「これください」、しろボンが台の上にいくつか紅茶の袋を並べたところで、前に立っていた店番は、しろボンを通り越してくろボンに目くばせした。ああまたか、と思う。一瞬のことで、当のしろボンは気づいておらず、「498ビーエン、398ビーエン」と言う声に合わせ、「ひぃふぅみぃよう」、などと数えている。まったく、呑気なものだ。
しろボンががま口からたどたどしく小銭を取り出す隙に、店番は、後ろの棚から適当につかむと、一つ二つ袋に放り込んだ。
「え?」
「サービスサービス」
驚くしろボンの表情が、ぱっと華やぐ。……もっとも、くろボンはしろボンの背後に控えているので、顔が見える訳がないのだが、少々付き合っていれば、彼の喜怒哀楽は手に取るようにわかる。
「ありがとう!」元気よく手を上げ、しろボンはこちらに目で合図する。お暇する、ということだ。しろボンが赤い木製のドアを開けると、ぱたんと閉まらない内に、くろボンも後についてゆく。
帰り際、振り向くと、店番はまたも目くばせした。よろしくお願いします、ということだろう。こちらとしては、あまりよろしくされたくない。
くろボンは何も告げずに、店を後にした。
***
「ラッキー!」
店を離れてしばらくした後、しろボンは買い物袋を放り投げてキャッチした。高い高い、赤ん坊をあやすように、さっきから何度もやっている。余程嬉しかったらしい。
「今日は運がいいね!」
「前を見てください。あとあまり話しかけないでください」
「ちぇーっ」
しろボンはむすっと口をすぼませて前へ向き直った。
まったくこいつは、観察眼というものが欠けている。
そもそも、王子がこうして気軽に街へ出られるのがおかしいのだ。今回は、大陽系から昔馴染みがやってくる、ということで、どうしても自分がもてなすんだと聞かないのだ。だから渋々、くろボンが護衛としてつくことになった。本当に、無駄な仕事ばかり増やす。
さっきのだって、本当に幸運だと思っているのだろうか?
通りすがる人々が、時折、こちらを振り返る。まあ、正体は割れているとみていいだろう。
いくら平和だといっても、良からぬ輩がいないとは言い切れない。出来るだけ、慎んで動いてもらいたいというのに……。
愚痴めく心中で足元の石畳を数えながら歩いていると、突如前の足音が、左方向へ逸れた。またしろボンは別の店へ入ったようだ。
おい、その店に寄るなんて聞いてないぞ。周囲に悟られぬよう、気持ち早足で後を追うと、甘く香ばしい匂いが漂ってきた。ああ、こいつに釣られたんだな。はあ、とため息をついて、アンティーク調に白く塗られた扉を開ける。ベルがカランコロンと澄んだ音をたてた。
しろボンはすぐに見つかった。入口近くの、ガラスケースに釘付けになっている。そのガラスケースの中には、ホールケーキがいくつか並んでいる。ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ。その他いくつか見受けられるが、正直ケーキについては造詣はさっぱりなので、よくはわからない。
あまりしろボンを眺めている訳にもいかないので、店の奥に進み、適当に辺りを見回してみる。どうやら洋菓子店のようだ。パイのようなもの、シュークリームのようなもの、タルトのようなもの、さまざまだ。果物の甘酸っぱい匂いがする。確かに、これはつい食欲をひかれる。
「これとこれとこれ」、しろボンの声が耳に入って、くろボンはそっちを向いた。いつの間にか、他の細々としたお菓子も手に取って、熱心に注文している。「三日後の十時ですね、承りました」店員はしろボンの言葉を繰り返して確認する。その隣で、別の店員はしろボンが台に乗せたものを丁寧に袋に入れる。
……またか。またウィンクのような合図。
店員は「おまけです」と言って袋詰めの菓子も一緒に入れた。さすがに本日何度目かともなれば、しろボンも戸惑うようで、「え」と声を上げて店員の顔を見つめる。すると、店員は先ほどくろボンにしてみせたウィンクをしろボンにもくれて、「新商品なんです、良かったら」ともっともらしい言い訳をする。確かに、入口近くのバスケットには、『新商品』とポップがつけられて、抹茶のどら焼きみたいなものが並んでいる。嘘ではないが、取ってつけたような言い訳だ。
しろボンがお札を並べる。2253ビーエンなのだから、半端を小銭で出せばいいのに、律儀に3枚、1000ビーエン札を出す。それで財布が重くなって、ただでさえ危なっかしい足取りで歩くのに、余計にジャラジャラ鳴らすことになる。そういう考えは及ばないのか──無性に苛立つのは、ひとえにしろボンの鈍感さに尽きる。
なんとかかんとか会計は済ませた。案の定、がま口から小銭のすれる音がするので、しろボンに目を合わせると、しろボンもこちらに目線をくれていた。帰る、という意味だ。しろボンが先にベルを鳴らして店を出た後、くろボンも後に続く。会計台の前で足を止めて、財布を出した。
