しんとした夜の闇に、紅く円が照らされている。
はあ、と何気なく深く息を吐くと、わずかに空気が白く染まって散った。もう冬になろうとしているのか、気づくと急に指先が冷えてくるような心地がして、しろボンはぽつぽつ星の光る夜空を仰ぎながら、手の平をすり合わせた。月は真ん丸に満ちている。夜だというのに、暗がりの中で雲の輪郭まではっきり見えるほど、輝きを放っている。
何しろ、キャンプというものは、初めての経験だ。一応王子ということで、人一倍上等なテントはあつらえてもらっているものの、たかがテントの布一枚に押しつぶされそうな気がして、どうにも寝るには慣れない。本来枕が変わったくらいで寝られなくなるような神経ではない筈なのに。何より興奮が大きかった。少し目を瞑っては、ああ、今自分は違う場所にいるんだなあと、ひしひしと五感が訴えてくるのだ。
そんな訳だから、しろボンはテントで横になるのを諦めて、外に出た。単なる夜空だけだったら、お城でいくらでも見られるというのに、出掛けた場所で見る景色は、何だかとても貴重なものに思えた。
マグカップに入れたホットミルクに口をつけて、軽く東の方へ目をやると、鬱蒼と茂った木立の向こうで、ちかちかと橙に瞬くのが見えた。あっちの平野でも確かキャンプをしていると聞いている。となると、キャンプファイヤーだろうか。うらやましい。空耳かもしれないが、賑やかな歓声まで聞こえてくるような気がする。こちらは水を打ったように静かだというのに。
ざっ、と、草を踏み鳴らす音が聞こえた。振り向くと、くろボンが歩いてくる。夜の帳の中にあって、紛れることもなく、不思議と存在感を放っている。夜目に慣れたからだろうか。
目が合うと、いささかくろボンは驚いたように眉を上げた。
「お疲れ様」
しろボンは声を掛ける。
「起きていましたか」
「なんとなくね」
そのままくろボンはしろボンの隣に立った。しろボンが腰を上げて、「温かいものでも飲む?」と尋ねると、「それには及びません」と、緩く頭を振って制した。
「明日は早いので、もうお休みになってください」
会話がぶった切られてしまった。
しろボンもくろボンも正面を向いたまま、お互いの顔を見ることなく沈黙する。
話の糸口を探ろうと、しろボンはぐりんと頭を天に向けた。目いっぱい広げた濃藍の幕に、ざっくり塩胡椒を振りかけたような景色をしている。お城で見える星空とは、にわかに趣が違うように感じる。
秋も深まる満点の星空の下、ただでさえすれ違いの多い王子と隊長がこうして二人きりになれたというのに、くろボンにはロマンチックの『ロ』の字も解さないに違いない。考えると自然にむくれてきて、膨らませた頬の空気をため息に変えそうになったところで思い留まった。くろボンに気がつかれたら、何かしら嫌な突っ込みを入れられてしまうだろう。
立ち上るミルクの湯気が、顔に当たって汗になってきた。頭を降ろして、また置き所のない視線を彷徨わせていると、ふっと、先ほどまでキャンプファイヤーの見えた木立の向こうが、蝋燭が消えたみたいに暗くなった。くろボンも認めたようで、身じろぐ気配がする。
「そろそろですね」
「何が?」
「そろそろ、王子も準備をしてください」
ぽかんとした顔を向けるしろボンに構うことなく、くろボンは木立の向こうに視線を固めていた。何のことだかさっぱりわからないので、しろボンはそんなくろボンと木立の向こうを交互に見つめ返す。くろボンは姿勢を正して、威圧感たっぷりに仁王立ちして腕を組んだ。
しばらくそのまま動かないので、諦めてテントに入ってしまおうか、そう考え始めた矢先だった。
「申し上げます!」
こちらまで急くような足音と共に、兵士が割り入ってきた。
「首尾は」
「はっ!」兵士は二人の前に跪き、息を継ぐ暇もなく一気に申し述べた。「敵軍は壊滅状態、夜襲が空振りに終わり、大半が火にまかれ絶命、逃げおおせたいくらかも追撃により消滅、残存兵力は限りなくゼロ……」
そこまで叫んで、兵士は激しく咳き込んだ。
しろボンがあたふたと辺りを見回す最中、くろボンは落ち着いた仕草で脇に視線をやると、テントから水の入ったボトルを持って兵士が姿を現し、斥候役の兵士を介抱しながらゆっくりと飲ませた。
「深追いはしてないだろうな」
「は、はい」
