次の花が咲くだけのこと

 陽は西に傾きかけ、絵の具を零したように、空を藤色に滲ませている。親衛隊の一日見学体験も終わりを迎えていた。出口のゲートに兵士たちが一列に並んで、帰ろうとする親子連れに敬礼をし、握手をしている。黄金色の差す子供たちの表情は、夕陽と相まって、さらに輝きを放っているように見えた。
 彼らがゲートの向こうに消えていくのを見守りながら、くろボンは知らず、ふうと小休止の息をついていた。ようやく終わった、その感慨が無意識に胸を満たしていた。厄介ごとが片付いた、だなんて、思ってはいけないのだろうけど、安堵したのは確かだ。無事に終わった。何事もなく。
 そのゲートから少し離れたところ、同じように帰りを見守る人影が目の端に引っかかった。しろボンだ。今日は王子自ら率先して子供たちの相手をしてくれていた。本来こんなことにまで首をつっこまれてはいけないのだが、今回に関しては、感謝の意を述べざるを得ない。
 帰ろうとする子供たちが何人か、後ろを向いて手を振るのに、しろボンも全力で手を振り返している。けれどもまだその子が、家路を行こうとする母親が反対の手を引くのをお構いなしに、うんと爪先を伸ばして、しきりに手を振っている。しろボンがこちらを向いたので、ようやくその子が自分に手を振っているのだと気がつき、はっと一拍間をあけて、ようやくおずおずと小さく手を振った。その子は目尻をうんと伸ばし、満面の笑みを夕陽に照らして、こちらから見えなくなるまで、しきりに振り向いては手を振っていた。
 悪くはない、今日の労働の対価としては──うっすらとそんな考えが浮かんだ時、いつの間にか、しろボンが隣に来ていた。

「お疲れ様、隊長」
 その口調は、ねぎらうというよりも、からかう色が強かった。こちらをちらちら伺うように見ては、小さく吹き出しているのだから、疑いようがない。せっかく人が物思いにふけっていたというのに、水を差された気分だ。そんなことを言ったら、また吹き出されそうだから、口にはしないが。
「何がおかしい」
「え」
 つい苛立ちを隠さずに口にすると、しろボンは「何のこと?」とでも言いたげに、目を丸く見開いた。無自覚というのなら、始末に悪いことこの上ない。無言で咎める視線を感じ取ったのだろう、しろボンは、くろボンから少し視線を外すと、「だってさ」とこちらを指さした。
 ふと自分の格好を見回してみると、いつも軽やかに舞っている(と言われているらしい)マントが、すっかりしおしおにくたびれている。らしくなく背中のあたりが汗ばんで感じるし、やはり、慣れないことをして疲れたのだろう。今日は一日子供たちにかかりっきりだった。
「だって、『くろボン隊長』っていったらすごい人気だもの。王子のオレなんかよりさ」
 しろボンは少しおどけて頬を膨らませてみせた。そんなものか、と小さく零すと、そんなものだよ、だってくろボンは、子供たちにとってはヒーローだもの、と大きな身振りで熱っぽく説明してくれた。俺はそんなんじゃない、と零したのは、しろボンには聞こえていないようだった。
 くろボンからしたら、ヒーローはしろボンの方で、自分などは裏切り者だ。はなから国と宇宙を救おうとした、こいつらとは違うのだ。英雄と同一視されると、何だかむず痒い。
 そんなことを感じながら、熱弁するしろボンを、言うがまま放っておいた。つとまた出口のゲートに目をやる。しばらく経って、「あ」としろボンが声を上げたので、我に返った。

