泣いてたってわからない角度

 傘を差すには小さい雨粒が、差さないには濡れてしまうほど絶え間なく落ちてきた。けれど、生憎しろボンは、傘を持ち合わせていなかった。
 そういや、雲の様子が、とか言っていたっけ。仰ぎ見ると、ずっと向こうの西の空は薄い青空が覗いている。通り雨かもしれない。
 清流のせせらぎに似た雨音を遠くのことのように聞きながら、街中に一人立ち尽くしていた。
 運が悪い。そう、全部運が悪いだけだ。
 たまたま段差に突っかかって転んだり、人前の挨拶で噛んだり、ご飯がピーマンの肉詰めだったり。珍しく寝坊しなかったと思ったら、相手に時間を間違えられてたり。一つ一つはちょっとしたことだけれど、積もり積み重なって、なんだか嫌になってしまった。「仕方ない」の一言で片付く偶然の数々が、嫌になった。
 魚屋や八百屋の立ち並んだ通りを見やる。雨の中だけあって、夕飯前の買い物時だというのに、人出はまばらだ。予測はしていたのか、皆が皆、きちんと傘を差している。主婦らしき女性が、傍らに傘を持ち、庇に守られた野菜の中から、ひょいときゅうりを持ち上げて品定めしている。為されるがまま雨に打たれているのはしろボンくらいのものだ。それを、特に誰も気にしたりはしない。雨でけぶっているので、王子が一人で歩いているのを、気がついていないのだろう。
 自分だけがのけ者のような疎外感を感じて、しろボンはいつも通りに動いている商店街を、恨めしく見つめた。

「あーめあーめ、ふーれふーれ、かあさぁんがー……」
 ぼんやりと覚えている童謡を小さく口ずさみながら、しろボンは踵で闊歩する。水たまりも気にせず突っ込んで、しぶきが跳ね返っても気にしない。もうずぶ濡れになってしまった。
 目の前に公園が見えた。といっても、遊具も何もない。ベンチだけが取り付けられた、空き地を体よく仕立てただけのものだ。真ん中には大木がそびえていて、ぐるりと腰掛けが丸く備わっている。銀杏だったか桜だったか。季節になると綺麗なのよ、と誰かに聞いた気がするけど、思い出せない。
 慣れない歩き方をしたものだから、少し疲れて、ここで休んでいくことにした。雨降りの公園なんて誰もいない。よっこいしょ、と重い腰を下ろして落ち着かせる。
 たらり、と頬に雫が伝った。さらにもう一粒雨粒が、頭から頬に、そして地面に落ちる。
 上から雨が落ちてきているのかと思ったが、少し頭を持ち上げてみると、ちょうどこの大木の木の葉が、雨避けになっていた。雨に降られているのではない、身体に纏わりついた雫が、重みで下に落ちてゆくのだ。
 頬に流れた跡が冷たい。冷えを自覚すると、なんだか無性に泣きたくなってきた。
 オレ、何やっているんだろう。
 これでは家出ではないか。きっとみんなが迷惑してる。けれど、居たって迷惑じゃないか。だったらどうすればいいんだ。
 誰か探してくれるだろうか。不謹慎だけれども、少し期待を抱いていた。いいや、探してくれるわけがない。すぐに心の内で否定する。
 彼らが探そうとするのは、王子だ。オレじゃない。

 やがて雨脚は滝のように強くなってきていた。歌詞は二番の終わりまできた。
「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン」
 自分がここまで歌詞を覚えているのに驚いた。ゆこゆこ鐘が鳴る、の『ゆこゆこ』ってなんなんだろうなあ、とうっすら思う。
「あーれあーれ、あーのこーはずーぶぬーれだー、やーなぎーのねーかたーでなーいてーいるー」
 か細い歌声は雨音にかき消される。
「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン」
 段々と抑揚も無くなってきていた。
 あの子はずぶ濡れだ。柳の根方で泣いている。
 呟いてみて、はっと誰かに見られている気がして、立ち上がりかけた。雨とも涙ともつかないぐしょぐしょの身で、誰かに指を差されている気がしたのだ。少し腰を浮かせた姿勢で、辺りを見回してみたけれど、誰もいない。閑散とした家々が映るだけだ。
 途端に、自分がひどく惨めに思えてきた。家、もとい城を出たって一人で生きていける訳でもない。嫌なのに、戻らざるを得ない自分。無力さがしんと沁みた。
 いつしか歌うのを止めて、ただ雨がざーっと唸る音を聞いていた。驟雨の音楽祭に招かれた客を装って、きちんと膝と膝をくっつけて、居住まいを正していた。

