕食をかき込み始めた。

 よくもまぁ、昼間あれだけ食べて、お腹に入るのだと思う。イワナを焼いた時の焦げた匂いが、まだ染みついている気すらする。
「お前、明日までいるんだろう」
「そだけど」
 しろボンは皿をがっちりと掴みながら、目線だけあげて咀嚼を続ける。
「それだけ食べるなら、明日の朝は、お前が作れよ」
「いいけど……」しろボンは頬をごろごろさせつつ、台所の方に目をやる。
「ボヤで済めば」「俺が作る」
 火事でも起こせば、また近所から奇妙な目で見られることになるだろう。
 城下町の外れも外れ、まさか親衛隊長と自分が同一人物だなんて、ましてや王子を連れ込んでいるなんて知れたら、火のない所に煙は立たぬ、文字通り火をつけてしまう。

 結局、くろボンの休暇は、王子のもてなしに終始することになりそうだ。

***

 ふわぁと一つ欠伸をして、もうこんな時間だったかとしろボンは時計を見る。
 時刻は夜九時過ぎ。もうしばらくエアロバティックの写真を眺めていたいが、まもなく寝なくてはならないようだ。まったく、楽しい時間というものは、なんだって早足なのだろう。

 くろボンの家に泊まるようになったのは、今から半年ほど前。
 お盆か年末年始かお彼岸か、親衛隊では兵士たちが代わる代わる里帰りをしている。隊長もそうしなくては他の兵士たちが遠慮してしまうため、止む無くくろボンも休暇をとることにしているのだそうだ。

 だけど、くろボンの故郷というものはものすごく遠いらしく、祖父の命日くらいにしか帰ろうとは思わないそうだ。
 代わって、地球の方の自宅で静かに過ごすと決めている。ほとんどを城で過ごしているので、こんな時くらいに帰らないと、電気や水道が、いざという時に使えなくなってしまっては困るからだ。
 そこによい口実として、しろボンが転がり込んでいる、そんな具合だ。

 しろボンはほとんど城から出ない。今回のように、特別な行事でも入らない限り、遊びも仕事も、ほとんど城周辺で事足りてしまう。
 このくろボンの家は、一応居所は地球宮城下町となってはいるが、歩いて三十分余り、後ろは山だし周りは家より畑が多い、単刀直入に表せば『田舎』であった。なるべく城とは関係ない、喧噪から離れたところに身を置きたかった、とくろボンは話していた。どうやらくろボンの故郷も、結構な田舎らしい。
 なかなか帰れなくて困る、と零したくろボンに、しろボンが「じゃあオレが行ってあげよう!」と名乗りを上げたのが始まりだ。

 そんな訳で、しろボンは、世間が実家というものに帰る頃に、自分の家を離れ、他人の家にお邪魔している。

 窓から身を乗り出して空を仰いだ。まだまだ外の空気は熱を帯びている。
 月は少しばかり欠けて十三夜。南東の方角。昨日までいた火星も見える。夏の大三角、なんて呼ばれている星も見つけた。もしかしたら流星群も見られるかもしれない。
 
 ああなんで、今日が終わってしまうんだろう!
 ならばせめて、明日も楽しい日でありますように!