「そういえば、くろボンも持ってるの?」
 何を、と言う代わりに、くろボンはしろボンの指さす先を追った。見ると、兵士たちのスカーフがたなびいている。夕暮れに染められ、稲穂の絨毯のようになびいている。
 ああ、と生返事をしながら、ごそごそと懐を探った。「一応は式典だからな。持ってきた」
 親衛隊──前身を、守備隊というが、その隊員たちは入隊の時に、真っ赤なスカーフが下げ渡される。それが栄えある隊員の証であり、とりわけ少年たちの憧れの的である。くろボンだって、同じように強い憧れを抱いていたのは言うまでもない。もっとも、これが必要なのは正式な式典の時であり、普段から身に着けることはない。
「隊長はマントになるからな、久しぶりだ」
 結んだ手を開くと、真っ赤なスカーフが横たわって姿を現した。認めた瞬間、しろボンの視線がスカーフに釘付けになったのが、はっきりとわかった。……実際、本当にしばらく身に着けておらず、引っ張り出したのも久方ぶりなので、タンスの奥で埃をかぶっていたことは、言わない方がいいだろう。それが余計な口だと察するほど、しろボンの目は爛々としている。
「やっぱり、くろボンも親衛隊なんだね」
「やっぱりってなんだ」
 口を挟む間も、しろボンの視線はスカーフに張り付いている。そういえば、こいつはやたらボンバーファイターにこだわるところがあった。隊長の許可がなくては搭乗できないので、やたら許しを貰おうと執務室に押しかけてきたことは数知れない。その度に却下してきたのだが。なるほど、いわばこのスカーフは自由に空を飛ぶことのできる『証明書』のようなもので、だからこそこんなに食いつくのか──くろボンはしろボンの様子を観察して、一人得心する。
「──やろうか」
「え?」
 しろボンが弾かれたようにこちらを向いた。
「このスカーフ」「ホント!?」
 顔がぱっとはなやいだ。上ずった声色だった。
 自分でもなんでこんなことを申し出たのかわからない。ただ、このスカーフを引っ張り出してきた時は、今の自分のマントに勝るとも劣らない、ひどくくたびれた有様だった。今出口で見送りに立っている兵士たちの方が、よほど颯爽としている。そのだらしない様子が、しろボンの羨望の眼差しに耐えられなかったのは事実だ。
 くろボンがにわかにスカーフの手を差し出すと、しろボンはおっかなびっくり、つついたりなぞったり、おおよそスカーフに対しておかしい振る舞いをしている。かと思えば、一度手に掴んでしまうと、それを目いっぱい広げてみせて、見せびらかすように、爪先立ちでくるくると回りながら、鼻歌でも歌いだす勢いで、いや、本当に鼻歌を歌いながら、満足そうに辺りで踊り子よろしく舞っている。随分くたびれて見えたスカーフも、しろボンのはしゃぎようにあてられて、あるいは夕陽に照らされて、幾分か輝いて見えた。
 しろボンが急に足を止める。
「本当にいいの?」
「ああ」
「後で返せって言ったりしない?」
「ああ」
 くろボンが頷くと、しろボンはまたぞろ回りだした。昼間あれだけ子供たちにふん掴まれて追いかけられたというのに、余程元気が有り余っていると見える。それともあのスカーフがそんなに嬉しいのだろうか。
 正直、式典の際には必要になるかもしれないから、「返せ」とは言うかもしれないと気ついたが、後の祭り、黙っておくことにした。自分がずっと隊長でいれば、問題のないことだ。

 呆きれながらも回り踊るしろボンを眺めていると、脇から、とてとてという効果音が聞こえてきそうな足取りで、小さな影が走ってきた。
「しろボン!」「え?」
 くろボンの声に反応して、しろボンは反射的にさっとかわした。それが良くなかったか、小さな影は、しろボンの数歩先で、べしゃっと音を弾けさせて、激しく地面の上に転げた。
「わ、大丈夫?」
 しろボンがその小さな影の前でかがむ。子供のようだ。今日の見学体験に来ていたのだろう。くろボンも辺りを見回しながら傍に寄ってゆく。一人らしい。親らしき人は見当たらない。
 子供はぺたんと地べたにあひる座りになって、我慢しよう、我慢しようと必死に涙をこらえて、しかし耐えきれずに目尻から大粒の涙を零していた。少し視線を落とすと、膝の頭をすりむいて、少し血が滲んでいるようだ。あれは痛い。幼い子供であるなら、泣いても仕方がない。
 どうしたものか。少なからずくろボンはうろたえた。
 傷を負った時のマニュアル、場内で不測の事態が起きた場合の対処法、どれも意味のないものが頭の中をぐるぐる巡る。馬鹿か、自分は。そんなものは自立した人間向けで、小さい子供には何ら役には立たない。わかっているのに、気の利いたことが浮かんでこない。
 まずは手当か、親を探して──救護テントはまだあったか、放送施設は──、ああ、これなら近所の交番のお巡りさんの方が余程頼りになる。自分なんて、隊長であっても、子供一人どうにもできない。
 しろボンはというと、小さな子の顔を覗き込んでいた。ああ、こいつの方が、まだどうにかできそうだ──縋るような気持ちで見つめていたら、大真面目に、「痛いの痛いのとんでけー!」と手振りを添えて唱えていた。くろボンは転げかけた。
 それでかえって冷静になれた。ため息と共に、「まずは水場で傷を洗って、布を巻いて……」と言葉が出る。矢先、しろボンはすっくと立ち上がり、くろボンが瞬きを終える間に、出口のテントから水筒をもらってきた。「ちょっと我慢してね」と断りを入れて、傷口を水筒の水で洗い流す。小さい子が痛みから呻くので、くろボンははっと魔法が解けたみたいに目が覚めた。気がつくと、「よく頑張ったね、えらいえらい」と子供の頭を撫でながら、膝をスカーフで巻いている。
 親衛隊の、赤いスカーフ。
 またくろボンが瞬きをして、そのスカーフの正体を認めたのと、その小さい子が気づいたのはほぼ同時だった。
「これってまさか?」
 驚きに見開かれる子供の顔をじっと見つめて、にやりと悪戯な笑みを浮かべてしろボンは答える。
「その『まさか』さ」
 おおー! と子供はさっきまで流していた涙など嘘のように引っ込んで、まったく痛そうな素振りもなくすっくと立ち上がる。「しかもなんと! 何を隠そう親衛隊長くろボンのスカーフさ!」とどこかの安売り商人みたいな謳い文句までしろボンは付け加えた。
 言われて、子供はくろボンの方を見た。くろボンの方もなんとなく視線を合わせてしまった。
 どうやら初めてそれでくろボンを認識したようで、先ほどしろボンがスカーフに注いだ視線と同じように、目を丸く輝かせて、膝のスカーフとくろボンとを交互に見比べる。熱のこもった視線にくろボンは気恥ずかしくなったが、なんとなく目を逸らすのはためらわれた。
 すると、子供は、さっきのしろボンと同じように、歌うように声を弾ませ、「ホントだ! 本物だ!」と辺りを駆けまわり始めた。泣くほど痛かったんじゃなかったのか。内心そう思ったが、その喜ぶ様子が、『親衛隊の、くろボンのスカーフ』によってもたらされたものだとはわかったので、キツネロンにつままれたような、不思議な心持ちでぼんやりと眺めていた。