 十分か二十分くらい経っただろうか。突如、背後でばしゃばしゃと雨を蹴る音がして、びくっと身体を震わせた。もしかして、誰か、探しに来たのだろうか。
 そろりと振り向きながら傍目をやると、既に公園の脇を通り抜けて、遠くへ消えていった。
 見つからなかったことに安堵し、胸を押さえて、小さくため息をついた。
 軽く目を瞑り、後ろに向けた頭と体の向きを合わせようと、元居た方へ振りなおった時だった。
 くろボンが、立っていた。
 彼は傘を片手に持っていた。だのに、マントや靴は泥や水の染みが出来ている。ところどころ、腕や足も濡れていた。
 手を伸ばしてきたので、ひゅっと息を飲む。何か言いたいことが、ここまで出掛かっているのに、つかえて出てこない。それを見て、くろボンも、何か言いかけたように開けた口を、そのまま閉じた。
 しばらくそのまま、何も言わずにいた。
 くろボンは傘を差しだした。「……風邪をひく」と。
 ここには雨なんか降ってきやしない。無言でしろボンはそう返した。
 自分でも、非難めいた目でにらんでいるのがわかった。
 うんざりだ。勝手に城を抜け出すなとか、どれだけ迷惑をかけたと思っているとか、説教を喰らうのは。心配なんかしてないくせに。わかっているんだ。それでも結局、最後は「仕方ない」って許してくれるんだろう。
 自分が悪いのはわかっているのに、甘やかされるのは嫌だ。けれど責められたら責められたで、ひどく落ち込むだろう自分が、嫌だ。
 くろボンが何か言ったら、きっと罵ってしまいそうだった。隊長のくせに、見つけるのが遅い、なんて、自分勝手なことを。
 くろボンは傘をたたんだ。そして反対側に回って、腰かけた。しろボンは振り返って様子を伺ったけれど、動く気配も、話す気配も無かった。
 なんなんだ、いったい。

 どれだけそうしていたか、覚えていない。
 間を持て余して、膝を抱えてぐらぐらと、起上り小法師のようなことをしていた。身体にまとわりついた雨粒がひとしきり流れた後、不意に目尻から涙が零れてきた。粒は頬を撫でて、次々に垂れていく。いつしか線となっていた。
 鼻水も出てきたが、すすって、あまりに音が大きいので、ぐっとしろボンは息を止めた。後ろにくろボンがいる。聞かれたら、ほらだから風邪をひくと、だなんて、こっちに来るに決まっている。
 けれど鼻水は止まらない。涙も止まらない。嗚咽が漏れそうなのを必死に留める。雨はこの大木の葉に完全に遮られているので、洗い流されもしない。
 そのままずっと雨は流れ続けた。
 ようやく泣きたいのが収まってきたところで、さっきからずっと何も言わないくろボンのことが気になった。
 自分を探しに来たのではないのだろうか。だとしたら、なんで連れ戻さずにいるのだろうか。
「……なんでいるの」
 鼻をつまんでしゃがれ声を絞り出した。
 くろボンは、答えない。
 涙が引いた後も、目尻が熱い。ひりひりと染みるようだ。それが我慢できなくなってきた頃、「ねえ」ともう一度声を掛けたのと、くろボンの答えが重なった。
「雨宿り」
 たった一言、それだけだった。
 くろボンはこちらを向かない。
 あまりに下手くそな言い訳なので、思いがけずぷっと吹き出してしまった。

「だって雨、止んでるじゃない」
 曇天の雲は裂けて、頭上では太陽が青空を煌めかせている。