くろボンの詰問に、斥候はまだ荒く息をつきながら辛うじて返事をする。
突然のことに、何が何だか──自分だけ非現実に置いていかれた気がして、窓の外から眺めるようにやりとりを見ていたしろボンは、不意にくろボンが振り返ってこちらを見たので、ぎくりと身を強張らせる。
「準備をしてください」
「え、どこに?」
しろボンは本当にわからなかったのだが、その問いに答えが帰ってくることはなく、ただ一拍間をおいて、頷くしかなかった。
***
サイレントモードでボンバーファイターを駆ること十分。先のテントから東、ちょうどキャンプファイヤーの瞬いていた木立の向こう側に、ぞろぞろと大隊程度の塊が移動した。
しろボンが目を引かれた頃の輝きはすでに失われ、辺りは黒く朽ちた瓦礫の山と、おどろおどろしくたなびく煙、つんと鼻の奥を刺激する焦げた匂い、そこかしこに散らばる人形のようなもの、とで溢れていた。およそ現実を感じさせない、まるで初めからこう整っていた舞台のような異様さに、しろボンは息をのんだまま止まってしまった。暗さと静けさと涼しさが、薄気味の悪さに一層拍車を掛ける。
そこにはすでに、セレスとパラスが待っていた。くろボンの到着を認めると、三人固まって何だかやりとりをしている。「予想通り」「首尾は上々」「奴ら、相当追いつめられているとみえる」大体しろボンが理解できたのはここまでだった。
辺りを軽く見回して見分を終えたくろボンは、一旦視線を落とすと、片手を上げ、静寂をかき消すように声を張り上げた。
「これより追撃を行う! 今回の襲撃の失敗により、敵の士気は消沈している、そこを叩く!」
くろボンの声は、おおよそ生気を感じない廃墟の中にあって、鐘のように凛として響き渡った。兵士たちは皆じっとくろボンを見つめている。
くろボンがちらとこちらを向く。何か気の利いたことを言え、そう無言で背中を押された気がした。
「あ……えっと、オレたちは明日、絶対に勝って、戦争が終わるんだ!」
しどろもどろになりながらも、何とか叫び終えると、地鳴りのような雄叫びが兵士たちから湧き上がった。熱気にあてられて、しろボンにも蒸気のような興奮がぽーっと爪先から這い上がってくる。一同一斉に注目した兵士たちが、「王子! 王子!」と拳を振り上げている。
勢いが落ち着いたのを見計らって、くろボンは次々に指示を出した。明朝明け方、しろボン達のキャンプから連れてきた兵と、ここのキャンプで戦闘した兵とで合わせて、生き残りの敵兵を一気に叩く作戦らしい。隊列が再び組みなおされ、ボンバーファイターは整備兵によって最後の点検、兵士たちは綺麗に整列して点呼の最中だ。
しろボンはさっきまでの熱が一気にひいて、ぼんやりと立ち尽くしたままその様を見守っていた。
その傍らに、大方の指示を出し終えたくろボンがやってきた。
「五十点といったところですね」
どうやら先ほどの演説のことらしい。
あまりの低評価に、しろボンはむっと顔を萎める。
「悪うござんしたね」
「いいえ、王子としては上出来です」
褒められているのか貶されているのかわからない。しろボンがむくれるのをよそに、くろボンは続けた。
「王子の力無しでは、ここまで来られませんでした。いよいよ明日、決着がつこうとしています。それも偏に王子の人徳に寄るものです」
いつもこき下ろされるところ、珍しく褒められたので、しろボンはしばらく言葉を失った。自分でも頬が熱くなるのがわかる。くろボンの顔が急に見られなくなってきて、少し俯いた。
ふと俯いた先に、きらりと光るものが目についた。どうやら焦げて転がっている敵方兵士の肩章か何からしい。意匠的な紋章が描かれている。ひょいとその切れ端をつまむと、よく見えるように空にかざした。
「どうしたんです、王子」
くろボンが訝しげに尋ねてくる。
その紋章がはっきりと目に映ると、知らず知らず、しろボンはにぃっと口の端を吊り上げていた。
「いいや。……いい紋章だなあ、と思ってさ」
地球かビービーダマか、透明な空色の円に、黄金色の一翼の翼。反乱軍、ネレイドのシンボルマーク。
黒く煤けて、ところどころに焼けた穴が開いている。
しんとした夜の闇に、松明が燃え盛っている。灯火に暴かれて、しろボンの紅いビーダマが、人魂のように揺らめいた。