 まもなく、その子の保護者らしき人が小走り気味にやってきた。子供は怪我をしているのに、泣くどころか喜んでいる。保護者は同じ様に神妙な面持ちをしながらも、丁寧に礼を述べて、子の手を引いていった。姿が向こうに消えるまで、小さな子は、大きな声で「ありがとー!」と何度も何度も手を振った。
 くろボンも、無意識のままに手を振っていた。さっきはあれだけためらっていたのというのに、自然に。隣でもっと大きく振っている奴がいるから、気にならないだけかもしれない。
 彼らが最後のお客だったという訳だ。姿が見えなくなると、少しして、兵士たちが撤収を始めた。
「……良かったのか?」
「え?」
 手を振り終えて、疲れたのか、ちょっとため息を漏らして、しろボンはこちらを向いた。
「欲しかったんだろう?」
 親衛隊の、スカーフを。
 しろボンは、「ああ」と事も無げに返事をする。
「欲しいけどさ、オレは頑張ったって親衛隊には入れないもの」
 そこには一抹の憂いも帯びていた。だが、すぐにそれをかき消す風に、
「オレよりもっと必要な子にあげた方がいいじゃない」
「ね?」と問い返されて、くろボンは曖昧に頷く。まあ、確かにそうだ。自分みたいにタンスの奥に追いやる奴より、ああやって宝物のように扱ってくれる人の方が──。しろボンとてその資格はあったのだけど、そのしろボンがいいというのなら、いいのだろう。
「もし、あの子が大きくなって、この時の思い出で、親衛隊に入りたいってなったら素敵じゃない」
「確かに──」言いかけて、くろボンは止まる。「……だがそれでは、スカーフが二枚にならないか?」
「いいの! もう!」
 くろボンってロマンがわからないなあ! と憤慨されたので、至極当然のことを言ったつもりでいたくろボンは、いささか心外に感じた。
 しろボンもくろボンも、先の親子連れが消えた出口を見つめていた。
 もしかしなくても自分にもあった。あんな風に純粋に憧れていた時期が。あったのだが、古ぼけて、霞んでしまった。ぼんやりとして、はっきりとしない。
 じっと彼方を見つめていると、日が暮れているせいか、感傷が胸に染みてきた。誰もいない景色に、あの子たちが帰った後ろ姿を、重なって見る。
「……あの子供、お前に似ていたな」
「え?」
 しろボンがこちらに向き直る。
 スカーフに輝かせていた目といい、くるくる踊りまわる様子といい、あと「泣きべそをかく姿なんか、そっくりだ」と言うと、しろボンはまたも憤慨した。見れば見るほど、そっくりな気がしてくる。
「それなら、あの親みたいな人、くろボンにそっくりだったじゃない」
 遅れてやってくるところとか、ちょっと過保護そうなところとか──と、けなし言葉とも褒め言葉ともつかないことを並べたてる。「人様のことは、その辺にしておけ」と窘めると、「くろボンのことを言ってるんだもーん」とそっぽを向かれてしまった。殊更心外である。
 なんだがきまりが悪くなって、撤収を手伝うべく、その場を離れようとした。すると、むんずと手首の辺りを掴まれる。
「たまには主従水入らず、黙って空でも眺めようじゃないか!」
 まるで酒の入った大男のように、豪快に背中を叩かれる。様子を見ていた兵士が、「もうほとんど終わりますんで、隊長はいいですよ」と合図を送ってくる。仕方なしに、くろボンは引っ張られるまま、しろボンの隣に腰を下ろした。
 ──なんだか最近、こいつにいいようにされてる気がする。
 西の彼方に消えゆく半円の夕陽を眺めながら、ぼんやりと思う。けれど、文句の一つも出てこなければ、抵抗する気も起きなかったので、そのまま諦めることにした。