「先ほどの代金を支払おう」
「え、いいですそんな」
店員は抑えるように両手を広げる。
「王子様がいらっしゃったとなれば、店にも箔が付きますし」
はあ。やはりバレている。くろボンはため息をついた。
「あまり大っぴらにされたくないのだが」
「もちろん、それは」
くろボンはお札を取り出した。この店は信用できそうだが、かといって、他に客もいる中、そこから変な噂が立たないとも限らない。おそらく善意であるだろうに、便宜を図ったなどと囁かれては、店側としても迷惑になるだろう。
何より、物を買う、代金を支払う、という当たり前のサイクルが成立しないことに、くろボンとしてはむずがゆさを感じていた。
これまでおまけと称して色々くれた店にも、後で代金は届けることにして、とりあえず、この店だ。
店員は差しだしたお札を受け取ろうとはしなかった。「いいです、いいです」と言って手で留めようとする。こういうのはむしろこっちが困る。是非とも受け取ってもらわなくてはならないが、あまりにやりとりが長引くと、かえってくろボンが無理やり金銭を押し付けた形に見えてしまう。
一旦手を引いて、くろボンは考えた。そして後ろを振り返ると、手近にあったイチゴのパウンドケーキを手に取り、会計台に置いた。
「これで」
「お召し上がりですか?」
「いや、帰って食べる」
店員は頷き、袋に詰める。会計が終わったのと、しろボンが「くろボン、まだー?」と再び店に顔を出したのが、ほぼ同時だった。
「名前を呼ばないでください」としろボンに戒めた後、くろボンは店を出た。
***
「これでよし!」
しろボンは鼻息荒く、満足そうに部屋を眺めた。
城に戻った後、しろボンは早速にセッティングを始めた。倉庫から引っ張り出してきた古びた木製のテーブルに、カーテンのように大きい純白のテーブルクロス。花を活けられるのを心待ちにしている花瓶。椅子も人数分調達。
掃除もぬかりない。例え意地の悪い姑が窓の縁をつっとなぞったとしても、埃一つ付く心配はない。何故ならくろボンも手伝わされたからだ。何故俺が使用人のような真似を、と思ったが、あまりに大雑把すぎる掃除の仕方に、くろボンが業を煮やして自ら手伝った形なので、誰のせいでもない。
くろボンの目からしても、セッティングはなかなか上々の出来だと思う。問題は、当の本番が三日後ということだが。しろボンは、当日までこんな部屋で過ごすのだろうか?
「ああ、お菓子を冷蔵庫に入れておかなくちゃ」
思い出したようにしろボンは手を叩き、買い物袋を漁る。冷やしておかなければならないものは冷蔵庫、日持ちのするものは戸棚の中。勝手に食べられてしまうといけないのでと、くろボンは張り紙の準備をした。
「あれ?」
しろボンの動きがぴたりと止まった。
「どうしました」
「こんなのもらったっけ」
しろボンが袋の中から取り出したのは、先ほどくろボンが店で買ったパウンドケーキだった。あの時はあまり気にしていなかったが、乳白色と蜂蜜色の不織布二枚重ねに、杏色のリボンが巻かれている、何とも女性受けのよさそうなラッピングである。
「ああそれは……」
「くろボンの?」
「ええ。……いや、王子に……」
言いかけて、くろボンは止まった。
……俺はもしかして、何かとんでもないことをしたのではないだろうか?
元々は、度重なるお礼に、良心が苛まれて、ついでに買ったものだ。だから、買った後どうするかは特に考えてなかった。自分で消費するつもりはないし、なんとなく、無意識で、しろボンにあげるつもりだった。
無意識のうちに、しろボンにプレゼントするために買っていた……?
その事実が、くろボンを心底恐れされた。
いや、他意はないのだ。あくまで店に対して申し訳ない気持ちが立ったからであり、しろボンのことは二の次だ。なのだが……さらにはこの、誤解を招くような包装……。
「いや、違」
弁解しようとくろボンは口を開いたが、しろボンを見て、固まってしまった。
しろボンはむずむずと震えながら、水位があがるように、みるみる顔を真っ赤にしていく。な、なんだその反応は! さっき散々店で見せたように、軽く流してくれれば良かったのに! 男からの贈り物など、気持ち悪いって一蹴してくれれば良いのに!
「あ、ありがとう」
しろボンは、そのパウンドケーキで顔を隠して、か細くお礼の言葉を絞り出す。今度はくろボンの顔が上気する。どういうことだ、これは! これではとても、そういう意味じゃない、と言えなくなってしまった。
……いや。もしかしたら、初めからそういうつもりだったのかもしれない。
しろボンが照れているのを見ると、そんな気がしてきた。顔が熱い。お菓子を冷蔵庫にしまってこよう。しろボンへのプレゼントだったのか否か? 理由なんてもうどうだっていい。
「神棚に飾っとく」
「いや、食べてください」
